ゆるゆる子育てライフ

楽しく生きるをモットーに、今年は自分と向き合いたい。2児の母です。

決別

過去の小さな失敗の数々が、ぐるぐるぐるぐる頭の中を回り続けて私を支配してくる。私に向けられた表情、言葉や行動から感じる温度感と攻撃性、気分が高揚した時の無駄な発言、迂闊にも気分を高揚させてしまった後悔、返しを間違えた会話、相手のつまらなさそうな反応、私には絶対に向けられない視線。

思い出すもの全てが私を責める。お前は不要なものだと突き落とそうとする。どんなに毛布の中に隠れても、怒りのようなものがとめどなく私の中に入ってくる。自分の身体が悪いものに支配される。

 

今、ここだけを生きることができない。無常。常に全ては変化しているはずなのに、過去のどこかからいつまでも動けずにいる自分がいる。過去は恥ずかしくて、とても嫌なもの。だけど、私は自分の本体をその過去に縛り付けている。過去を捨てたら私は消えてしまう。過去、過去、過去。もう終わったこと。何に怯えているんだろう。

 

だけどたぶん、捨てるのは違うと思っているから捨てようとしないんだ。私は今、辛かった過去を捨ててはいけないと思っている。過去に縛られたくないからこそ、捨てちゃいけないと思っている。それは、今を生きられるようになるために必要だから。過去を綺麗に整えて「今」から切り離さないといけない。私はその作業をしなければいけない。そうやって、混沌の中から抜け出してちゃんと今を生きたいんだ。

 

過去は好きでもなく嫌いでもなく、善でも悪でもなく「過去」としてそこに置いていきたい。「今」を生きる。私はとか、私がとか、私にとか、自分自分自分!の感覚すらも無くなっちゃえばいいのに。

 

毎年年明けの目標に「自由奔放に生きる」を掲げてきた。そしたらいつのまにか「あなたは自由奔放に生きてるよ」って周りに評価してもらえるようになってた。だけど、そんな評価からも自由になりたい。

 

私は自分の印象を操作するのが上手だと思う。これは、印象操作が成功した結果であって、本当の私は全然自由じゃない。いつも過去に縛られていて、周りの視線を避けたり受け取ったりする作業に必死だ。

 

本当の自由って、主体的にいまここに存在していることだと思う。

他人の言動に左右されたり、過去に引きずられたりしない。自分を評価する基準は他人や社会が決めたものじゃない。

自由に生きることで自分は満たされるし、周りの人も心地よくなる。

 

人の意見とか、一般的にとか、資本主義とかどうでもよくなって、他人に左右されない自分の価値観をちゃんと持って、幸せに生きられますように。

 

弟への嫉妬

可愛い弟

私には3つ下の弟がいる。

 

小さい頃からくっきり二重で可愛く、いつもニコニコしていて、中学に入るくらいまではよく女の子と間違えられていた。

中学に入る頃からは、ジャニーズに入ればいいのに、とか周りによく言われていて、女の子がプレゼントを持って家を訪ねて来たり、人気があったみたい。

私は小学校高学年頃まで、そんな弟を自慢に思っていた。忘れ物を届けに弟のクラスへ行く時、誇らしい気分になっていたのを思い出す。

 

小さい頃、私の遊び相手は弟だけだった。

母はいわゆる「ママ友」をつくらず、外の公園に連れて行ってもらうこともなかった。なので、私の遊びはいつも自宅の中と自宅の庭で完結しており、必然的に遊び相手は弟だけだった。

 

弟が、とても可愛い顔だという事を幼いながらに理解していた。

そして、女である自分より、男の弟の方が可愛いという事も。

 

でも、7歳そこらの幼い私はまだ、自分を誰かと比較したり、他人に嫉妬したりという事を知らなかった。

可愛い顔をしている弟を人形のように可愛がり、フリフリのレースがついた女の子の服やスカートを着せ、リボンのついたゴムで髪を二つ結びにして遊んでいた。

でもなぜか、自分の見た目には頓着しなかった。弟には徹底して可愛い格好をさせるくせに、私はいつもトレーナーに長ズボンという、男みたいな格好をしていた。

私の世界にある「可愛い」の全ては弟だった。

 

私は「可愛くなりたくない」

当時から自分の服はどうでも良かったし、見た目なんて気にした事もなかった。

ただ、たったひとつ徹底していたこだわりがある。

それは、自分を「可愛い」から徹底的に遠ざけること。

母は、幼児趣味のようなフリフリの服を好んで買いたがったけれど、私がずっと言っていたのは

「何の飾りもない服がほしい」

 

当時、家庭が割と裕福だったので、1着1万円を超えるような「地味な服」をデパートで買ってもらっていたけれど、私はそれがとても嫌だった。

 

まず、服を買いに行く事自体が嫌いだった。

可愛い服ばかり勧められる不快感。

試着をするたびに知らない大人にジロジロ見られる不快感。

知らない大人と喋ることなんて出来ないのに、店員と一緒になっていちいち私に意見を求めてくる母親。

 

