こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

離婚した子持ち女はせみのぬけがら

離婚するのがすごく怖い。

 

どうしてそう思うのか?

考えたくもない。だけど理由は明らかだ。

 

わたしは、捨てられるのが怖い。だから離婚したくないのだ。

夫だけじゃない。

夫の両親、実の両親、親戚、友達、会社の人、みんなに捨てられるのが怖い。

これからの未来で出会う人たちに捨てられるのも怖い。

 

離婚したことで、すべてのつながりが断ち切られていくのが怖い。

 

わたしは、常に愛情を欲していた。

だれかに必要とされて、必要として、関わりあって生きていきたかった。

その願望を叶えるために結婚したんじゃなかったか。

 

でも、いつまでたっても、継続的な人からの愛情を感じることはできなくて、愛されている実感が得られなくて、不安と衝動に負けた。

自分の必要性を感じたかったし、代わりのきかない何者かになりたかった。

 

わたしの思慮のなさゆえの安易な行動ひとつで、他人からの信頼がこんなにも簡単にひるがえってしまうものだということをはじめて知った。

夫からもらえていると思っていたわずかな愛情も、その本体を若くて綺麗な女に与えた残りカスだったことを知った。

 

夫の不倫相手のことを想像するたびに涙が止まらなくなる。わたしはそんな女たちにさえ勝てるものを、いまはもう何一つ持っていないのだ。

 

強がることはいくらでもできるけど、その裏で何倍もの不安と悔しさ、自分の惨めさに涙していることは誰にも言っていない。

これを夫が聞いたら演技性障害だと罵るだろう。

義父母は自分のやったことの責任だと突き放すだろう。

 

だけど、わたしがわたしの欲しいものを求めることがそんなに間違っていただろうか。

長年上手に築くことができなかった愛情とか信頼とかを、不器用にも構築しようともがいてきたことがそんなに批難されることだろうか。

 

愛情や信頼は、それほどまでに大切で、欠くことができなくて、手に入らなかったら頭がおかしくなってしまうほど、人間にとって必要不可欠なものなんじゃないか。

 

だからといって、ここで自分の正当性を主張するつもりはない。

 

ふと我が身を振り返ってみれば、30歳を目前に控え、若さと、若さゆえの美貌など跡形もなく、子供を二人育てた乳房は惨めなくらいにしぼみ、女性器は使い古され、皮膚の張りも失い、表情は疲れ果て、「せみのぬけがら」という言葉がしっくりくる。

 

そう。もうわたしには若さがない。

新たに子供を生む余力もほとんど残っていない、幼い子供二人を抱えた女というだけですべてに負けた気がする。

 

だから悔しい。

夫の不倫相手がのうのうと幸せな人生を送れることも。

夫が悠々自適に新しい人生を送ろうとしていることも。

 

そして同時に怖い。

そこに対抗しようとしたって、わたしは結局歳を食って使い古され、良質な成分は全て搾り取られ、落ち葉に紛れて踏み潰されるせみのぬけがらでしかないのだ。

 

子供たちを無事育て上げることだけを目標に生きていく。

だけど、子供たちが私の元を離れていったとき、さらに枯れ果て、持ち上げたらくしゃりと潰れてしまいそうなせみのぬけがらなどに、何の価値があるだろうか。

 

十年物のせみのぬけがらに、奇跡的に価値がついたりしないだろうか。

この期に及んで自分の価値を確かめたいと思う自分の惨めさがますます悔しい。

 

 

 

離婚の話〜仕事について〜

親の身勝手な行動、身勝手な決断で、いちばん迷惑をかけるのは子供です。

 

離婚が決まったときに、私はまず、子供たちに十分な教育と生活環境を準備してあげなければならないと思いました。

 

私は決して頭が良いわけではないけれど、いまこのように割と自由に仕事ができているのは、両親が私に、十分な教育の機会を提供してくれたからだと思っています。

 

私は実家の家計がどうとか、自分が家族のバランスをとらなきゃとか、あまり本気で悩むこともなく大学に進学させてもらいました。

また、興味の赴くままに好きなことを追求する余裕と時間と環境を与えてもらいました。

 

 

だから、自分がシングルマザーになるとしても、お金がないから子供に大学進学を断念してもらうとか、お母さんのために働いてもらうとか、子供たちのやりたいことを我慢させるようなことは絶対にしたくない。

 

そのためには、生活が滞りなくできる環境と、お金が必要です。

 

 

そのためにまず、転職をすることにしました。

 

選考が進んでいる企業のうち1社から内定をいただきました。

年収はいまより+10万にとどまりますが、働き方が自由なので、オール在宅でもOK。

フルタイムでも子供との時間をしっかり取れそうです。

会社の雰囲気も良く、担当する業務も自分の志向とバッチリはまります。

 

あと1社の選考状況、年収次第ですが、先に挙げた会社に軽く給与交渉をしてみたら、とても前向きに考えてくれました。

 

決まりとして、年収いくら以上は取締役との面談が必要だということで、連休明けに再度お邪魔するのですが、自分のやってきた業務、できることを具体的に説明したところ、「それなら上げられると思う!ちゃんとアピールしてよー」と言う感じだったので、引き続き交渉していこうと思います。

 

また、別件で、メディア運営をしている企業とライター契約を結ぶことになりました。

こちらも単価を相談しているところですが、月10000字を3本書いたら40000円くらいにはなりそうです。(とらぬ狸の・・・ですが。)

 

 

夫には「お前は自分のキャリアのことしか考えてない」と言われてきました。

でも私は、子供との生活を最優先できて、かつキャリアを積める企業を探してきたつもりです。

私は20歳で学生結婚していて、新卒で就職をしていないから、年数だけで見ると同年代よりキャリアがないのです。だから、最短でキャリアを積もうと意識していただけです。 

 

だけど、私には家庭があり子供がいたので、そちらを捨ててまでキャリアをとろうとは全く考えていませんでした。

落ちるの覚悟で「可能な限り在宅で仕事をしたい」と伝えてきましたし、そのような条件でも「全然いいよ!むしろミーティングもスカイプでいいよ!」と言ってくれる企業を探してきました。

逆に、「決まった時間に出社必須です。早退したら評価下がっちゃいます。」というような企業は辞退しました。

 

今の会社も在宅・リモートOKなのですが、自宅で仕事していると夫に「なんでお前が給料もらえてんの?」と言われ続けていました。

 

毎日現場に出ている夫にはわからないのかもしれません。

もちろん毎日決められた時間決められた場所に行くというのは大変だし、それをやっている夫は偉いと思います。だけど、私にはその働き方ができないと思ったので、時に痛みを伴いながらも効率的な働き方を模索してきました。

