ボーターじゃない

都内で働く6歳(小1)4歳(年中)2児の母。境界性パーソナリティ障害(BPD)、自閉スペクトラム症(ASD)、HSPの傾向があります。目標は生き辛さの解消。※ブログ整備中。見辛くてすみません。

私が幸せになってはいけない理由

制限のないひとり時間

一昨日〜昨日は、旦那が子供達を義実家に連れて行ってくれたので、久しぶりに一人で過ごした。

 

行けていなかったジムも、昨日行けた。

身体のフワフワ感が抜けなくて、ほとんど休んでいたけど、行けた。

 

自転車を漕いでる時も、子供達の話を聞かなくていいから、空を見たり、風景を見ながらゆっくり漕いだ。

 

紫陽花が綺麗だな、お母さんと電車を見てる男の子が可愛いな、抱っこされた赤ちゃんが傘を持って遊んでるの可愛いな。

 

綺麗、可愛い。

そういう感情を久しぶりに持った。

 

一人で、時間に追われないで過ごすことって大切だな。

 

知らないおじいさんに感じた“無償の愛”

 

ジムの帰りに、駅でおじいさんに話しかけられた。

 

「補聴器のお店を教えてほしい。」

 

めんどくさい…。変な人じゃないかな…。

一瞬迷ったけど、調べて、店の前まで一緒に行った。エレベーターの二階なのでここから行けますよ。と伝えた。

 

「お姉さんありがとう。」

小っちゃい声でそう言って笑顔を見せてくれるおじいさんを見て、お店探してあげてよかった、と思った。

 

なぜかその時、久しぶりに感じた無条件の愛。無償の愛ってこれ?

見返りを求めない優しさ。

 

いつも誰かと戦っている感覚。

例えば子供におやつをあげるときも、「片付けしてからね。」

旦那が飲みに行くときも、「じゃあ来月、私が夜飲みに行ける日を教えて。」

人と対等でいないといけないと思ってて、自分が損をするのがすごく嫌。自分が不利になるのもすごく嫌。だから、交換条件を出すのが癖になっている。

 

子供がもらうべき“無償の愛”

私は見返りを求めずに子供と向き合えてる?

「私が大人になって苦しんだから、娘には自分と同じ苦しみを味あわせたくない」と子供の幸せを願う気持ちが、押し付けになっているかもしれない。

子供に、「私と正反対の人間に育つ」という見返りを求めて子育てしている気がする。

 

「私みたいな性格の娘」がありのままの彼女だということを認められないから、必死に私と違う人間になるようにコントロールしようとしている。

 

それは、“無償の愛”ではないよね。

 

幸せを感じることへの抵抗

おじいさんと別れて、カフェで本を読んでいた。

 

カウンセリングを受けているような感覚になれる本。

 

 

許されていなかったことを言葉で許してくれる。自分の思考では触れられない心の奥底に入ってくる。読んでると、過去の記憶だったり、固く閉ざしていたはずの心の蓋を開かれそうになって心がざわざわする。

だけど、私はこれからこのざわざわと向き合って、ちゃんと整理して、歪みのない価値観を学んでいくんだと思って、暴れそうになる感情を一旦落ち着けた。

 

1時間くらい経った頃、仕事に行っていた旦那から電話がきた。

「義父が車で子供達を家に送ってて、もう着いてる。すぐ帰れる?」という電話だった。

 

この日は夜、旦那が仕事終わりに子供達を迎えに行くと言っていたので、私は夜まで自由に過ごせると思っていた。

 

家に帰ってやろうと思ってた掃除、片付け、本や書類の整理。

全部できなくなる。私の時間はまた奪われる。

そう思ったらイラっときてしまった。

私の不機嫌な感じに旦那もイライラしはじめたから、とりあえず電話を切って家に向かった。

 

まだひとりでいたかったというイライラがパチパチと火花を散らす。私、このイライラをお義父さんにもぶつけてしまうかもしれない。子供達を一晩+一日終日見るのが嫌だから、連絡もなしに連れてきたんだ。と思うと、火花の音が激しくなっていくようだった。

 

だけど、一人で自転車を漕いでいる間に、だんだんと気持ちが変化してきた。

 

私は帰ったらまずお義父さんに「ありがとう」と言うべきだ。

時間の制限なく、子供達とまるっと離れたことで、少しだけどプラスの感情を持つ余裕ができたのだから。

 

そもそも、私は人にありがとうとか愛してるとか言えない。

仕事で使うようなうわべなものはペラペラ出てくるけど、私生活では皆無だ。

 

嬉しい。

楽しい。

しあわせ。

大好き。

ありがとう。

 

そういう感情を、顔や身体を使って表現しようとする時、何か邪魔してくるものがあった。

 