そして、わざわざ週末にデパートまで行って高い服を買う嫌悪感。

私は服にこだわりがないのに、わざわざ高い服を買う意味がわからない。

みんなみたいにしまむらで買えばいい。

でも、お母さんにそんなこと言ったら嫌な顔される。

だから言えない。

なるべく目立たない、特徴のない服を選ぼう。

いつも選ぶ基準はそれだけ。

 

自分の顔をはじめて見た

中学に入り、人並みに好きな人が出来てから、私ははじめて自分の容姿を気にするようになった。

 

はじめてまじまじと見る自分の顔。

奥二重で、目が離れてて、顔が丸い。

そして、歯並びがものすごく悪い。二本飛び出た大きい前歯、口を閉じても形がわかるくらいの八重歯。

はじめて、自分の顔が嫌いだと思った。

弟みたいに可愛い顔に生まれれば良かったのに。

何度も何度も、そう思った。

 

人生最大のコンプレックス

そんな中、弟が歯列矯正を始めた。

でも、弟の歯並びはそんなに悪くない。

なんで?と母を問い詰めた。

なんで、明らかに歯並びの悪い私には歯列矯正をしてくれず、元々歯並びの綺麗な弟にはするの?

 

母は、今のうちだと早く綺麗になるんだって。〇〇(私)の頃は歯医者さんに矯正勧められなかったんだよ。〇〇(私)の歯は大きくて伸び伸びしてる感じがするし、八重歯も可愛いよ。

そう言った。

 

その時は、私の場合は歯並びが悪すぎて矯正が難しいのかな、なんて思って納得してたかもしれない。

 

でも、少し経って、弟が何十万かかった矯正をやめた。

理由は、「気になるから。」

母もそれを許した。

 

私は、それが今でも許せない。

私がずっと悩んできた歯並び。

一時期はカメラを向けられると体が硬直するくらい気にしていた歯並び。

狂ったように、出ている歯を指で押し続け引っ込めようとした歯並び。

自分の部屋にこもって、鏡の前で歯が目立たない笑い方を必死に練習した歯並び。

 

私が正社員になりたい、お金が欲しいと思うのも、矯正がしたいから。

お金のない時期にも矯正をしたいと言い続け、今それどころじゃないだろ、と旦那に言われ何度も喧嘩した。

 

そのくらい私の人生最大のコンプレックスである歯並び。

そんな歯列矯正を、「気になる」という理由だけで弟はやめた。

 

登校拒否、そしてニート生活

弟は中学の途中から学校に行かなくなった。学校に行かなくなってからは、ずっと自分の部屋にこもっていた。夕方くらいまで寝ていて、夕飯の時だけ部屋から出てくる。夜中はまた部屋にこもって何かしていた。完全に昼夜逆転の生活。

 

当時は、私の家庭内暴力がひどかった。

無抵抗の両親を怒鳴りつけて、家の壁を壊し、勢いでガラスに腕を突っ込んで大怪我したり、家にはほとんど帰らなかった。

私の怒りは引きこもりの弟にも向いて、顔を合わせれば理不尽に殴りかかっていた。弟も、両親と同じく無抵抗だった。

あの頃、私に反抗する人間はひとりもいなかった。(と思っていた。)

 

学校の先生だって同級生だって私のことを無視するし、彼氏は私の言いなり。友達も、私を「そういう人」として扱ってくれる。警察だって優しく諭してくれる。

私はそんな人達の上に立っている錯覚に陥っていた。

 

そんな私だったけど、なんとか気持ちを立て直して、家を出たい一心で大学を受験。18歳から東京で一人暮らしをはじめた。

その頃弟は、中学の担任の先生がなんとかしてくれて高校に入学したもののすぐに中退。

やっぱりな、とは思ったけど。

 

弟はそのあと通信制高校に通い高卒資格を取ったけれど、そのあとの大学受験で第一志望の大学に落ちて、進学を諦めた。

予備校に通ってもう一度受験したけど、やっぱりだめだった。

唯一受かった福祉系の大学は「行きたくない」といって行かなかった。

それからまた引きこもりの生活をしている。

 

東京で弟と暮らす

数ヶ月前、私が帰省し、たまたま話す機会があったときに「やりたいことがあるから東京に行きたい」という話をされた。

私はずっと弟に暴力を振るっていたから、そのせいで彼はずっと引きこもってしまってるのかもしれないという負い目を感じていた。

だから、自分でやりたいことを見つけて外に出たいと思ってくれたことが嬉しくて、旦那と相談して、居候という形で数ヶ月うちで暮らしていいよ、ということにした。

仕事も、旦那が会社の社長に取り合ってくれて、旦那の会社でアルバイトとして働かせてもらうことになった。

 

だけど、東京に来て3ヶ月、弟は朝から夕方までずっと家で寝ている。料理を作ったり、洗濯したりもしない。仕事は、別の現場でもいいかと打診されたら断った。

理由は「危ないから」

 

弟にあって、私にないものって何だろう?