高学歴なわけでも、特殊なスキルを持っているわけでもありません。

コネもありません。

 

在宅でも問題ないと判断してもらえるように結果を出してきた。

その努力をしてきたからいまの環境が認められているのです。

夫から見たらサボっているように見えるのかもしれないけど、短時間で効率よく最大限の成果を出してきたのです。

その大変さを夫にわかってもらおうとするのは難しいのでしょう。

 

 

お金を稼ぐには、個人のスキルを上げていくことが必須です。

ライター契約する会社も、個人の名前で出すことになっているし、

内定いただいた会社も、基本的に社員が前に出ている印象です。

 

慰謝料請求してしまう相手がいるということで、その方たちに対する申し訳なさもあり、恨まれるんじゃないかという恐怖も正直あります。

私の名前がネットに出ることで嫌悪感を感じる人もいるのではないかと、やってもないのに被害妄想に陥ります。

 

だけどそれは自分のまいた種。

ここにこうやって書いているのも、ある種、懺悔のような気持ちがあります。

 

自分のやったことが夫を傷付けたことは確かで、家庭を壊し子供たちから安定を奪うことになったのも事実です。

それでも私は今の状況を踏まえて、前を向かなければいけません。

止まってうじうじしていたら、それこそ子供にとっては迷惑な母親だと思うから。

 

だけど、自分の罪の事実を隠して、綺麗事だけ並べて今後生きていくことは許されないので、今回正直に書かせていただきました。

もし仕事をする上で、これらが明るみに出るようなことがあっても、変に隠さず、向き合っていこうと思っています。

 

 

 

離婚の話〜離婚の決意を揺らがせない〜

まずはじめに、優しいメールをくださった方、本当にありがとうございます。

 

メールアドレスを載せずにメールフォームにしているのも、批判の言葉をもらうのが怖いからです。私のことが嫌いだったらそんな手間をかけてまでメールを送ってくれたりはしないだろうな、というずるさゆえです。

 

それでも通知が来ると、いつも恐る恐る開くのですが、こんな状況の私を応援し、貴重な情報を教えてくれ、気にかけてくださる方がいることに驚きと感謝でいっぱいです。

 

本当にありがとうございます。

 

 

昨日夫と話をしました。

私の不倫相手について、私が知っている情報を書き出して、夫がつかんでいる証拠と突き合わせ、陳述書の内容を強固にしていくための作業のようでした。

 

このことで、大きく揉めることはありませんでしたが、不倫の具体的な話になると互いに語調が強くなったり、攻撃的な反応が出たりしていたので、なるべく平常心に戻すよう意識し「冷静に建設的な話ができないなら話さない」と言い続けました。

 

 

話の最後のほうで夫に、「慰謝料請求が全部終わったあと、自分がどういう気持ちになるのかわからない。だけど、それでこれまでのことが消化できたら夫婦関係をやり直したいと思ってる。今日も体調悪いのに、ちゃんと情報を整理して準備しておいてくれて、向き合ってくれる姿勢が見れたしありがたかった。あなたへの慰謝料請求はやめようと思う。」と言われ、唖然としました。

 

「そもそも離婚だと言い出したのはあなただよ。もうお前のために頑張りたくない、稼いだ金がお前の矯正代になるのが耐えられないって言ったよね?なんで言ってることがコロコロ変わるの?

 

あなたを批判するつもりはないけど、私があなたの立場だったら慰謝料請求をしようとは思わない。お互いにやったことを認めて、互いに罪を償いながら新しい生活をしていく。または別々の道で生きていく。それでいいんじゃないかと思う。

 

私はあなたにこの前言われたその言葉を聞いて離婚することに決めたよ。それから、ひとりでも子供を育てていけるような仕事の仕方や、収入源を増やす方法を考えた。だけどそれは、いまの家族の形でやっていくとしたら合わない働き方だと思うよ。制度のことも詳しくないから、明日ソーシャルワーカーさんに相談に行くことになってる。

 

私は3人の生活に向かって動き出してる。なのに、いまさらやり直したいと思ってるって言われても難しいよね。私はもう再構築は考えてない。

 

お互い、相手の見積もりが甘かったんだよ。私はあなたが飲みにいくのも好きで、女遊びもするなら、自分も同じようにして、互いに外で自由に振る舞うことを認め合う夫婦の形でやっていくのかなと思ってた。だから、いま証拠として使われてるラインとか手帳も、別に消す必要がないと思ってた。

 

一方であなたは私がいつまでもあなたの気持ちの揺れについてくるものだと思ってたよね?あなたが離婚すると言ったら受け入れて、離婚しないと言ったら離婚しないって言うと思ってたんじゃない?

 

あなたはお人形みたいな人と結婚したらいいよ。もしくはAIとかロボットとか。自分のいいなりになることを妻に求めるなら、そういう人を探せばいいと思う。」

 

夫は、ほんとに言ってる?と狼狽した様子でした。

ひとりで暮らすとか考えられない。結局俺はそういう人生なんだ。とこの先を悲観する様子も見えました。

 

「俺はまだ未来を見れない。過去のことを清算できてない。でも女性は決めたら、もうその決意はたぶん変わらないんだよね。」

 

「あなたと夫婦を続けていったとしても、あなたは隠すのが上手いから今後また浮気をするだろうし、女性蔑視の考え方も根本からは変わらないでしょ。その二つが、やっていけないと思った理由。

 

あと逆に、あなたと離婚しなかった場合にどんないいことがあるか考えた時に、世間体が守れる。早くに結婚したこともあるから、順調にいってたら他の人より長く夫婦関係を維持してこれたって思える。っていうことしか出てこなかった。これは、ただ自分の外向けのプライドが傷付かずに済むってことだよね。こんな理由で離婚しないのは、あなたにも失礼だと思った。」

 

 

夫はそのあとも、私の体調を心配してゼリーを買ってきてくれたり、積極的にコミュニケーションをとってきたりします。

「いまさらこんなことしても遅いと思ってる?」と聞かれましたが、そういうことではない。

 

夫に優しいところがあるのは理解しているつもりです。老若男女たくさんの人に好かれ、信頼されているのは素晴らしい才能だと思うし、いざとなったら難しいことでもちゃんと状況を整理して決定できる人です。

 

今回の件についても、自分の不貞行為や弁護士へ依頼していることを隠して、淡々と私と不倫相手から慰謝料を取ることもできたはず。だけど、私の不倫が知られた時に、わざわざ自分のことを話して、慰謝料のことも言ってくれたのは、彼の持っている公平性ゆえなのかな、と思います。