だから、学園祭で盛り上がってる同級生の輪には入れなかったし、運動会で声を枯らして応援することを茶番だと感じた。子供の卒園式や入学式も、所詮生活の区切りを可視化しただけだと考え、感動して泣いたりすることもなかった。

しあわせっていう感覚をどうやって維持するのか、そもそもしあわせっていう感覚にどうしたらなれるのか。考えようとしたこともなかった。

 

私が幸せになってはいけない理由

私がプラスの感情を持とうとしない理由。

幸せになろうとしない理由。

それはたぶん、自分が親より幸せになってはいけないと思っているからだと思う。

 

昔、私の実家は経済的な余裕があったけど、今はない。だけど両親は引きこもりの弟を養わなければいけないし、高齢出産だから父親なんかはもう70歳近くて、働くのも難しい。

それなのに、仕事を探してるとか、仕事の面接を受けたとかいう話を聞いて、心臓をペンチでギューっとつままれたように苦しくなった。パニックを起こしそうになった。

 

両親がそんなに苦労してるのに、私だけが幸せになるなんてありえない。

親が辛い時は、私も辛くないといけないし、

親が貧乏な時は、私も貧乏じゃないといけない。

 

自分だけが、ジムに行ったりランチしたり、贅沢していることに、尋常じゃない罪悪感を覚えた。

100万くらい包んで渡せたらいいのだけど、そこまでの経済的余裕もない。

私が正社員になって、初めてボーナスが出ると聞いた時、半分は実家に送ろう、と即座に考えた。

 

親と私は、一緒じゃないといけない。

一緒の感情を持ち、一緒の生活水準で、一緒の価値観を持っていないといけない。

 

でも、よく考えると、そんなはずないよね?

親は親、私は私だよね?

今現在の私の家庭と、私の実家は別物だよね?

 

だけど、親がかわいそう。

楽させてあげたい。

親は全身全霊、全財産、彼らの全てを私に注いでくれた。

それなのに、私は何にもなれていない。

それどころか、輪郭さえも曖昧な未完成の人間だ。

両親の財産や期待を食いつぶして踏みにじった責任を私は負うべきだ。

 

両親を助けてくれる身内はいない。

私しか、両親を支えてあげられる人はいない。

二人とも、いつも孤独で可哀想だ。

 

だから、私は自分が幸せになることにすごく抵抗を感じる。

早く親にあげられるくらいのお金を稼ぐか、早く死んでほしい。

そうしないと私は、「両親を幸せにする」という責任から解放されないし、「私は幸せになってはいけない」という呪いからも逃れられない。

 

頭ではおかしな部分に気付いているのに、私は両親を見捨てることができない。

私は両親に愛されて大切にされた。

全てを与えてもらった。

それなのに、私がふたりを見捨てるなんてありえない。

 

ハゲデブぼっちの一日

昨日のこと

昨日は仕事関係の勉強会があり、終日青山の方に行っていた。

 

未経験で入った業界。

未経験で始めた職種。

なんの知識もないまま仕事をしていることが毎日不安だった。

基礎を固めたい。だけど早く広い範囲のことをできるようになりたい。

業界のデフォルトもこの仕事の常識も知らないからいつも焦っていて、ずっと初心者的な恥ずかしさを感じていた。

 

正社員になって、ひとつの仕事の業務改善を一から任された。もっと情報が欲しいから、ネットや本を読み漁りたいが、会社を出れば息つく暇もなく家事育児が待っている。家事の終わりはなく、何も出来ずに翌朝を迎える。そんな生活を繰り返すうちに1ヶ月が経ってしまった。

 

青山は綺麗な人が多くて、自分の醜さを突きつけられるような感じもした。

私は163cmで50kg。45kgくらいまで痩せないと、私はずっとデブでブスだ。

無性に痩せたい衝動に駆られた。

甘いものをたくさん食べて、全部吐きたい。

 

身体の不調

前の記事に書いた職場でのいざこざが引き金だったと思う。抑えていたものの蓋が外れた。

 

仕事の色んなプレッシャーと、満足にできない家事育児。自分と向き合う時間が取れないまま刻々と流れていく毎日に対する焦り。

 

まず、身体に出た。

口唇ヘルペスができた。

4ヶ所円形脱毛していた。

髪をかき分けなくても鏡で見ただけでわかるくらいにごそっと毛がない。

去年の1月に始めて円形脱毛になって、その時は大きいのが4箇所あり、やっとそこが伸びて周りの毛と馴染んできたところだった。

気を抜けば涙が出てくる。呼吸が浅くなる。気が遠くなる。

場所構わずの自傷行為

指からいつも血が出ているけど、見慣れてしまった。

生きることが、物理的に苦しい。

 

精神の不調

感情面でも、この前書いた職場でのトラブルについては、みんな私の責任じゃないと言ってくれるし、自分でも、そのことは頭ではわかっている。相手の言い分がおかしいのは明白だ。