私のやってきたことひとつひとつは間違ってたかもしれないけど、私はずっと何か正解を、本当の自分を探して、必死で生きてきた。

お金がない時期もあったけど、昼夜ダブルワークして、奨学金をもらって大学に通ったし、親からの仕送りは拒否した。反抗期に酷いことをしてきたからその反省として、親からの援助はもらわないで生きていくと決めていた。

 

20歳で結婚して、結婚式も挙げず、結婚指輪もなく、子供が生まれても、借金して、夜勤で働き、ようやくここまで来てるけど、家庭を持ってからも自分達の力で生きていくと決めて、ずっと必死だった。

 

必死すぎて、格好なんて気にしてる暇なかった。仕事なんて選んでられなかった。今月どういきていけばいいんだろうと毎日思っていた。

とにかくずっと仕事をしていた。ずっと子供と一緒にいた。毎日生きることに必死だった。

 


「甘えてる」

私が弟に抱いてる気持ちはずっと一貫している。最近になって、中学に行かなくなった理由を聞くと「部活の朝練が嫌だったから」らしい。

 

矯正もそう。中学も、大学受験も仕事も夢も全部そう。
嫌だからやめればいい。
やりたくなければやらなくていい。

やめても「誰かが助けてくれる」

弟は、ずっとそうやって周りに甘えて生きてる。

 

自分は誰にも頼らなかった。

頼りたかったけど頼れなかった。

誰も助けてくれなかった。

誰も私のことを見てくれなかった。

なんでも自分で決めなければいけなかったし、相談することも出来なかった。

ずっと、ずっとひとりだった。

 

弟が羨ましい。

努力しなくても周りに助けてもらえる。

ずっとぬるま湯に浸かっていればよくて、そこから出るのを急ぐ必要もない。

苦しいことはしなくてよくて、嫌なことを我慢しなくても誰かが生かしてくれる。

頑張らなくても、誰かが見てくれてる。誰かが手を差し伸べてくれる。

 

私が「私を見て!」と身体全体で死にものぐるいで叫んでも、誰も見てくれなかった。

でも、弟は自分から何の発信もせず、目をつぶって楽な道を選んで待っているだけで誰かが見てくれる。手を握ってくれる。

 

 なんで?私の方が努力しているのに。

なりたい人

※今日はたぶん、いつもここに記事を書く時の私とテンションが違う私です…

 

2018年の抱負も兼ねて、こんな人になりたい!っていうのを書いてみました。

 

 

いつもニコニコ穏やか。

安定感のある人。

 

職場でいつも思うのですが、集中して作業していてふっと気が抜けたとき、無性に誰かに話しかけたくなることがあります。

私の職場は席が固定ではないので、いつも周りに座るメンバーは違うのですが、あたりを見回すと、壁のある人とない人がいます。

そんな中で、ちょっと視線を送れば目が合って笑いかけてくれる人って、すごく癒し。自然と会話できます。

 

私はこれが出来ずに壁を作ってしまうほうなのですが、それは雑談力に自信がないのが一番の理由。

何にも話すことないのに目が合ったら嫌だなあ、という気持ち。

でも、雑談といっても職場で話すことだし、関わりも仕事しか基本ないので、自分がもっと各プロジェクトに深く関わるようになって裁量が大きくなれば、話すことにもそんなに困らなくなるかなあ、と期待しています。

 

最近気付いたのが、気分の浮き沈みは全ての人にあるのが普通だけど、それを外に出す人って意外と多いんだな、ってこと。

そんな中で、常に気持ちが安定している人は良い意味で目立ちます。そうなりたいなあ。

 

向上心があり

学ぶことを楽しんでいる人。

 

私は25歳の時、ノーキャリア(パートアルバイト経験しかない)で今の会社に入りました。

それでもある程度認めてもらえてるのは、「やったことないけどやりたいです!」を常に発信しているからだと思います。(もちろん、企業風土や業界による部分もあると思いますが。)

 

同級生がみんな新卒で仕事を始める中、自分は約3年間育児をしていました。「人と違う人生も良いよね」という気持ちもある反面、遅れや焦り、取り残されてる感も感じていました。お金も絶望的に無くて100万円以上借金していました。

 

自分の名刺は持ったことないし、ショートカットキーなんて一つも知らない。エクセル?パワポ?なんですか?状態。

 

でも、子供を産むと時間の流れが倍以上に速くなります。それが私にとってすごくありがたいことでした。

何もしたいことがない、やる事がないと漫然と過ごしていた未婚の学生時代にはなかった、「今やるしかない」という感覚。

 

子供を産むと、自分の年齢だけでなく、夫や子供の年齢、ライフステージが自分の人生に深く関わってきます。子供が小学校に入るまでにとか、3歳になるまでに引越ししたいからそれまでにとか考えていくと、今のうちにやらなきゃいけない事が山ほどあることに気付きます。

 

私は第一子妊娠中から今までの間に、3個の資格を取り、転職もしました。

「時の流れは早いから、やりたいことは全部前倒しでやらなきゃいけない」波はあれど、常にその気持ちでやってきました。

 

