こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

子育ては地獄だ(本音編)

ごめんなさい。

最初に謝ってから始めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直、巷に転がってる育児大変だよ、系の綺麗にまとまってるブログなんて、内容タイシタコトナイ。

 

というか、1日1人の時間を持ったからといって、帰ったら子供が可愛く思えるなんてどう考えてもあり得ない。

 

だって、1日絡まなかったとしても、子供は同じ子供のままそこにいるし、

私だって、私のままここにいる。

 

そんな、生ぬるくて可愛くて、美談で終わるようなもんじゃない。

 

 

 

私が、病的に子育てにストレスを感じている親のひとりだということは認めます。

 

その目線から見た子育ての地獄さを書きたい。

 

 

 

 

昨日の夜からのことを振り返りながら書いてみる。

 

 

 

昨日は、仕事の後二人を迎えにいってから、上の子の保育園のクラス懇親会。

 

大嫌い。

 

だけど、全員参加するというし、なにより子供が毎日のようにごはん会、ごはん会とウキウキしているので、行かないわけに行かない。

 

子供のイベントを制限する権利がわたしにはない。

 

行ったはいいけど、

先生の悪口。保育園の悪口。噂話。

 

大嫌い。

 

わざわざ集まってこんな話してるこいつらの脳みその無さ。

 

仕事しろよ。

 

15時までのパートとか、形だけの自営業で保育園使ってる奴多すぎる。

 

暇だから、そうやって人の嫌なとこばっかり探してんだろうな。

クソが。

 

今まで来れなかった初参加の人や、遅れてきた人に気遣いするわけでもなく、つまらない話に夢中。

 

わたしは基本気を遣ってしまうから、

入口で迷ってたらアテンドするし、席も空いてるところを勧める。

飲み物や食べ物も用意する。

 

最低限の気も遣えないアタマの悪い奴ら。

 

大嫌い。

 

 

ガキはガキで、20人も集まればうるささの塊でしかない。

 

叫び声、泣き声、笑い声、走り回る音、ドアをガチャガチャいじる音、全てがうるさい。

 

そしてなにより、汚い。

 

それは、親が自分の子を見ずにつまらない話に夢中だから、大人が悪いのだけど、

 

そこらに転がる飴。

(まず、乳幼児の集まりに飴を持ってくる親があり得ないと思うけど。)

 

お茶に浸されたお菓子の破片。

 

散らばる食べかす。

 

明らかに太った子がずっとピザをお代わりしてるところも

 

関係ない子供が親でもない私にゴミを渡してくるところも

 

片付けてるのにデブでブサイクな小学生がどでーんと寝そべってる感じも

 

幼子が水の中に浮いた飴を素手でいじってるのも

 

全てに嫌悪感しか感じない。

 

次第に瞳孔が開いてくる。

声が低くなってくる。

 

辛すぎて、早めに抜けてきた。

つらい。つらい。つらい。

 

 

はい。

 

朝、起きたらすぐに兄弟喧嘩。

ずっとどっちかが泣いていて、必ず私にすがってくる。

 

ママ〜ママ〜〇〇が叩いた〜!!

やってない!!

 

という面白くもない、なんの身にもならないくだらない喧嘩を何度も聞かされる。

 

保育園が兄弟別々で、二ヶ所まわらないといけないので、毎朝5時起きのわたし。

 

今日くらいゆっくり寝たい。

体が持たない。

 

だけど子供が起きてしまったので朝ごはんをつくる。

 

いつもは最低限の準備しかできないので、いつもよりちゃんと用意する。

 

最近仕事が忙しいらしい夫が、子供たちのギャーギャー言う声にキレて起きる。

 

むかつく。

 

わたしだって嫌だけど我慢してご飯作ってんだよ。

なんで寝てるだけのお前がいきなりキレてんだよ。

 

むかつくむかつくむかつく。

 

夫にそれを言うと、お前はいつもこんなだよ。

俺はいつも我慢してる。

たまにはいいじゃないか、という主張。

 

 

朝帰りの送迎をほぼやらない奴が何をいってるんだろう。

 

溜まった洗濯物を洗濯機に入れることもしない奴が何をいってるんだろう。

 

いつのかわからない皿を洗ったこともない奴が何をいってるんだろう。

 

生ごみを片付けたこともない奴がなにをいってるんだろう!

 

 

 

その間も子供たちのギャーギャー叫ぶ声は止まない。

 

 

 

わたしもキレたら終わりだ。

 

田舎の幼稚なヤンキーぐらいはどうにかできるくらいの言葉遣いにドスの聞いた声で、子供二人を引きずって外に出ろ、と怒鳴る。

 

まとわりついてくるから、突き放す。

蹴る、殴る。

 

そこでやっと、存在価値のわからない夫がやめろよ、と出てくる。

 

 

玄関口で子供達を座らせ、説教。

 

通じてるのかわからないけど、言いたいことは言う。

 

私だってただの人間だ。

親だからといって、なんだっていうんだろう。

嫌なものは、全力で拒否する。

 

 

 

我が家はこんなの日常茶飯事。

 

切り替えて公園に連れて行く。

苦痛だ。つまらない。時間の無駄。

本当にそう思う。

 

でも、子供達が本気で楽しそうにしてる一瞬を見ると、良かった、と思う。

 

だけど、そんなの1割あるかないかだ。

 

本当は、勉強したいし、ダイエットのために運動したい、本読みたい、家計簿つけたい、買い物行きたい、ネットサーフィンしたい。

自分のために時間を使いたい。

 