だけど、その時、私は人前なのにコントロールを失った。みんなに、怒りのコントロールができない人間、その程度の人間だと思われる悔しさ。

後悔と恥ずかしさで、勝手に居場所を失った。

 

家では、娘のことが不安。

いつも感情を抑制しているように見える。

そんな娘との関わり方がわからなくて、うまくコミュニケーションを取れないことに苛立つ。

ずっと、娘には、私のように苦しまずに、ちゃんと人生を楽しんでほしいと願ってきた。

だけど、母親の私がこんなにも情緒不安定で、激しい喜怒哀楽の波を立てて、否が応でもその中に置かれてしまう娘は、やっぱり敏感だし、周りの目をすごく気にする。気が強くて頑固だけど引っ込み思案。

まるで私だ。

 

私に似てきた娘を純粋に可愛い!と思うことがほとんどなくなってしまった。

私が娘に何かを言って失敗するのがすごく怖い。娘が、私の言動を見聞きすることで情緒不安定に育ってしまう気がするから、私はなるべく関わりたくない。

大好きだからこそ、違うところで健全に育ってほしい。

最近はそんな気持ちになってしまうことが多い。

 

昨日の夜のこと

昨日のことを、実はほとんど覚えていないのだけど、とりあえず、お迎えの後、ご飯を与える名目で、子供たちをファミレスに連れて行った。

帰ってきて、子供たちをシャワーで洗った。

歯磨きをして、寝かせる前に1日見れていなかった仕事のメールを返したりしていた。

 

気付けば9時半で、子供を寝かそうとしたのだけど、喋ってて寝ないから怒った。

すごい怒り方をしてしまった。

息子がビクッと震えてわーっと泣き出した。

娘は聞こえてないかのように存在を消して黙っていた。

 

子供たちの反応に悲しくなった。わたしは子育てを失敗してしまいました。ごめんなさい。子供たちのことは大好きだし大切なのに、わたしは子供たちをこんな風に育ててしまいました。

本当にごめんなさい。

 

怒りと悲しみと懺悔。

よくわからないことをわめきながら暴れたりぶっ倒れたりしていたら、旦那が帰ってきた。

 

とっさに携帯とタバコだけ持って家を飛び出した。部屋着にサンダルで。頭に酸素がいってなくて、過呼吸になる寸前。家を出たら身体がフワフワしていた。

 

あるだけのタバコを吸い終わってしまっても、フラフラと歩いた。気持ちが整理できるわけでもなく、混乱しているわけでもない。ただ、どこにも定住できない気持ち。居場所のない感じ。

 

雨が降ってきた。少しの猶予もなく本降りになった。

自分は不幸を引き寄せる生き物なのかな、と思ったら、悲しいを通り過ぎてなんか笑えた。

 

それでも家に帰る気になれなくて、近くの暗い道の電信柱の横にしばらく座っていた。

誰にも見られなければ、風邪をひこうがなにしようがどうでもよかった。

 

雨が降ってるね。聞いてる?雨だねー。と声に出すことで気持ちが安らいだ。

だけど、私にはこの姿を見せられる人が一人もいない。こうやって、些細な会話ができる相手が、過去も今も、欲しいけどいなかった。だから小さい頃はぬいぐるみに、小学生の頃からは猫に話すようになったんだったな。

陰謀も戦略もない会話を、誰かとしたい。

 

いよいよ滴るくらいにビショビショになって寒さに耐えられなくなってきたので家に帰った。

服だけ着替えて床で寝ていた。

 

今日のこと

朝起きたら、昨日のことが夢か現実か一瞬わからなかったけど、脱ぎっぱなしの水浸しの服が置いてあったから夢じゃなかったんだな、とわかった。

 

今日はずっと行けていなかったジムに行ってきなよ、と旦那に言われていた。そのあと子供達は実家に連れて行くから自由にしていいよ、と。

 

だけど身体が全く動かない。ずーっと眠くて、なんにもできない。旦那に、行かないの?!と言われて逆ギレしてしまった。

 

結局、今の今まで、一日中ほとんど寝ていた。

 

旦那が子供達を義実家に連れて行ってくれた。

ずっと望んでたひとりの空間。うるさく騒ぐ子供たちに、「ママは一人になりたい!」と何度も言っていた。それが手に入った。

 

だけど、寂しい。

みんなに逃げられてしまった感じがする。

連絡を取らなくなったり、取れなくなった人たちのことが脳裏に浮かぶ。

みんな、きっと、私と一緒にいたくなかった。

刹那的でいいから誰かと繋がりたい。

そんな衝動に駆られながら踏み止まる。

 

精神疾患患者なんかいなくなればいい

トゲが生えたかように気持ちがいらだつ。

 

みんなが私のことを試したり、陥れようとしたり、仲間はずれにしようとしている気がする。

誰も近づくな。

 

仕事なんてしている場合じゃない。

私は!今、今、今の気持ちを整理しないと爆発してしまうんだよ!