 

こうやって主張がコロコロ変わり、いざとなったら離婚したくないと言い出す気持ちも、正直わからないでもありません。「不倫されて悔しい。こんな奴捨ててやる。」と、「過去のことを清算したらまた楽しくやっていけるんじゃないか。」が共存するのは当然のことだと思うのです。

 

なんだかんだ10年近く一緒にいるわけで、失望と恨みだけで突っ走って振り切れるほど浅い関係ではなかったと思います。

 

私がこれらの話を友達にしたら、脅しておいて優しくするのはDV男の典型だよ、と言われました。そうかもしれません。だけど、そんなこと言ったら、夫から見た私も、外面だけ良くて内面はこのブログのように暗くてドロドロしていて、人を振り回す種類の二面性を持った人間なのではないでしょうか。

 

夫の優しい面に触れると、「やっぱり頑張ってやり直そう」ととっさに言ってしまいそうになります。子供もパパと別々に暮らすの嫌だ!ともちろん言っています。それらを振り切ってまで離婚することが本当に正解なのかはわかりません。

 

ただ、私と夫は互いにある意味で依存しあう関係でした。共依存とも言えるでしょうか。目に見える形の束縛はしないけれど、相手が自分の思うように行動しないことをよく思わず、不満をためていたのは確かです。その関係を今後も続けていくことが自分たちのためになるのかは疑わしく、ここで一旦離れてみて、もしまたどこかでお互いに一緒にいるべきだと思う日が来たらまた夫婦になることもあるのかな、という感じです。

 

 

 

 

離婚の話〜慰謝料請求について〜

夫婦ともに不倫ということで、

批判のお声もたくさんあると思います。

 

ですが、これはこれで私の人生なので、

淡々と書いていこうと思います。

 

 

まず、慰謝料について書いておこうと思います。

 

状況を端的に言いますと、

私の不倫の証拠はあって、夫の不倫の証拠はありません。

また、夫は弁護士を雇っていて、私は弁護士に依頼していません。

 

夫は私に「お前からも不倫相手からも慰謝料を取る」と言っています。

もちろん私に経済的な余裕があり、すぐに払えるのであればやったことの責任として払います。

 

ただ現実として、親権を私が持つこともあり、

借金や奨学金の返済もあるなか、

子供を育てるのに十分な生活環境を確保して、その上で高額な慰謝料請求をされるのは厳しいです。

 

なので、「私とあなたの不倫にレベルがあるというのなら、私とあなたがそれぞれ請求されうる慰謝料を中立な立場の弁護士などに提示してもらって、そのうち同額は互いに相殺する。私の方に残る(であろう)慰謝料のうち、不倫相手から支払われる慰謝料を引いて、残った分を私があなたに支払う。」

 

そのように提案し、了承を得ました。

 

その中でも「子供を盾にするな」「相殺とか甘いこと言ってんじゃねえ」と罵倒されつづけました。

 

子供を盾にしているつもりなんてありません。

ただ、色々な母子家庭の制度を使って生活費を概算しても、生活が苦しくなるのは事実で、そのうえ毎月高額な慰謝料の支払いは難しい。子供にはなんの罪もないから、十分な生活をさせてあげたい。

 

そう言っただけです。

 

いまはこんなでも、自分の血を分けた子供に対して、少しは心配する気持ちを持たないのでしょうか?ただ私を苦しめたい一心で言っているならいいのですが、子供に対してなんの愛情も持っていないのであれば、それはそれで彼の大きな課題であるように思います。

 

話が逸れましたが、以上のやり取りをボイスレコーダーに録音し、紙でも誓約書のような形で作ろうと思っていました。

 

また、5月の連休明けに弁護士事務所に行くから一緒にきて。と言われ、了承していました。

それまでに不倫相手の情報も集められる限り集めといてということだったので、それも了承しました。

 

 

ですが最近連日忙しく、寒かったのもあって、私が体調を崩し、

おとといから寝ていても辛いような状態でした。

 

 

おととい、体調が悪くて寝込んでいた時、

話す時間作ってよ、と夫が言ってきました。

 

ごめん体調悪くて今日は無理。

 

そう言ってその日は回避。

 

 

翌日は娘の習い事の練習で遠くまで送迎があり、

息子を近所のお友達に預かってもらい夕飯もいただいていました。

なので、娘と私の分を買って帰ったのですが、

寒気と体の痛みが尋常じゃなく、

家にいた夫にあげて、自分は寝込んでいました。

 

今日も朝から小学校(土曜授業)の送迎や習い事の送迎をなんとかこなし、

合間に病院に行って薬をもらってきました。

インフルエンザの検査もしましたが、熱が出始めたのが今朝だったので、

まだ出ないかもね、と言われて帰ってきました。

 

しんどかったので、

子供のお迎えまでの空き時間で横になっていると、

 

「なんでいつも体調悪いの?そうやってすぐ逃げんなよ」

と突如言われ、なんのこと?

 

と聞くと、「話す時間作ってって言ってるのに、そうやって体調のせいにして逃げてんじゃねーよ」と。

 

「5月に弁護士さんと話すのに、その前にあなたと何を話すの?」と聞くと

「その前の事実関係の確認だよ!」と言われました。

「もっと具体的に言ってくれないと準備のしようがないし、そもそも5月に弁護士さんにそれを話すって言ってたのに、その前に二人で話す時間が必要な理由って何?」

 

そう聞くと「逃げてんじゃねー!」「お前はばかで頭が悪いからわかんねーよな」と罵詈雑言。

「お前が協力しないんだったら慰謝料全額払わせるから」「こっちは譲歩してやってんだよ。どうとだってできるからな」と脅しのような口調で言ってきます。

 

「この前の話し合いで、慰謝料請求の方法については決めたよね。ボイスレコーダーで取ってあるし、それは口頭でも契約になるよ」

 

と言うと、「こっちの出方でどうとでも変えられるんだよ!」と。

 

 

事実関係の確認といっても、私のラインの過去データは引き継ぎに失敗して残っていません。

また、いつ誰と会ったとか、何回会ったとかも、証拠がないので不明瞭です。

過去の携帯や日記や手帳なども全部彼が持っていて、私の手元には何もない状態です。

 

なので、「私の記憶しかないけど、記憶も曖昧だし、覚えてないことは覚えてない。それでもいいなら話す時間とるよ。」

 

そう言うと、「お前はばかだから記憶力もないんだな」と言いながらも「今日絶対夜起きてろよ」と言い残して出かけていきました。

 

相手がインフルエンザかもしれないと言う状態でもこれです。

先ほどの子供のこともありますが、離婚の話が進んでいくとともに「本当に同じ人間なのだろうか」と思うことが増えてきました。

 