だから、仕事においてもプライベートにおいても、常に勉強していなきゃいけないし、自分の可能性を広げなきゃいけない。30歳まであと2年。35歳まであと7年。限られた時間で成果を出すには、自分からアピールしていかないといけないと思っています。

だから、未経験でもチャンスをもらうために、「やりたいです!」を常に発信し続けること。それで、必要な要素が出てきたら、とにかく勉強すること。

 

そんなこと言ってますが、わたしはまだ足りないです。必死でやってはいるけど、子供と家庭とでリアルに時間がない。結果も出せてない。時間創出の工夫と、モチベーション維持、そしてメンタルの安定は必至です。

 

人に嫌われない人、

人を嫌わない人。

 

壁を作るから嫌われる。嘘をつくから嫌われる。見栄を張るから嫌われる。裏表があるから嫌われる。

だけどそれよりも、「人を嫌うから嫌われる」のだと思います。

 

相手の言動に敏感で、自分が嫌われてると勝手に思い込み、避けたり態度に出したりしてしまう。これは境界性パーソナリティ障害の特徴でもありますが、そのセンサーを弱めたい。

「勝手な思い込みで人を嫌わない。」

超低レベルだけど、私の場合、まずはそこからだと思います。

 

あと、人を嫌わないに通ずるものとして「悪口を言わない」。愚痴と噂話、他人の話は悪口と紙一重ですが、「本人が聞いたら傷つくようなことは言わない」は常に守っていきたいと思います。

 

自由奔放で、

自然体な人。

 

これは毎年目標に掲げていますが、今年はかなり近づけた気がします。全てオープン。

だけど、行動が良く無かったなあ。

良くない行動をしてるのに、全部オープンにしてしまってるから、あんまり良い印象を持たれなかっただろうなあ。

あとは、自分のツンツンするところが嫌い。それにも一応理由があって、上に書いた「嫌われてる気がする」という被害妄想だったり、相手が好意を持ってくれているのを感じると離れようとしてしまう境界性パーソナリティ障害の特徴のひとつであったりするのですが、なりたい自分じゃないし、自然体じゃない。無理してます。

 

来るもの拒まず、去る者追わず精神で、常にフラットでいつつ、人を傷付けないようにしたいです、今年は。

人に左右されて自分をコロコロ変えてしまうのは本当に嫌だなあ。

 

強い意志があり

人に伝えるのが上手な人。

 

自分の意見がちゃんとあって、根拠もしっかりしていて、それを人に伝える。

それができるようになりたい。

 

私は「人の気持ちや行動を変えられる人になりたい」というのを人生のテーマに掲げているのですが、そのためには確固たる意見とそれを裏付ける経験、そして伝える力が必要です。

 

ただ意見を押し通して勝ち負けというのではなくて、ちゃんと人を納得させられること、行動に繋げられることが重要。

 

そのために今足りないのは、根拠と伝え方。

意見だけは、こう思う!と言えるのですが、感覚的なところに頼りきっていて根拠がなかったり、あっても伝える時にもごもごしてしまったり。

 

インプットとアウトプットを繰り返して訓練するしかなさそうです。

 

 

新年は気持ちが新たになりいいですね。

いままでの仕事はサービス業ばかりだったので、なかなか長期休暇が取りづらかったのですが、今年はなんと12連休。

しかも実家に帰っているので、子供たちともべったりじゃない。

 

毎日最低限のことをこなすのでいっぱいいっぱいだったのですが、自分とゆっくり向き合うのって大事だなと思いました。

心が安定するし、過食を一度もしていない。

お腹がいっぱいの時は、お腹がいっぱいだから空腹になるのを待とうって思えるし、子供にイラっとして怒る時も、「それをやってはいけないと思う理由」を落ち着いて話せます。

 

自己実現と子供への投資のために、今の忙しさはしょうがないのかもしれないけど、この心の安定を忘れずにいたいなあ。

 

自分は前向きに考えられる人だ。

生活が回らないほど忙しくなったら、休む!

長期休暇はなるべく長く取って実家に帰るか海外に行く!

 

なりたい人になりたい。

あと少し、頑張る。

 

 

 

2017年 影響を受けた本

本を読むのが好きです。

 

溢れ出そしそうな感情を文章にするのはとても難しいです。このブログには、自分の気持ちを赤裸々に、素直に書いているつもりだけど、やっぱり表現しきれない感情が沢山あります。

心の中に秘めている思いを、まるっと表現してくれる小説が好きです。

 

⬇︎泣く本がいいのかな。

大事なのは、泣く事 - ゆるゆる子育てライフ

 

 

 

 大好きな西加奈子さんの本。

このお話に出てくる「ちせちゃん」に自分を投影して読みました。外から見える私はきっと「ちせちゃん」みたいなんだと思う。性に奔放で、気が強い。

だけど本当は気が弱くて自信がない。自分の世界に入り込むような「きりこ」の部分もある。

いろんな挫折や葛藤を経て、きりこやちせちゃんが、私は私でいいんだと気付いていく過程に勇気をもらい、あなたはあなただから素晴らしいんだよ、と抱擁されている気持ちになって何度読んでも涙が出ました。