だけど、誰がわかってくれるの、そんなこと。

 

会社に行けば誰かに何かを聞かれるし、会議では私のことなんて何も知らずに質問を飛ばされる。

私は、こんなことしてる場合じゃない。

あなたたちのことも、会社の業績もどうだっていい。

Amazon前田祐二さんの『人生の勝算』を読んだけど、何も響かない。

成功する機会が均等に与えられる世界なんてありえない。健全に育って、ある程度まで学力知力能力を与えられた人間たちの中だけでやってる話だ。

みんな口にしない、見ようともしないもっともっと底辺がいる。

不安定な育ち方をして気持ちの面で苦労をしているということをハンデと捉えて、私は精神疾患を持っている人や、精神の不調を抱えた子供達、色々な意味で世の中の最底辺にいる人たちにも機会の公平性が与えられるべきだと思ってきた。そんな超共産主義的思想を持っていた。

 

だけど、それはもう無理かもしれない。現実はなるべくしてなったもので、もはやしょうがないことなのかもしれない。

精神疾患になる人はなるし、ならない人はならない。なる人は大抵治そうとしてない。都合よく制度を使ってのうのうと生きてる確実にいらない人間だってたくさんいる。

私みたいにこうやって、ずーっとずーっとずーっと、永遠に、自意識過剰、被害妄想。ぐるぐる自分の世界の中だけを延々と回ってるような人間を助ける価値なんて、絶対に、ない!

周りにいる精神疾患の人間を見ても、結局本人に大きな問題を抱えているし、正直周りは迷惑している。弱いのは、自分のせいだよ。

 

内にこもりたい。

外に発信するとか、誰かのためにとか、世の中のためにとか、今本当にどうでもいい。

 

わたしのことを誰も理解してくれないから、本当は今すぐ泣き喚いて暴れたいけど、そんなことをしても絶対に!誰も理解してくれない。

 

だけど休職したくない。

仕事なんて辞めたい。

好きなように生きていきたいのに好きなことがない!

やりたいこともない!

あっても次の日にはやりたくなくなっている!

昨日熱狂的に考えてることを、翌日は吐き捨てたいくらいに嫌悪している!

 

私、考えすぎてこのままパーン!!!って弾けて消えてしまうのかな!

そうであってほしい!!!

 

 

私を構成するもの

自信はすぐゼロになる

ふとした時、みんなに騙されてる気分になる。

褒めてもらったことや評価されたこと(良い評価も悪い評価も)は全部嘘だったんじゃないかと思う。みんな適当に、口から出まかせで言っているような気がする。つまり、私に対して無関心。

 

たぶん私がいま、「あなたはこの前こう言ったよね?」って聞いたら「何の話?」って返されると思う。そのくらい、私は他者の記憶に残らない。

みんな私に嘘ついて、適当に、褒めたり仲良くなったりしてるんじゃないかな。

 

その猜疑心を感じはじめると、私の自信メーターはゼロになる。いつもそう。貯まったとしてもせいぜい20%くらいが最高。それすらも一瞬でゼロになる。

だから、自信はいつもない。

 

パズルのような私

私は365日、朝から晩まで、自分を構成する要素を求めている。

私という物体は、なんとなく人間の形をしている立体的なパズルのようなもので、四角くて、カラフルで、片手に収まるくらいの小さなキューブが集まって出来ている。

他人からの私の評価ひとつひとつがそのキューブである。

キューブは秒単位で入れ替わり立ち替わり、高速で集まったり離れたりするので、時折私は人間の形を成さなくなる。キューブの数自体が減って、身体の半分を構成するに満たない時もある。

 

核には、私のアイデンティティ(確固たる自分)があるはずなのだけど、それすらも仮定のもので確立されてないから、キューブが定着しない。

だから私は、私の形を保つために、他者からの評価を常に求め続けなければいけないし、ひとつ残らず回収しなければならないし、その欲求はとめどない。

私を構成する要素を与えてくれるなら、土下座だってする。賄賂だって渡す。体も売る。

そんな気概で作り上げたものが私だ。それなのにこの完成度の低さ。絶望する。

 

気を抜けばすぐに消えてしまいそうになる。マイナス評価が集まれば私はそのままマイナスの塊になる。変化が激しいし、疲れる。

 

腐りかけた根っこのような私

決められたレールに従うのは楽だ。その道に違和感さえ持たなければ、既に木の幹は完成しているようなもので、枝の伸ばし方とか花の付け方とか、ディティールだけを考えれば良い。

 