 

夫は全く認めませんが、私は今回の離婚を「お互い様」だと思っています。

私は夫の不倫相手に慰謝料請求しようとは思いませんし(証拠がないのでできないというのもありますが)、お互いに罪を認め合って、それぞれの道を生きていけばいいのではないかと思います。

 

一方で夫は、私が出会い系を使っていて、会っていた人数が夫よりも多かった、かつラインで日常的にやり取りをしている時期があったということで、「お前と俺はレベルが違う。お前の方がひどい」と主張しています。

 

ですが、明らかになっている不貞行為の回数は私の方が多くても、彼は子供が小さいうちから最近まで、合コン、ナンパ、キャバクラ等の遊びを繰り返していました。お店の女の子とのラインのやり取りも残っていましたが、不貞行為に至っていないから自分は問題ないと言っています。

 

証拠ベース、また法的に考えると夫の主張には問題ないのかもしれません。だけど、これまでの彼の行動の積み重ねで、私が精神的にダメージを負ったのは事実であって、女っぽい感情論で申し訳ないですが、そこは考慮されてもいいのではないかと思っています。

 

 

また、親権が私に渡ることについても、すぐ納得していましたし、親権争いをする気もありませんでした。

それなのに、慰謝料の話になったら、「俺は子供の親権を持てなくなるのにお前が慰謝料も払わずのうのうと子供達と暮らしていくのがムカつく」だそうです。

 

子供は絶対に一つも悪くないので夫に、「子供とは自由にいつでも会っていい。また、大人になって連絡手段を持ったら、私を通さずやり取りしてくれて構わない」と離婚協議書に入れると言いました。

 

もちろん私の気持ちとしては会ってほしくありません。

だけど、最大限譲歩しました。

 

 そう言う条件を提示しても、慰謝料は取りたいようです。

 

しかも、初めは慰謝料は相手からしか取らないと言っていました。

それを私からも取ると言い出しました。

 

先に書いたように、冷静に話し合って決めたことすら、彼の気分によって覆そうとします。

 

なので私は、誰かが間に入ってくれている状況じゃないと話したくない、と言っていました。

今回のように言っていることがコロコロ変わるのが嫌だからです。

 

そのためにボイスレコーダーを取っていました。

私はもう彼の言いなりになって生きる気はないし、彼の気分によって変わる提案を全て受け入れる気もさらさらありません。

 

夫は、こちらが弁護士を立てる費用がないことや、

自分に不倫の証拠がないので慰謝料請求されないことをわかっててこのような強気な態度をとるんだと思います。

 

その証拠に、「お互い不倫していた」と言う証拠を残すため、ラインで「あなたも不倫してたよね?」と聞くと「答えられません」と返ってきました。

慰謝料に関わることで自分に都合の悪いことが出てきたら隠そうとする。

本当に話にならないし、どうしたらいいのかと思っています。

 

今日も、罵詈雑言を浴びせられ、首を締められるのではないかと恐怖です。

 

 

 

 

 

続・不倫から離婚へ

 

www.koara2015.com

 

私が21歳で出産し、26歳で就職するまで、夫はほぼ一人で家計を支えてくれていました。

 

一方で、私は育児に苦戦していました。

一人目の出産後、夜泣きがひどかった半年間、

二人目が生まれて1歳で保育園に入るまでの一年間は、育児ノイローゼといわれる状態だったように思います。

 

自分の身なりに気を使う余裕なんてまったくなく、

外に出るときも化粧せず、毎日同じ服を着て、

機械的に赤ちゃんに授乳し、上の子の最低限の世話をし、

ほかはずっと寝ているような状態でした。

 

その頃、夫は外で複数回不倫していたそうで、

合コンやナンパも日常的にしていたようです。

 

私の不倫を知って、そのことを夫自ら教えてくれたのですが、

夫が不倫していた時期が、ちょうど自分が苦しんでいた時期だったのもあり、

「自分がもっと綺麗にしていたら」「ちゃんと家事をしていたら」

と後悔と悔しさに苛まれました。

 

自分がすっぴんでだらしない体型でダラダラ寝ている間に、

夫は綺麗に着飾った女の人と飲みに行って寝ている。

 

私の自尊心はガラガラと崩れていきました。

 

 

だけど、夫にもこのような思いをさせたのでしょうから、私だけが被害者ではありません。

 

お互いに不倫をしていたということで、

反省し、再構築しようと試みましたが、実際は難しく、

次第に心が離れていくのがわかりました。

 

ルールをつくって、ちゃんと守って、互いに信頼を回復していこうという話になりましたが、それもうまくいきませんでした。

 

私は、過去関係を持ったことがある人と飲みに行きました。

お互いそのときのことをなかったことにしているような関係性だったので問題ないと判断しましたが、それが夫の逆鱗に触れました。

 

一方夫は、隠れてキャバクラに行っていました。

問い詰めると、付き合いだから悪くない、体の関係がないからなんの問題もない、と言いました。

 

だけど、このことを受けて、

私は夫に対して「これからもまた浮気するだろうな」という思いが強くなり、一気に心が離れていきました。

 

一方夫曰く、「今後お前が浮気する心配はあんまりしてないけど、他の男に遊ばれるようなお前をもう女として見れない」ということでした。

 

 

それでも、私は子供のためかつ夫婦関係修復の可能性を信じて、やり直したいと思いましたが、夫は諦めたようでした。

 

「決めたルール守ろうとしたけど、なんでお前のために頑張んなきゃいけないんだろうと思った。お前のために頑張る気が起きないし、俺の稼いだ金がお前の矯正代金になるって考えたら嫌になった。

ずっと、人生を楽に生きたいと思ってやってきた。子供が生まれたから頑張ってきたつもりだけど、今後俺の人生にお前が入ってくるのが嫌だ。旅行もお前の分の金払うのが嫌だ。」

 

そのようなことを言われ、

私も何か張り詰めていた糸がぷつんと切れたようでした。

 

 

夫の本当の気持ちはわからないので、夫側の意見も私の視点でしか書けず、

フェアではない書き方になるかもしれませんが、

 

私は今回のことを「お互い様」だと思っています。

相手への愛情が欠如していたこと、相手の気持ちを考えない行動をしてきたという点で、私たちは同じ過ちを犯したと思っています。

 

だけど夫は、

「俺はお前より全然マシだ」「お前の方が悪い」

とずっと言い続けました。

 

「出会い系なんてキモイ奴しかやってない。ナンパや合コンの何が悪い?」

「お前が合コン行ってモテてくるならぜんぜん行ってきていいよ」

「俺の考え方が一般論だから」

 