全部の登場人物に幸せになってもらいたいと願った一冊。

 

 

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

 

 

これも西加奈子さん。

今年に限らず何度も読んでいるけど。

自分の事に置き換えてばかりで申し訳ないのですが、この主人公も本当に自分と似ている。自意識過剰で気が強い。嫌われるタイプなんだろうなあ、わかるなあ、自分もそうなんだなあ、って…。

主人公の姉は何歳になっても自分の世界にどっぷりと浸かり、周りの目を気にせずに生きている。一方で主人公の百合は、周りに合わせて常に妥当なポジションに収まるよう生きてきた。

こんな兄弟関係も自分と重なり、こっちが必死で生きてきて、それでもうまくいかずに悩んでいるのに、実弟はのんびりニート生活をしていて、特に悩むでもなく将来を悲観するでもなく生きている。

その悔しさとか羨ましさを見事に表現してくれていて、こちらも涙が止まりませんでした。

 

自分を見失って、本当の自分がどこにもいない感覚がすごくよくわかります。そして、周りに変な目で見られても自分の好きなように生きている人への羨望の気持ちも。

徹底的に最適なポジションに収まっていくことも、徹底的に自分の心に従ってぶっ飛んで生きることも、どっちにも振り切れずに自分を見失ってしまう。

だけど、「そんな時もあるじゃん!あなたはあなただから美しいのよ!」って、圧倒的な説得力で自分を支えてくれる大切な一冊です。

 

 

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

 

人に教えてもらって読んだ本。

すごく重いんだけど、みんなが一生懸命生きてる。自分のアイデンティティを保つこと、社会の中での役割を果たすこと、家庭の中での役割を果たすこと、他人と関わること、人に教えること、伝えること。この世界は全てが難しい。だけど、あみ子のずれてるけど、間違ってるかもしれないけど、真っ直ぐな行動と発言に清々しさを感じる瞬間がありました。

昼休みに、誰もいないビルの隙間で泣きながら読みきりました。なにやってんだろ。

 

 

そして、2017年は興味の範囲が大きく広がった一年でした。

「自分の性格を変えたい。心の持ちようでは、自分の意識ではどうにもならない。どうしよう。」

紆余曲折の末にたどり着いたのが、脳科学でした。

心理的な世界は、変化させようとする範囲(人間の気持ち、考え方、物事の捉え方)に限界がないと感じます。それに比べ、脳は変化の幅が狭い。(脳の形や細胞の形が人によってそこまで大きな差がないという意味で。)

 

限られた範囲で、性格を変えるために自分が出来ることがある。それなら学びやすいし実践しやすい。自分を変える道のりが長すぎて途方に暮れていた私に近道を提示してくれたのが脳科学の世界でした。

 

 

脳科学は人格を変えられるか?

脳科学は人格を変えられるか?

 

 

タイトル通り「人格を変える」可能性を秘めた脳の実験が多数収録されています。脳科学について何の知識もなかった私は、性格=遺伝80%+環境20%くらいだと思っていました。そしてそれは努力で変えられるものではないと。

だけど、脳の可塑性は非常に高いこと。記憶の入れ替えができること。書かれている実験は研究室レベルのものが多い印象でしたが、人格って、努力次第で変えられるのかも、と勇気をもらいました。

そして、余裕が出来たら脳科学についてちゃんと学びたいな〜なんて学習意欲も湧いてきました。

 

 

そして、境界性人格障害(ボーダーライン)についての本。

自分を何かの病気に当てはめることは本当に正なのかとずっと悩んできました。

心療内科でうつと診断されたり、ネットでADHDのチェックテストをすると見事に当てはまっていたりしましたが、いままでは素直に受け入れられなかった。

だけど、これだけは、すっと自分のことと思えました。良いのか悪いのかは未だにわからないけれど、本を読んで、境界性人格障害のことを知れば知るほど、自分の過去の感情が湧き出てきました。

恥ずかしくて悲しくて、誰にも知られたくなくて、秘密にしたくて、長年押さえつけてきた感情。だけど、その感情の中には本当の私がいました。

ずっと欲しかったもの、本当の気持ち。

本を読みながら、出てきた感情を書き出す作業はとても辛いです。

でも、大人になったいまの私が、私の中にいる傷ついた子供の私を助けてあげないといけない。そう思えたのも、境界性人格障害についての知識を学んだからでした。

カウンセリングに通うキッカケにもなったし、今後も何度も読み返すのだと思います。

 

 

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

 

 

すごくわかりやすく、専門的なのに読みやすく、自分のことを整理する準備として読むのにベストだと思います。岡田先生自身が境界性パーソナリティ障害の人と初めて関わった衝撃と戸惑いからこの分野の研究を始めているそうで、愛情と深い理解を感じられる本でした。