一方で、私は歳を重ねるに連れて、幹の部分が膨らんだり曲がったり細くなったりして、結局根っこの部分までほとんど無くなってしまった。

一度種に戻ってしまえれば楽なのかもしれないけど、私には28歳2児の母親として持っている日常があるわけで、全てを捨てて種までは戻るわけにはいかず、日常をこなしながら根っこを伸ばしていかなければいけない状況。

だからどっちにも集中できなくて、根っこは偏った方向へ伸びていくし、日常がこなせなくてストレスは溜まる。

 

弱さの根幹

他者の評価なしに形を持てないことは、私の圧倒的な弱さだ。なんらかの形で人と繋がってないといけないという強い強迫観念を伴うから。

 

自信を持ちたい、とか、本当の自分でいたい、とか、私が求めているものの全ての根幹がここにある。

他者からの評価がどうであれ、私という存在は、本当は今のままここに居て良いはずなんだ。誰かに存在を担保してもらう必要なんてない。

だけど、私には、自分がここに居て良いという感覚がない。誰かに自分のことを説明してもらって、その言葉を集めて私は形になる。他者から認められることでしか自分が存在していることを確認できない。

 

人間は、みんなそれぞれひとりしかいなくて、他者とは違う人間であるはず。そして一人の人間の中にはきっと、ひとつじゃない性格や考え方がある。

だけど、私はいろんな人格、考え方を持っている自分を一人の「私」として扱えない。「私」が、日によって、気分によって、体調によって、違う人になる。

文字通り、「私は誰?」状態。

 

だから、誰かに私の形をずっと教えてもらっていたい。依存。

 

そうやって自分の形を保つことに必死で、もっと高度な「今あるものをさらに良くする」みたいな段階にいつまでたっても到達しない。

「人生を楽しむ」とか「夢の実現」みたいなことがまったく考えられない。そんな状況のまま年齢だけ重ねていく。

 

夢や自己実現について考えることすらできないのに、「私が生きてる意味は…」とか考えはじめると死にたくなるから、すごく低レベルなところで漂ってることをとにかく認識するようにしてる。

 

その状況の虚しさは、そのまま、虚しいな、と思うけど、カウンセリングに通って、ブログを書いて、乗り越えようとしている自分にだけ、希望を持ってみる。

 

 

会社でキレて帰ってきた話

本を投げつけてきた

昨日、会社の人とケンカして帰ってきた。

 

私が担当していた書籍が納品されたので、退社前に企画に関わってくれた皆さんにお渡しして、お礼を言って回っていた。

 

企画から納品まで約半年がかりでつくり、かつ、私が初めてひとりで担当させてもらう大きな仕事だった。

 

企画に関わった一つのチームの中に、初期段階で休職に入った人がいた。

今回の一冊の中でその人が関わったのはほんの一部。

定例の会議にはほぼ参加していないし、原稿の確認段階ではもう休んでいた。

2週間前の入稿時、その人はまだ休職中で、もちろん人事情報だから、私は休んでる理由も、戻ってくる時期も知らなかった。

 

最初、企画の欄にその人の名前を入れて出したけど、上司の指示で削除した。

勝手に、もう退職することが決まっているのかな、と思ったので詳細は聞かずに指示通り削除した。

 

それが、ちょうど納品の一日前にその人がしれっと復職していた。

ほぼ関わってないけど、一応その人にも渡した。

 

そしたら、去り際に呼ばれて、企画欄に自分の名前がないと怒り出した。想定外の反応だったので、適当に取り繕いの説明をしたけど、「そういうのどうでもいいんですけど、とにかく不快です。」と一方的に言われ、私も頭に来たので「わかりました。」と言って席に戻った。だけど段々カーッと怒りが湧き上がってきて、本を自分の机に思いっ切り投げつけてしまった。

ドンッという音に周りがびっくりして、「どうしたの?え?怒ってる?」と困惑してたけど、「怒ってます。」と言ってさっさと片付けて帰ってきてしまった。

 

オフィスを出る直前、このままだと「会社員として」だめだ、という理性が働き、「お先に失礼します。お疲れ様です。」と挨拶だけはしてきた。

 

攻撃したい欲求

中学の時、同級生の双子の片方に、「妹をいじめないで!」といちゃもんをつけられ、その時初めて他人にキレた、その時の快感が忘れられない。

そのあとは、親、弟、彼氏になった人を次々と攻撃した。

 

攻撃することに快感を感じることの根本は、小学校に入学した直後の経験にある。

クラスのいじめっ子に、私が持ってない本を「返せ」と迫られ、親を介さずに同年代の子供と関わるのが初めてだったこともあり、私は怖くて何も言い返せなかった。

顔を覗き込まれ、腕をつねられ、机をドンドン叩かれ、大袈裟だけど、初めて命の危機を感じた。その場に誰も助けてくれる人がいなかった。

 