その考え方に、私は全く賛同できませんでした。

出会い系もナンパも合コンもキャバクラも、

そこで会った人との一回きりの関係も、

婚姻関係にある相手を裏切ったという意味では全部同じじゃないかと私は思うのです。

 

なので、

「なんで自分はよくて、人はだめなの?」

と何度も聞きましたが、

「一般的に見たらお前の方がひどいから。周りに聞いてみろよ。みんなお前の方が悪いって言うよ」

 

ずっとそのように言われ続けました。

 

 

私は、結婚してからずっと、夫に見下されて生きてきたように思います。

もちろん今回のことは私が完全に悪く、自己弁護するつもりで言っているのではありません。

 

ただ、私のキャリアについても、精神的に不安定な部分についても、

夫はいつも批判的でした。

 

私が正社員で働くということにも反対だったし、精神的な問題は自分の気の持ちようだと何度も言われました。

 

子供の世話をするという行動を通して、私が働くことを応援してくれていると思ったこともありました。

お金出すからカウンセリングにちゃんと行ったほうがいいよ、と背中を押してくれたときもありました。

 

そのときの夫の気持ちは嘘じゃないと思いたいし、感謝しています。

 

ですが、夫の思想の根底に「妻には家にいてほしい」「精神的な病気なんてない」という考えがあるのは事実だと思います。

 

私はいつも肩身が狭く、批判されないか常におびえ、

弱い部分を隠しておく必要がありました。

 

 

だけど今回、夫に「俺の人生に入ってこないでほしい」と言われ、

彼が本当にもうこの婚姻関係を解消する気なんだとわかりました。

 

同時に、自分の気持ちもすーっと冷めていき、

絶対に離婚しないでくれという子供たちには本当に、本当に申し訳ないけど、

この関係を続けていける可能性はなくなったと感じました。

 

 

 

もう今までみたいに夫が帰ってくるのをまだかまだかと待つことも、

とりとめもない会話を楽しむことも、

くだらないことで笑い合うこともなくなると思うと、

やっぱり寂しくて涙が出ますが、

今は歯を食いしばって離婚後の生活に向けて準備していくしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不倫から離婚へ

2年前に今の会社に入社しました。

 

キャリアが欲しくて、何者かになりたくて、認められたくて、

必死で仕事を頑張りました。

 

 

 

入社してしばらく経った頃、

会社の人に飲みに行きませんかと誘われました。

前職であまり環境に馴染めず、若い子の輪に入れなかった私は嬉しくて何も疑わず飲みに行きました。

 

3人で飲んで、その日は楽しく帰りました。

今日はありがとうございました。また飲みましょう。

と社交辞令でラインを送ると、トントン拍子で次回の予定が決まりました。

 

恥ずかしながら、またすぐ飲みに行ってくれるっていうことは、

少しは楽しいと思ってもらえたのかなと思い、

その時点でもなんの違和感も感じませんでした。

 

だけど、気が緩んでいたのか飲みすぎて、

帰り際に2人になった時にキスされそうになったのを振り払えず、

その日は呆然としながら帰りました。

 

そこでその人のことをシャットアウトすればよかったのですが、

人に嫌われることを過度に恐れるあまり、できませんでした。

 

連絡がくるのをかわしながらも、

どこかで飲みに行かないと嫌われてしまうという恐怖に負けて飲みに行ってしまったのが失敗でした。

 

そこで抵抗しながらも関係を持ってしまったのをきっかけに、

自分の貞操観念が壊れていきました。

 

 

相手に無理やりされたというのは事実ですが、言い訳でもあります。

私は嫌われること以上に家庭を守ることを優先するべきでした。

でも、嫌われないようにすることを優先しました。

 

また、仕事が忙しい夫とはセックスレスで、

自分から距離を縮めようと勇気を出したこともありましたが、

気づいてもらえなかったり、嫌な顔をされ続けていました。

そんな私がまだ女としてみてもらえることへの嬉しさがあったことも事実です。

 

 

21歳で家庭に入り、仕事もパートしかしていませんでした。

 

パートのときに、社員の男性に優しくされたり、

好意を持ってくれていると感じないこともなかったけれど、

当時はそのことについて深く考えることもなく、

その好意に応えようとすることもなく、

淡々と日々を過ごしていました。

 

私は家庭に必要なお金を稼ぐためにパートをしているだけで、

それ以上の地位とか、キャリアとか、承認欲求とかを求めていなかったからです。

 

だけど、26歳になって一社員として仕事を持つ機会をいただき、

個人としての存在価値を高めなければいけないと思った時に、

世間知らず、かつ、根本的な精神の弱さにより、

人との関わり方が過剰になりすぎました。

 

「家族の一員」ではなく「私」という個人としてしか自分のことを考えられなくなっていました。

 

最初は、もしかしたら仕事で有利になるかもしれない。

というあざとい考えからでした。

 

夫の言う通り、相手はいつでも捨てられる軽い女としか見ていなかったのでしょう。

でも、仕事の裏事情を聞けることが私にとっては有益だと思う気持ちもあり、数回関係を持ちました。

 

 

そこからのきっかけはよく覚えていないのですが、

出会い系に登録しました。

 

会社の人との関係をどこかに吐き出したい、というのがいちばんの理由だったように思います。

 

私には、文章しか気持ちを消化する手段がなく、

私のことを誰も知らない、閉鎖的な空間で、このような関係が批判されない居場所を欲していました。

 

最初は全く出会い系として使う気もありませんでしたが、

女という性を持っているだけで、私という人間に興味を持ってくれる人がいることに驚き、同時に嬉しさもありました。

 

興味本位で一人の人と会ってしまってから、

旦那ではなく、会社の人でもない、

どこの誰かもわからない人と話すことを単純に楽しく感じるようになりました。

 

もともと自分の興味のある人のインタビュー記事を読むのが好きで、

それを仕事としてやりたいと思っていたこともあり、

今思えばすべてニセモノだったけど、

自分のやりたいことと似た経験がこんなに簡単にできるんだ!

と、世界が広がった感覚でいました。

 

一度会って話して解散することが多かったけれど、

話が合う人とはまた次も会って、数回会う中で関係を持ってしまうこともありましたが、

私にとってはいろんな知らない世界の話を聞かせてもらったお礼くらいに思っていて、

関係を持つと会いづらくなるので一回きりで関係を切っていたこともあって、

だんだんと罪悪感すら薄れていきました。

 

 

そういった刹那的な関係のあり方が、私の根底にある見捨てられ不安とつながってしまったのも失敗でした。

自分で連絡先を消しているにも関わらず、

次第に、「私はどうして人との関係構築ができないんだろう」と不安になるようになりました。

初対面でも楽しく話せているのに、どうして普通の友達になれないんだろう?