いま手元にないので表現が違うかもしれませんが、巷に「ボーダーラインは一刻も早く見捨てるべき」というメッセージが広がる中、岡田先生は本の中で「ボーダーラインの人は人を惹きつける不思議な魅力を持っている」「乗り越えたらもっと魅力的な人になれる」そんなメッセージを書いてくださっていて、現在と未来の自分を認めてくれているように感じました。

 

 

境界性人格障害(BPD)のすべて

境界性人格障害(BPD)のすべて

  • 作者: ジェロルド・J.クライスマン,ハルストラウス,星野仁彦,Jerold Jay Kreisman,Hal Straus,白川貴子
  • 出版社/メーカー: ヴォイス
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 15人 クリック: 105回
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こちらは専門書に近い印象です。ただ、境界性パーソナリティ障害自体については、まだ曖昧な解釈となってしまう部分も多いようで、議論の余地あり、という書き方で現在の研究概要を述べている箇所も多くありました。

前述の岡田先生の本で核の部分を学び、オプションの情報をこちらで得るのが良いと思います。

事例紹介がとてもリアルなので、読んでいると急に自分の過去の記憶が思い出されたりすることが多々ありました。

 

 

人生に生きづらさを感じるようになってもう10年近く経ちます。ひたすらに自分と向き合い、アイデンティティを確立させようと闘ってきた10年でした。

何度も死にたいと願い、何度も強くなると決意して生きてきました。

 

そんな中、今年は、このブログを自分のアイデンティティの拠点にできた気がします。

ブログを開設してから、はじめの2年くらいは、年に数回しか記事を書いていませんでした。自分の感情を外に出すことに抵抗があったからです。

 

でも、感情が大きく揺れて、泣きながら気持ちを文字に書き起こしている時、一瞬、冷静に自分を客観視できた瞬間がありました。

それから、その作業を継続するようになり、一気に自分の過去の整理が出来てきました。

意識していたわけではないのですが、自然とこのブログが拠点になり、同じ作業を繰り返し続けてきたことに意味があったのだと思います。

目まぐるしく現れては消えていく感情たちをここに留めていくことで、自分は何者なのか、何を考え何を求めているのか、明確にできてきた気がします。

 

そして、いままでずっと言えずにいましたが、毎日読んでくれる方がいたことが、私にとって本当に心の支えとなりました。

自分のためだけにはじめたブログ。だから、本当に恥ずかしいことばかり書いていると思います。裸よりもさらに裸で、ただただ自分の核をさらけ出しているような記事ばかりだと思います。読んでいて嫌な気持ちにならないのかな、と心配になってしまうくらい…

 

だけど、毎日100〜400人もの方に見に来ていただけていて、お役に立てる記事でもないのに本当にありがたい限りです。

私はこのブログを拠点として自分を探し続けていますが、その過程を見てくださっている方がいると思うと、すごく嬉しいのです。(自分ではもう読み返したくない記事が山ほどありますが…)

ブログ自体の印象が良くないはずなので、自分からはあまり関わりを作れずにいますが、本当は人との関わりを渇望しているのだと思います。

心から感謝申し上げます。

ありがとうございます。

 

⬇︎Twitterやってます。お話できる方がいると嬉しいです。

@

 

Twitter勧めてくださったたまご豆腐@適応障害 はてなブログ (@tamagodofuu) on Twitterさん、ありがとうございます!

(アカウント出さない方がよければ、お手数ですが教えてください!)

 

2017年も、本当にありがとうございました。

 

 

 

境界性人格障害と、私の仕事について

わたしはいま編集の仕事をしていますが、すごく楽しいです。

 

自分のアイディアや意見を発信するのも、企画を立てるのも、デザインを考えるのも好き。

地味な仕事ですが、校閲の作業も結構好きです。

人によって書く文章が全然違うし、文面にその人の性格や特徴が滲み出るから、それを見るのが楽しい。

わたしのこのブログはどう見えるのかなあ。

 

昔から友達がいなかったので、本と図鑑と辞書を読んで過ごす事が多かったです。

それをノートにまとめたり、絵を描いて綺麗に色を塗ったりする作業が大好きでした。

今だに本を読むとそれを図式化したくなるし、わかりやすく見せたい衝動に駆られます。

時間が許すなら、一日中でもやっていられます。

 

今の会社で、自ら編集の仕事を望んだわけではなかったのですが、上司からお話をいただき、数ヶ月前に部署異動。

最近少しずつ仕事が増えてきました。

PhotoshopIllustratorでの作業も、やったことないので探り探りだけど楽しいし、勉強のためにセミナーにも参加したいと思っています。

 

自分がメイン担当で進めるプロジェクトも2ついただき、その作業がすごく楽しいです。

 

スケジュールを立てるのも、制作会社、関係者とのやり取りも楽しい。

パワポの企画書ひとつ作るだけでもワクワクする。

自分の裁量で何かを作り上げることが出来る環境。徹底的に満足いくものが作れる環境。

 