その時言い返せなかった悔しさは、今もずっとトラウマとして私の中にあって、まったくのゼロにはなったわけではないのだけど、中学の同級生にキレた時、私は明らかにそのトラウマを自分の力で塗り替えた気がした。

それが私にとって一種の成功体験だったのだと思う。そのあとから、他人に攻撃している自分に私は満足感を感じるようになった。

 

暴れて手当たり次第に物を破壊する私に向けられる親の困惑した顔。

飲んで暴言を吐く私に言い返せない恋人の顔。

それを見ることで私は幸福感を得ていた。

 

今回も、「怒ることないでしょ?」って言われるタイプの私が会社で本を投げつけたことで、周りの人が驚いていた。快感だった。

 

私は、私に攻撃を加えてきた人間を打ち負かしたい。体も心も修復できないくらいまで壊してやりたい。

そのためにまず論破することを考えた。

 

相手を追い詰める方法を考える

◆相手のスペック

プライドが高い男。30代前半。90%アスペルガー。太っている。オタク。知能指数は高いがコミュニケーション能力皆無。表情の変化ゼロ。

そのあと関係者に送られてきた、説明と謝罪を求めるメールの内容から、論理の構築は得意だが全体性と客観的視点は弱いことがわかる。

 

◆彼の主張

  • 自分が紹介して取材できた人がいる。取材にも同行している。
  • 最初期の企画の会議には参加している。
  • だから自分の名前を入れるべきだ。

 

◆私の主張

  • 巻末に名前を出す基準は、仕事の評価+責任の重さのトータルで上位から数名。関わった全員の名前を入れるわけじゃない。仕事量・責任どちらも、彼は同チームの他の人より格段に小さい。本を作る工程は取材だけじゃなく、そのあと原稿やレイアウトの確認やいろんな業務があるが、彼が関わったのは、最初期のほんの一部であって、彼の仕事量は名前を出すラインに達していない。
  • その証拠として、7件の取材のうち、彼が紹介・同行したのはひとつ。ほかの取材にも、彼と同じような紹介者・同行者がいるけど、その人たちの名前は入れていない。だから、彼の名前も入れてない。
  • まったく全体が見えておらず、客観性と相対的視点が完全に欠如している。ゆえに自己評価が高すぎる。確認の工程は全部で5回以上あって、毎回、関係者全員に確認を依頼していた。社長・副社長など経営陣も見ていた。そのなかで一度も、「彼の名前がない」という指摘が出なかったということはつまり、彼の存在が誰の脳裏にも浮かばなかったということであって、彼はこのプロジェクトに対してその程度の価値しか提供していないということ。
  • そもそも、途中で離脱したことを謝罪するべきでは?自分のことは棚に上げて、最後の利益だけ分け与えられないと文句を言い出す理不尽さ。営業職なんかは、インセンティブという目に見える評価の差がつけられる。他の仕事もそうであるのが普通だと思う。それこそ公平性である。

 

身体の不調

だけどやっぱり体調に出てしまう。

メンタルの弱さが反映されているようで本当に嫌になる。

 

昨日も帰り道涙が止まらなかったし、過呼吸になる寸前の状態で子供達を迎えに行った。

 

今日も朝から息が苦しい。気を抜くと過呼吸の発作が起きそうになるので、意識的に深呼吸を繰り返す。頭に酸素が行ってないみたいで、目とか口が思うように動作しない。右を向きたいのに目が動かない。口を閉じたいのに閉じられない。脈が飛んだり、早く打ったり、脈がちゃんと打ってくれない。身体が動かない。トイレに立ったら、両脚が子鹿みたいにプルプル震え出して、すーっと血の気が引いて、回転する目眩に襲われ座り込んでしまった。

 

やっぱり私は弱い。こんなことで。

自分が弱いことが悔しい。

言われっぱなし、やられっぱなしで諦められるわけがない。相手を負かして相手の全部を潰してしまうくらいのことをしてやりたい。

昨日の夜から、相手を論破するための案を練り上げた。ご飯も食べずに相手を潰して痛めつける方法を考えた。

 

だけど身体はすごく怯えている。自分がその人に嫌われることに怯えてる。こんなに嫌いな相手にさえ嫌われたくないと思うんだ。自分の「嫌われることへの恐怖心」は、自分で認識している以上に大きいらしい。

 

薬を飲むことにひどく抵抗があって、心療内科にも行ってないし、何の薬も飲んでない。だけど、処方してもらったほうがいいのかな。

子供の習い事があったから無理やり起きて連れて行ったけど、自転車で5分の距離が辛くて、息は苦しいし吐き気がするし、勝手に涙がボロボロ溢れてくる。悔しい。

 

だけど私は休職しない

メンタルが弱いけど強い。

私はそうじゃないといけない。

私は相手に負けずに勝ち続けて、過去のトラウマを克服しなきゃいけない。

もうあの経験をフラッシュバックさせないようにしないといけない。

精神の充実のために攻撃し続けないといけない。

呼吸が苦しくても、動悸がおさまらなくても、絶対に休まず、休職もせず会社に行く。

私は、ナメられないために、ずーっと強い私でいなきゃいけない。

 

 

 

 

 

病気の人が羨ましい

「できない」が言えない

職場で休職していた人が復職してきた。

数ヶ月休んで、部署を異動しての復職。

元々希望していた部署らしい。

 

あー羨ましいな!!