どうして関係を持ってしまうんだろう?

 

いまになったらわかります。

出会い系というツールを通して知り合っている男女が普通の友達になるなんてありえないし、それを求めている自分はおかしかったと。

それはカウンセラーさんにも言われました。

 

でも、当時の私は、「自分はどうしてすぐ嫌われてしまうんだろう」と焦っていました。

その穴を埋めるように、友達になってくれる人を探していました。

 

その結果、今までは一回きりだったのが継続して会うようになり、

ラインでの日常的なやり取りもするようになりました。

 

そしてそれを「友達ができた」と勘違いしていました。

 

「友達」の言動に一喜一憂し、

自分の知りえない相手の一面が垣間見えると「自分は捨てられる」と恐怖し、

精神的に不安定になり、

その不安定さを落ち着けるためにまた「友達」にすがり、

そんなことを繰り返しているうちに、断ち切ることができなくなっていました。

 

 

すべてが夫の知るところとなり、

「友達」が全部消えることになった時、

喪失感よりも開放感でいっぱいになり、ようやく自分の間違いに気づきました。

 

こんなフェイクの世界に時間と労力を費やしていたことを後悔し、反省し、

やっと、前を向いて、大切なものを見失わずに真摯に生きていこうと思っていました。

 

 

だけど、夫は違いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

両極にいる私がそれぞれ転職活動をした結果

昨日は、「暴走車が私を轢いてくれないかな」なんて思いながら呆然と自転車を漕いでいたのが、今日になったら「10年後には理想の働き方ができるんじゃないか」などとのんきに思っています。

 

自分の感情の起伏にあらためて驚きますが、

ここまで感情の振れ幅が大きいのは、自分の感情すべてを外部の反応にゆだねているからです。

そう思うと、自我がなく危機的だな、と感じます。

 

 

今日、あるベンチャー企業の方お二人とお話する機会をいただきました。

 

洗練されているわけではないけれど、こざっぱりしていて無駄な飾り気のない街。

毎日来たら飽きるなー。

そんなことを思いながらオフィスのあるビルまでの短い坂を登っていきました。

 

選考前のカジュアル面談の予定だったのだけど、いざ面談が終わってみたら「この場でオファー出せます」「第一志望結果出たら教えてください。そっちに気持ちが傾いていてもこちらに来てもらえるように頑張ります。」と言われて、冗談なのが本当なのか一瞬分からず固まりました。

 

というのも、前日の第一志望の一次面接で、見事に玉砕しての今日だったからです。

 

昨日死ぬほどダメだった私が、翌日には不思議なくらい評価される。

 

寝て起きたら喋るのがうまくなっていたわけでもなく、

一日経ったら自分の思考が整理されたわけでもありません。

 

企業規模や知名度によって、面接の難しさ・厳しさの違いはもちろんありますが、

同じ2対1の面接なのに、どうして昨日はうまく喋れなくて、今日はうまくしゃべれるんでしょうか。

 

昨日は面接直前ギリギリまで準備して臨んだのに、ダラダラと結論の曖昧な返答ばかりしてしまい、

今日は面接練習も何もせず、さっと企業情報を見ただけだったのに、突然聞かれた先方のホームページの改善案まで提案できたのはなぜなのでしょうか。

 

 

「編集の仕事でも広報でも人事でもいいんですが、私の発信することでモヤモヤしたものを抱えている人が少し楽になったり、ちょっと考え方を変えてみようと思ってくれたり、頑張ってみようかなと思えたり、そういうきっかけをつくりたいんです。

いまの会社では大企業の経営層に向けて発信を行なっていますが、私はもっと個人の力を上げていくような発信を仕事にしたい。そういう考え方が一致している企業で働きたいです。」

 

転職理由と希望をこのように話した私を、最初に面談をした転職エージェントの女性は「理念ありきの転職なんて聞いたことないです」とバッサリ切り捨てました。

 

新卒で就職していないこと、正社員歴が2年しかないこと。一般論でいう相対的な弱点をことさら強調し、「あなたの経歴で、いまの企業規模、いまの環境、いまの年収で働けているのはすごいことです。今後こんな条件のいい会社はないですよ。」と言いました。

 

「それなのになぜ転職するのか?」を徹底的に聞かれ、仕方なく正直に答えると、気の抜けた感じで「ご家庭の問題は、仕方のないこともありますからね。」と言いました。

 

そのあと面談をした別の転職エージェントの女性は、とても親身になって話を聞いてくれました。

最初に提示された企業の求人票は、その場で全部応募することを決めたくらい的確に私の希望に合っていました。

 

リモート勤務・在宅勤務希望という条件を挙げると、まだまだ「そんな会社ないから」と言われることも多い中「リモートの導入具合はどのくらいだったら許容範囲ですか?例えば社内でのテスト導入期間中とかでも大丈夫ですか?」と聞いてくれたり、

「ほぼ未経験ですが、広報や人事も希望できるんでしょうか?」と聞くと「ご紹介できます」と言ってすぐに探してきてくれたり、まだ求人票もない段階の未公開求人も、「たぶん条件に合うと思います」と紹介してくれたり。

 

「時短でこれだけの業務量をこなして成果が出せているのはすごいですね。」と言ってくれました。

 

このように、私ないしは私の経歴に対するエージェントの対応も人それぞれです。

 

 

私の第一志望の会社を「こあらさんと価値観が合ってるんじゃない?」と勧めてくれる人もいれば、「ここはあんまり良くないと思うよ」という人もいます。

 

「絶対ベンチャーが向いてる」という人もいれば、「せっかく大企業にいるんだから、次も大企業で探した方がいい」という人もいます。

 

面接がうまくいく会社では、コミュニケーション能力が評価され、

面接で固まってしまう会社ではコミュニケーションに課題ありと評価されます。

 

 

そのたびに、気持ちが上下に揺れ、自分がどっちなのかわからなくなります。

今日得意だったことが明日は苦手になることに悩み、

さっきまで大好きだった会社を、一時間後には憎たらしく思う自分に悩み、

いま評価されているものが本当に自分の強みなのか不安になります。

 

対峙する人によって大きく左右される自分の性格に、

確固たるものなんてないような気がして、

私を評価してくれている会社を騙しているんじゃないかと申し訳ない気持ちにもなります。

 

ベンチャー企業の方のほうが話していてウマが合うように感じるのは、

自分の志向や適性がベンチャーに向いているわけではなくて、

大企業や知名度の高い企業と比べて、小さく無名な企業を見下しているからなんじゃないか?