時短で二人の子持ちなので、ある程度時間的制約はありますが、わたしのやりたい気持ちを理解してくれて、経験がないのに評価してくれている上司と会社には感謝しかないです。

 取材や長時間の会議の時に子供達の送迎を代わってくれる夫や義母にも感謝です。

 

 

境界性人格障害の人たちは、しっかりした組織構造・明確な職務内容・支援態勢の整った職場では、最大限の実力を発揮できる場合が多いそうです。

知性や芸術的才能に秀でている人も多く、俳優や芸術家の中には、ボーダーの気質を持った人が多くいると言います。

 

私の場合、才能があるわけではないけれど、規模の大きな会社にいることで、上に書いた条件に当てはまっている環境で仕事ができているのだと思います。

 

前職では、どれだけやっても認められないし、自分のできる仕事が既に決められていて、年数を重ねたところで出来ることが広がらない。

そんな不満を抱えていて、「正当に評価してくれる職場」を条件に仕事探しをしました。

そして、今の会社に入社するに至りました。もうすぐ一年です。

 

ただ、いつも怯えているのが、人間関係の不安定さ。

 

嫌われてるかもしれない。バカにされてる気がする。品定めされてる。

そんな被害妄想が常にあるので、人前に立つと急に汗が出てきたり、手が震えたり、動悸が激しくなったりします。

何もない時でも、考え過ぎて同じ状態になることがあり、一度ぐるんぐるん回るような目眩に襲われて、必死でトイレに駆け込み、うずくまってしのいだこともありました。

 

人とのやり取りの中でも、思った通りのものを作る方に意識が行きすぎて、周りの人の意見を排除しようとしてしまう事があります。

また、すぐに人と比べて自分の方が上だと認識している時もあります。

 

仕事ができる人、できない人といつのまにかラベリングしているし、人を利用しようという方に意識が向きそうになります。

 

逆に、自分が勝てない悔しさに気持ちが負けそうになることもあります。特に、「話す」分野においては顕著で、自分に自信がないのが外に出てしまいます。

 

「いつもあんなに気が強いのに、なんで自分に自信がないんだろうね?」

飲み会の席で上司に言われた一言を思い出すと、本性を見抜かれているようでやっぱりパニックを起こしそうになります。

 

自分の出すものに自信があるようでやっぱりない。

職場でパニックやトラブルを起こしそうで怖い。

ずっとその緊張感の中仕事をしているので、

いつも、帰りの電車で不整脈が酷くなり、倒れそうになりながら帰る日々です。

真冬なのに汗だくで最寄り駅に着きます。

 

もう人と話したくないし、ひとりで冷静になる時間がほしいのに、時間までに子供二人をピックアップしないといけない。

19時に家に帰ってからも、ごはんやお風呂を急いで済ませないと、22時までに寝かせられない。

もっと余裕があれば、少し気持ちが安定するのかもしれないと思うこともあります。

 

だけど、認められたい。

容姿に自信を持てる見込みがない私は、もう仕事しか希望が持てるものがない。

だから、絶対に結果を出したい。

辛くても、体がキツくても、これしかない。

そんなすがるような気持ち。

 

お願いだから、職場で問題を起こさないで、と、いつも自分に念じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行政には頼れる。親と夫には頼れない。

少し、周りに頼れるようになった。

 

子供達を守ることが出来るなら、行政に助けてもらう。

私はひとりでいたらこの子たちを虐待する。記憶が飛んでる間に殺してしまうかもしれない。

 

ずっと、自分を守ろうとしてきた。

まともな、正常な、素敵な母親に「見える」ことを最重要視していた。

 

だけど、そのプライドを捨てた。

私がどんなに危険人物認定されてもいい。

 

そう思えるようになったのは、自分の可哀想な面に気付いたからかもしれない。

親からの愛情が分からずに育ち、絶対になくならない帰る場所はなく、自分が必要な人間だと思えず、ずっと誰かに寄生していないとフワフワと消えてしまいそうになる。

 

そんな私が見栄と虚勢を張り、無駄なプライドを掲げ続けることで、自分をもっと苦しめて本当の孤独に近づけてしまうことがわかったからかもしれない。

 

私が本当に欲しいのは永遠に続く愛情。

絶対になくならない安心できる場所。

自分を必要としてくれる世界。

誰でもない自分への自信。

 

いつも不安に駆られている。

いつも、頼りない感じがする。

行政には頼れるようになった。

カウンセリングでもちゃんと話せた。

 

だけど、親と、夫には、

私を抱きしめてって頼めない。

私のことを見てって我儘を言えない。

 

いつかみんな私から離れていってしまう。

私が泣いたら、私が怒ったら、捨てられてしまう。

ちゃんとできない私はいらない。

怖い。

いつもわたしは、ひとりぼっちになってしまう。

 

離れないよ。ずっとそばにいるよ。

心からそう思われたい、言われたい。

本当の安心が欲しい。

絶対に消えない帰る場所が欲しい。

わたしの居場所が欲しい。

ふわふわ飛んでいきそうになるのを見ていないで、捕まえて欲しい。

私のことを見捨てないでほしい。

ひとりになりたくない。

怖い、怖い、怖い。

 

私が私のままでいても、嫌わないでいてくれる人がほしい。

でも、私のままの私って誰だろう?