 

私は月に一回、「鼻炎持ちなので耳鼻科に行ってきます」なんて嘘をついてコソコソ半休を取り、カウンセリングに行っている。

職場の誰にも言えない。

 

子供がいるから時短勤務制度は使っているけど、その中で最大限の成果を上げましょうと言われる。家に帰っても勉強に費やす時間はないので、行き帰りの電車の中で本を読んだり新聞・ネットで情報収集をする。寝る前や、隙間時間に整理したりアイデアを考えたりする。職場にはお弁当を持って行く。仕事が終わったら光の速さで子供2人を迎えに行って、家事をこなす。

 

そんな生活の中で、私が精神疾患を抱えているなんて誰も気が付かないと思う。

私は健康な人として、仕事の成果を出さなきゃいけない。気分が優れないといって業務を減らしてもらったり、この仕事は負担が大きいからやりたくないなんて言えない。

「できない」が言えない。

 

一方、復職してきた人は、「うつ」とか「適応障害」とか、ちゃんとした病名を与えられて、診断書を5000円くらいで書いてもらって、正規のルートで休みを取り、復職し、周りから大丈夫?大丈夫?と心配され関心を寄せられ、最初は数時間からでいいよ。業務量負担になってない?と調整してもらい、泣きそうになっていれば無理しないでいいよ、と休ませてもらえる。

 

すごくいやらしい話だけど、復職したその人を見てる時、心の中では「私の方が何倍もの時間を苦しんできてるし、何倍も治す努力をしている」と思ってる。

 

私だって構ってほしい。心配されたい。

大丈夫?できる?って聞いてほしい。

「できないです」って言いたい。

ちょっとでいいから、休ませてほしい。

 

病院には行ってないけど、仕事とは別にカウンセラーさんに勧められた本を読んで、自分の気持ちをブログやメモに書き起こして、弱った時はワークをしてイライラや悲しみを整理して、治そうとしてる。努力をしてる。

私だって、ほんとは病気だもん。

そんなことを言いたくなる。

 

体まで不器用

中身も不器用だけど、体まで不器用だ。

いつもニコニコしてるね。気分の浮き沈みがないね。安定してるね。落ち着いてるね。メンタル強いよね。

今まで、何回それを言われてきただろう。

 

私は、もう今すぐにでも泣き出しそうな時もあるし、怒りでPCを叩き割ってしまいたいくらいの衝動に駆られることだってある。

だけど、そこはうまくバレてないみたいで、例えば飲み会の席で、私の不安定さやマイナス思考な考え方、攻撃的な部分について話をしたとしても、すごい論理的だね。よく考えてる。面白い。と言われてしまう。

 

違う。

私はそんなに強くない。

ほんとに不安だし、ほんとに嫌なことがたくさんあるんだ。

私にも大丈夫?って聞いてほしい。休んでもいいんだよって言ってほしい。

 

私は自分のことを病気だとは思ってないけど、それなりに重いものを抱えて生きている自負はある。そのくらい苦しい。わざわざ自殺しなくてもこのまま死ぬのかもしれない、と思うほどの過呼吸や、ぐるんぐるん回転する目眩に襲われることもある。過食は定期的にあるし、自傷行為はやめられない。寝られないなんて日常茶飯事だし、生きること、もっとミクロな話で、この場で息をして立っていることに耐えられないくらい精神がガラガラと崩壊しかける瞬間もある。

だけど、私はそのまま落ちて戻れなくなるのを自分の力で必死に止めて、いつも乗り切ってしまう。

そこでもうだめだ、となって会社に申告したり、心療内科で診断書を出してもらえば、その人のように、周りに助けてもらってもっと楽に生きられるのかもしれない。

 

だけど、そのように弱みを沢山の人にさらけ出す強さを私は持っていない。自分のメンタルの歪みや、そこからくる仕事への影響を、人に伝えてわかってもらえると思わない。

 

会社のみんなは、復職した人のことを、素直に診断書通りに受け入れて対応してるけど、正直診断書なんて、ぐったりして泣き腫らした顔で呂律も回らない状態の時に心療内科に行けば誰でも書いてもらえる。精神疾患の世界は、情報操作が可能な世界だ。ソーシャルワーカーをはじめとして、行政でメンタルヘルス対応をしている人たちがいる。そういう仕事をしている人がいる。その人たちはあらゆるサポートを提供するために存在している。サポートを受けさせるために診断書を書いてくれと医師に依頼できる。それをみんな知っているのか知らないのかわからないけど、私はすごくうがった見方をしてしまう。