だから緊張もせず普通に話せるんじゃないだろうか?

そう思うと、自分の卑しさを感じて申し訳なさが増します。

  

人には、できることとできないことがあります。

得意なこと、苦手なことがあります。

うまくいく日といかない日があります。

 

だけど、私はただひとりなのに、

饒舌に喋ることが得意な私と、どもってしまい喋ることを諦めたくなる私が両方います。

コミュニケーション能力が高い私と、絶望的にコミュニケーション能力が欠如している私がいます。

理論的な私と感情的な私がいます。

 

自分の中に、両極にいる二人の私がいて、

面接する相手によってどちらかが出てきます。

 

自己分析をどこまでしたか、企業研究をどこまで深掘りしたか、

そんなことお構いなしに、どちらかの自分が博打のごとく現れるのです。

相手にすべてをゆだねているというのはこういうことです。

 

私に好意的に向き合ってくれる人にはコミュニケーション能力の高い私が出てきて、

敵意を持っている(わけではないだろうけど、距離や壁を感じる)人には、どもっておどおどして固まる自分が出てくる。

 

そこに私のコントロールが入り込めないのです。

 

人によって、真逆の反応をする自分が理解できません。

人によって、真逆の反応を受けることに心がついていきません。

世の中も、他人も、自分も、昨日と今日は違って、

一秒後には正反対の考えを持っていることなんでざらにあるのです。

 

世の中はどうしてこうも一貫性がないのでしょうか。

ダメなものはダメ、良いものはどこにいっても良い。

○か×か、白か黒か。

そんな単純な、わかりやすい世界はないのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

キャパオーバー中

尋常じゃないくらいに予定が詰まっています。

なぜなら、転職活動をはじめたから。

 

私が引き起こしたことで、転職という選択肢を取らざるを得なくなったので仕方ないですが、仕事をして育児もあるなか、一日おきに転職の面接を受けにいくのはとても大変です。

 

企業のことを調べないといけないし、志望動機も毎回考えないといけません。

 

現職の仕事でも、退職するのを見越して無理なスケジュールを組んでしまったので忙しく、面接のために途中で抜けたり早退したりするのも気が引けます。

 

だけど一方で、転職の期限も決められている。

 

そんななか、娘の習い事の発表会が一ヶ月後に迫り、平日練習が始まりました。

自転車で片道30分以上かかる練習場所への送り迎え。

16時から19時まであるので、そのためにさらに仕事を早退。

帰ってからのごはん、お風呂、在宅での仕事、そして面接準備。

 

面接はうまくいくこともあれば失敗することもありますが、通るところは、現実には子供を抱えて働くのが難しそうだったり、方向性が違ったりします。

 

昨日は第一志望の面接だったのですが、大失敗して、もう何もかも投げ出したくなりました。

 

そして極め付けに、息子がインフルエンザに。

 

自分のせいでやらざるを得なくなったこと、努力しても仕方のないことはある。

だけど、本当にキツイ。

 

旦那に言ったら自分のせいなのに甘えたこと言うなとキレられるだろうし、しばらく何もしないで暮らせるような逃げ場になるような実家もありません。

 

どこに書いたらいいかわからなくてここにきました。

 

だけど、こんなにまでしてもキャリアがほしいです。

自分一人でも生きていける能力がほしいです。

自分に納得したいです。

 

昨日の面接で気付きました。

私はよく内省するし自己分析も得意なほうだと思っていたけど、ぜんっぜん浅かった。

 

自分の得意な分野はとことん深めるけど、不得意な分野・興味ない分野はまったく深めない。興味が持てない。

 

だけど、私にとって不得意な分野も、会社にとっては大事な部分なんですよね。

 

そこを甘く見てました。

 

 

旦那とも相変わらずちょっとしたことでギクシャクするし、仕事も家庭も全部投げ出したいです。

逃げなのはわかってるけど、何も手につかない。

何もしなくても涙が出る。

 

明日も面接なのに、何をしてる会社かもわかってない。

そもそも、やりたいことありきの転職じゃないので難しいです。

 

今の会社の環境が良すぎるので、どこに行ってもなぜ辞めるの?どうしてうちなの?を深掘りされます。

 

そこで、嘘を重ねないといけない。

見破られるところもあります。

 

知らない人と目線を合わせる恐怖。

ちょっとした視線の動きや表情の変化が怖くて、いつも冷や汗が止まりません。

 

話すことが本当に苦手なので、毎日知らない人と会って自分の意見を喋らないといけないのが辛いです。

 

時間、体力、精神力。

すべてにおいてキャパオーバーしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の理性なんて大したことないという話

脳の構造について興味があって勉強していたら「人間の理性なんて大したことないじゃん」にたどり着いたので経緯を書いてみます。

 

 

人間の脳は内側から、爬虫類脳哺乳類脳人間脳と三層構造になっています。


爬虫類脳は、呼吸や体温維持のような生命維持活動をし、

哺乳類脳は、不安や恐怖、満足など、感情を司る。

そして人間脳が理性を働かせ、理性によって体が感情のままに動くのを制御しています。

 

爬虫類脳は、本能とも言い換えられるでしょう。

生物のなかには、爬虫類脳だけを持つものもたくさんいます。


理性を持たず、本能だけで生きている生物を見てみると、生きるため、種を存続させるためだけにある体の仕組みや習性って、それだけで十分優れた機能である場合が多いのです。

そうなると、人間の理性って、良さでもあるけど余計な進化だよな、とも思ってしまう。

 

自律神経失調症や人格障害は、哺乳類脳つまり感情の活動が活発になりすぎることで、理性が本能をコントロールしきれなくなって起こります。

 

脳が発達してせっかく三層にまで進化したというのに、複雑さゆえにうまくコントロールができなくなるという皮肉。

コントロールしきれない武器を持ってしまったがゆえに悲惨なことになるなんて、原子爆弾を持った人間を表しているようです。

 

 

そんなことを思うと、ただ生きるためだけに生きるのって、すごくシンプルでいいな、と思うようになりました。

 

たとえば、深海のダイオウグソクムシは、5年間絶食しても生き続けることができるといい、3億5千万年もの間、その習性だけをもって種を存続しています。

 

イソギンチャクは、触手に魚が触れると毒針で攻撃します。

だけど、クマノミという魚だけにはその毒が効かない。

だから、クマノミはイソギンチャクの触手の隙間で安全に暮らすことができます。

一方、クマノミが隙間にいるぶん、触手を大きく広げることになり光合成する面積が増えるイソギンチャクは、栄養成分を豊富に行き渡らせることができ、成長が促進されるというメリットがあるため、イソギンチャクとクマノミの間には「共生」が成り立っています。