自分のことが分からない。

人のことを信用できない。

 

 

娘に、「ママのいちばん仲いいお友達は誰?」って聞かれて、誰の名前も出てこなかった。

そういえば、自分の母親に聞いた時もそうだったなあ。

 

なんて可哀想な人なんだろう、と子供ながらに思っていた。

「自分のお母さんは、友達がいなくて可哀想。」

 

だけど、今の私は当時の母親と全く同じだ。

私は子供にあの頃の私みたいに可哀想という感 情を抱かせてしまったのかな。

 

なんで私の問題で子供を悩ませてるんだろう。ダメな母親。

 

「ママとあなたは違う人間なんだよ。」

 

いつも子供に言っているその言葉は、子供の頃の自分に言いたい言葉なのかもしれない。

私は、母親の人生を生きていない。母親の人生を踏襲する必要なんてない。

なのに、母親のたどってきた道をたどっているような気持ちになる。

 

母親と分離したい。

してるようでできてないかもしれない。

疲れたなあ。 

 

 

ちょっとパニックになり寝た

年末年始、実家に帰っています。

 

普段は遠くてなかなか帰れないのですが、子供が生まれてからは長期休暇の時、年2回ほど帰ります。

 

いろんな気持ちが溢れてきて、書きたいことが山ほどあるんだけど、なかなかゾーンに入らず、下書きばかり溜まっていきます。

でも、こうやって気持ちを言葉にしていくことで冷静になれてる気もする。

 

 

実家に帰ると、時間に余裕もあるし、色んな思い出がある実家や場所なので、親との関係、高校の時に長く付き合っていた彼氏のこと、今までの異性関係の記憶がフラッシュバックすることが多く、とても苦しくなります。

 

わたしは実家にいた当時から恋愛に対して歪んだ捉え方をしていて、好き嫌いじゃなく、心の支えだとか、自分を理解する場所のようなものとして利用していた感覚があります。

 

あり得ない束縛や振り回す行動ばかりして、昼夜問わず困らせていた当時の彼氏が書いているブログをたまに見てしまうことがあるのですが、それに自分の事が書かれていたりすると恥ずかしくて消えたくなります。

なのに、実家に帰ると必ず見てしまう。

 

自分の覚えていなかった記憶。

若かった、と一言で済まされる私の無謀な行動と無茶な要求。

私は彼からこう見えていて、いまこんな感情に昇華してくれてるんだな、っていうのを知りたい。

だから彼との思い出が多い実家に帰ると、どうしても見てしまいます。

 

その彼に限らず、好き好き言い合って、もうこの人しかいないと思っていたのに、些細な嫉妬がきっかけで一瞬で相手の気持ちが離れていってしまったり、それを追いかける自分の惨めさとか

 

求められれば応えていた自分は、ただ、男性の性欲処理のために必要だったんだな、と思えるような相手の対応とか

 

本当に好きな人なんてできた事ないんじゃない?ってなんども言われたこととか

 

自由奔放に生きてるね。

自分に正直だね。

すごいね。

いままで私の話を聞いた人にかけられる言葉たち。(全部マイナスの意味に捉えている)

 

いろんな記憶がフラッシュバックしたあと、自分の容姿に耐えられなくなって、今日はパニックになりました。

 

ブスが何をしてるんだろう。お前なんか誰も求めてない。都合良いから使われてるだけ。勘違いするなブス。

 

自分の顔も体も嫌いすぎて、全身整形したいです。跡形も無く別人になりたい。キライキライ。キモチワルイ。

 

こんな容姿で男に媚びて、好き勝手していると思ったら耐えられなくなりました。キモチワルイ。

 

誰も私の事なんて好きになってくれるわけない。ブサイク。

 

それなのに、自分で自分を試すように、私と会ってくれる人を探そうとしてしまう自分に絶望します。

 

自分のしてきたその行動が嫌で、許せなくて、いまこんなにパニックになって、悲しくなって、おかしくなりそうなのに、同じ事でしか上書き出来ない自分。

 

なんでこんなに醜い人間なんだろう。惨め。悲しい。誰とも会いたくないし、会えない。可愛くないから。だけど、見捨てないでほしい。助けてほしい。誰かに必要とされたい。自分が嫌い。キライキライ大嫌い。だから過食する。そして食べない。痩せたいと思うのにいつまでもデブ。肌が綺麗だね。細いね。綺麗な身体だね。その言葉が欲しい。本当に?私が本当に欲しいものは何?

 

私の存在はここにあるんだよね?

私はここにいていいの?

私はなにを怖がっているんだろう。

 

自分がわからない。

おかしくなる。ずっと、涙が止まらない。

誰か、ここに居ていいよって言って。

私がいることを許してほしい。