こんなことを書きながらブログにボーダーだのなんだの書いてる自分が死ぬほど嫌だけど。

 

だから私は、復職した人と同じことをすることはできない。いま私が抱えているものを職場の人に正確に伝えることは不可能だし、恥ずかしいし、そもそも、本当かどうかもわからない精神疾患を認定されることにやっぱり抵抗を感じる。

 

職場では、普通に仕事が好きで頑張ってる、気が強くて、メンタルが強い、性格が男みたいな、28歳。2人の子持ち。女性。そんなタグを貼られていて、いつも従順にその人を演じている。

 

結局すべて嫉妬

自分の軸が定まってないから、目に見える自分と違うものすべてがよく見える。

私は決して、休職する人たちをバカにしているわけではないし、その人たちの苦しさや辛さもある程度理解できるつもりでいる。復職した人のことを嫌いなわけでもない。

 

とにかく自分に自信がないから、自分にできないことをできる人が、ただただ羨ましい。

 

周りの人と話していて、「〇〇さん休職しちゃってかわいそうだよね。」というのを聞くたびに、「私はほんとはその人以上に苦しい。だけど休んでないよ!すごい?」と、嫉妬心と敵対心を抱く。

 

必死に自分をアピールする子供みたいな、幼稚な感情が雷のように落下してくる。それを言葉に出さないよう、トータル2秒くらいの間に脳内のシナプスを一気に動かす。

 

そうやって、文字通り嫉妬に狂う状況を必死に回避しているのだけど、

病気になったと公開することで、周囲に良い意味で甘えられて、適度なところで妥協もできていることが純粋に羨ましい。

 

自分だけで解決させないといけないという責任感や、周囲に言って「弱いやつ」と思われることへの恐怖。精神疾患への偏見。

それらに私は勝てない。

だけど、復職した同僚も、その人に通院を勧めた人事も、会社の人たちも、素直に今の状況を受け入れている。素直に病院の診断を受け入れている。

私にその素直さはない。

 

素直で純粋なみんなが羨ましい。

病気の人が羨ましい。

私は自分の中でしか戦えない。

 

 

荒れてる

結構やばいレベルで心が荒れてる。

 

私に触れてくるものに異常に攻撃的になる。

仕事で、すみません、なく私の領域にズカズカ入ってきて、なにかを聞いてくる人に対してすごくイラっとする。それが顔にでる。

 

仕事でやってる領域に全く興味が持てなくなった。いま、仕事に関しては完全にうつ状態

大企業の客は大企業。

生活の苦しさとか、末端の実情をなにも知らないくせに、高尚な話をしてる自分たちに酔ってる人たちばかりいる会社。ほんとに吐きそう。存在がキモい。

 

やりたくない仕事のために勉強する気にならない。助けたくない人たちを助けることに尽力したくない。本も読みたくない。私の人生をこの会社に尽くしたくない。だけど、転職するにもできない。私にはなんのスキルもない。28歳でまだこんなことを言ってる自分に絶望している。

 

旦那が好きな時に好きなだけ寝られることにムカつく。

昨日は娘の運動会だったから、ごはんに連れてってあげるのかと思ってたのに、結局寝てて行こうとしない。

ひとりで2人連れて、娘が行きたがってたお寿司を食べさせに行った。土日も含めてほぼひとり育児だ。旦那が家に居たとしても。

 

今日も、さっきまで家を片付けに追われてた。大方リセットできた。

でも、旦那は1秒も手伝うことなく、14時くらいに起きてシャワーしてフラフラどっかに出かけてった。

 

旦那いなくて、私ひとりになった方がいいのかな。余計なストレスが消えて、行政の補助も厚くなる。

 

なにもやる気が出ないうつ状態なのに、気持ちの面はあらゆる怒りに溢れてる。

 

一週間、ほぼお菓子で生活してる。

食べ物が大事なんてわかってるけど、ちゃんとした献立を作る余裕がない。

体型のことも、体調のことも、じわじわと不安を感じてきてはいる。

でも、できない。

 

このブログだけが自分の唯一の吐き出し場所で唯一の救いであったのだけど、もはや自分の書いたものにすら嫌悪感を感じる。

低脳でマイナス思考で人の嫌がることを書いてしまう。

そんな自分も気持ち悪いし、周りの人間もみんな気持ち悪い。

 

いまみたいに、冷静でうつ気味だけど心が荒れてる状態が一番やばいんだよね。

時限爆弾を抱えてるような感覚。

 

携帯変えに行くかな。なんかしなきゃ。なにかを変えなきゃ。表面的なことでいいんだ、今は。