 

中でもアリの習性について知ったとき、わたしは激しく感動しました。

アリは高度な社会性を持つ生き物です。

女王アリと働きアリがいて、働きアリは女王アリの身の回りの世話や子育てをします。

 

さらに、働きアリの中でもめちゃくちゃ働くアリと、普通に働くアリと、サボっているアリがいて、その割合は2:6:2になるといいます。

これがいわゆる「働きアリの法則」です。

しかもサボってるアリは、働き物のアリの数が少なくなると2:6:2のバランスを維持するために一生懸命働き出します。

 

アリの話ばっかりするのも変だけど、小学生のとき、飼育箱に大量のアリを集めてアリの巣を作らせ、観察していたことがありました。

 

アリの巣はいくつもの部屋に分かれていて、それぞれが通路で繋がっています。

各部屋は、育児をする部屋、食料をためておく部屋と目的別に作られていて、導線もちゃんと利便性あるものになっています。

 

横に広がる形で巣を作るので浸水しにくくなっている上に、女王アリの部屋は最も水が入りにくいところに作る工夫もされているのです。

 

こんなにアリの話をするつもりはなかったんだけど、いままで挙げてきた例からなにが言いたいかというと、

「これらを感情や理性がなくてもできてしまうのがすごくないですか?」ということが言いたい。

 

その生物が誕生したそのときから、これらの習性が本能に刻み込まれていて、そのなかに人間がさも高尚な話をしているかのように議論する「共生」やら「社会性」やら「集団行動」がある。

 

そう考えると、人間すごい!高度な生物!とか自分たちで思っちゃってるのもわらけてくるし、アリからしたら(アリは感情持たないからそんなこと思わないんだけど)自分たちより二層も脳が多くて理性持ってんのにその程度??

って感じじゃない?

 

そう思ったら人間の理性って別にすごくなくて、ダイオウグソクムシの3億5千年の本能の歴史と比べたら大したことないじゃん、と思うのです。

 

 

理性を持ってしまったがゆえに複雑になって、結局ほかの生物が本能的な部分でまかなえてる部分について大袈裟に議論している人間の皮肉。

 

「理性はすごい!」と理性の立場から考えたらまた別の考え方が出てくるはずだし、理性が大したことないからといって「わたしは本能のままに生きる!」って宣言したいわけでもないんだけど。

 

地球に住んでると、世界は広くて、さも自分が世界の中心にいるような気分になるけど、実は地球は太陽系のなかのちっちゃな惑星のひとつで、太陽のまわりをぐるぐる回ってるだけなんだよ、みたいな話に近い。

 

自分がすごいと思ってることや人が実はぜんぜん大したことないなんてことはザラにあって、

勝手な思いこみでものごとの難易度を上げていたり、優劣をつけていたり、難しくこねくり回してるだけだったりする。

ちょっと俯瞰してみるだけで、少し気持ちが楽になる人もいるかな、と思いました。

 

「責任を取らなくても逃げ切れる」という甘い考え

問題の原因が100パーセント自分にあるとき、その責任は自分一人で取らないといけません。

 

あたりまえのことだけど、わたしはいままでそれができていませんでした。

 

自分の間違いを認めることがあったとしても、全責任を自分一人で負わなければならない状況に置かれたことはなく、「ここはわたしが悪いけど、そっちが悪い部分もあるよね」と思っていました。

 

だから、言い訳をしたり、相手のミスを指摘して、責任を相手とはんぶんこするのがわたしの中であたりまえになっていたように思います。

 

 

わたしが声を大にして「わたしは生きづらくて大変だからどうにかしたい!」と言えるのは、その原因を生い立ちや生育環境のせいにしているからです。

もし生きづらさの原因がすべて自分の行動にあるのだとしたら、そうは言えない。

 

「親のせいにしたくない」「環境のせいにしたくない」と口では言っておきながら、生きづらさの責任を小分けにして誰かに押し付けていくことで、自分の負担を軽くしていたんだと思います。

 

わたしは、生きづらさという自分に課された課題に自分一人で向き合って戦っているということを、信じて疑いませんでした。

だから、その部分で自分で自分を認めているようなところがあったし、自分はほんとは結構強いんじゃないかと思う瞬間さえありました。

 

だけどその裏には「自分一人が頑張っても、このひとが責任を取ってくれないから治らないんだよ」と言える逃げ道があって、わたしの場合、それは生い立ちだったり、家庭環境だったり、親の性格だったりするのでした。

その逃げ道があったから、生きづらさが改善しなくても言い訳ができるし、治らないのは自分のせいじゃないと言える。

そういうずるさが、無意識のうちにありました。

 

 

さらに、わたしが相手に責任を押し付けてきた部分は、自分が絶対に謝りたくないところだったり、絶対に変えたくないところだったりしました。

その部分が正しいからとか、自分の大事にしている考え方だからというわけではありません。

その部分を指摘されて治さないといけなくなったときに、変化に伴う自己負担が大きい部分だからです。

だから、言い訳と粗探しと責任転嫁を駆使して「絶対に謝りたくないこと」を死守してきたのだと思います。

 

だけど今回、わたしがいままで死守してきた根っこの部分を掴まれて、そこをどうにかしないといけない状況になりました。

いままでみたいに人のせいにもできないし、言い訳が通用しない。

 

あーもう耐えられないと思っても、親やいじめてきたクラスメイト、理不尽な上司のせいにもできず、その耐えられない気持ちをただ受け入れるしかない。

 

悪いと思っているのであれば謝ればいいことなんだけど、意地で謝れない。

論理破綻した言い訳で逃げようとする。

いままでの悪い部分の総集編です。

 

そんなことをしているので、ふと意地を張るのをやめて謝る気になったときにはすでに相手の受け入れ体制がなくなっていて、謝っても許してもらえない。

それに対しておかしいとまたわめき散らす。

さらに関係が悪化する。

 

 

そんな状況におちいっています。

 

過去を後悔する気持ちはあります。

だけど、過去にとらわれて未来を捨てることもできません。

自分の気持ちを保つため、子供との生活を健全に維持するため、良い環境を探そうとするのは悪いことではないと思います。

だけど、未来を見ている自分に罪悪感を感じる。

過去を背負って、日陰に隠れて粛々と反省しながら生きる道を選択すべきなのかもしれない、と前向きな気持ちになっている自分を引きずり下ろす自分もいます。

 

 

いままで、自分の行動の責任を取ることから逃げてきた代償だと思います。