でもなんとか連れて行く。

 

しばらく遊ばせて、近くのファミレスでごはん。

 

 

ドリンクバーから取った飲み物を上の子に持てと言ったのに、目を離した隙になぜか下の子に運ばせていて、案の定こぼす。

 

人目もはばからず、余計な事するな、と一喝する。

 

やっぱりこどもなんか嫌いだ。

いうこと聞かないし、頭悪い。

 

 

帰りに買い物に行くと、ファミレスでトイレに行けといったのに行かなかった上の子が、トイレ行きたいと言い出す。

 

一回外に出ないとトイレがない店。

 

めんどくせーな。

だからさっき行けって言っただろ。

 

仕方なく連れて行くが、外の壁に自分のバックを最低でも20回は打ち付けただろう。

 

はたから見たらただの異常者だ。

 

だけど、本当にストレスがたまると、反射的にそうしてしまう。

 

経験者しかわかんないだろう。

 

ずっとめんどくさいめんどくさいと呪文のように唱えている。

 

店内に戻ると、下の子がファミレスでもらったおもちゃをなくしたと騒ぎ出す。

 

知らねー。

自分がなくしたんだろ?知らねーよ。

持てないならバックに入れとけよ。

むかつく。

 

絶対探さない、と宣言するものの、グズグズ言ってるので探す。見つからない。

 

可哀想、という気持ちと、めんどくさい、という気持ちが半分半分混じり合っているけど、

 

とにかくわたしは体力も気力ももうない。

限界だ…

 

絶対に疲れない人間だったら探してあげられるけど、月曜から金曜は5時起き24時就寝の生活。

 

しかも、自分のために使える時間なんて、1秒もない。

会社の昼休みだってつまらないランチに付き合わなきゃ行けない。

朝と帰りは保育園の送迎とご飯と洗濯と片付けに追われ、それでも時間が足りないんだから。

 

土日はどうかといったら、

 

今日みたいに朝から子供に起こされ、

(本当に、子供に起こされただけでキレてる夫は死ねばいいと思う)

公園に連れて行けと騒ぎ、ギャーギャー大声で喧嘩している横で

 

溜まった洗濯物や書類や埃とゴミだらけの部屋を片付けなければいけない。

 

公園と買い物を済ませたらもう夕方だし、平日並みの疲労感でグッタリ。

 

休める時間、皆無。

 

 

今日ブログを書けてるのは、奇跡的に子供達が寝たから!

 

アルフォートを15袋食べて、

過食してなんとか精神を保つ。

 

太りたくない。

痩せたい痩せたい痩せたい。

 

 

だけど、こうしないと、今以上におかしくなって発狂するのは目に見えてる。

 

過食はわたしなりの避難だ。

つらい。

 

 

年明けから、円形脱毛症になり、胃腸炎になり、体重が5キロ増え、それでもストレスは消えない。

 

つらい。つらい。つらい。

 

 

 

 

まさに地獄です。

抜け出せない地獄です。

 

こうやって、女として楽しめる時間が、毛のない頭で、太った体で過ぎ去っていくんだと思ったら悲しい。

 

悲しくてしょうがない。

 

わたしは、もっと、私として生きていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

最後にも謝っときます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会で子育てをするのは難しいよね、の理由。

フラフラした頼りない母親ではあるけども、

子供二人を育てている身として、子育てについて考えたりすることがあります。

 

 

会社で育児関係のプロジェクトが進んでいるみたい。

 私は直接関わってないのだけど、小耳に挟んだ話によると、

 子育て中の働くママへのサポート充実させすぎじゃない?

 っていう話が出てるらしい。

 

私も二人産んでるけど、

産休育休の恩恵は受けたことがないから、

そういう制度が母親にとってどれくらいありがたみのあるものなのかわからないけど。

 

その話の主体となって動いてるのは、

大体こどもがいない独身男性か、子供なしの結婚してる女性なんですよね。

 

個人的に、日本が子育てしにくいといわれる所以については、

社会保障制度の有無よりも、

日本に住んでる人たちの意識の問題が大部分を占めてる気がします。

 

これは独断と偏見で言うけど、

日本人って、子供に興味がないっていうより、

他人に興味がない人が多いと思います。

 

あとは、完全に、「自己責任」論が根底にある社会。

 

みんな、

自分はこの社会でどう生きていこう。

ってのをすごく考えてる。

 

仕事好きな人やプライド高い人は、

会社や仕事で上に行くために勉強とかするだろうし、

そこそこ働いて趣味に生きる人もいるだろうし、

自由を捨てたくなくて独り身を選ぶ人もいます。

 

人生に選択肢が増えて、自由度が上がって、

みんな、自分の事だけを考えられるようになったんだと思います。

というか、自分の事だけを考えてていいんだよ、

って、日本社会が許してしまったのかな。

 

確かに人間、自由な気持ちでいることは素晴らしいことだと思うけど、

そこらへんの外食チェーンでご飯食べて、

服屋さんで服買って、

転職サイトで転職して、、

 

みんな消費者意識でしかないかもしれないけど、

実際は社会の一員として生きてて、

目に見えづらいけど支え合って生きてる。

 

なのに、「子供」っていう存在だけ社会から除外しようとするのには納得がいかないです。

 

とにかく、自分のために、面倒なことはしたくない。

余計な負担は強いられたくない。

その面倒や負担の中に、「子育て」がカテゴライズされてるのが今の日本社会なんだろうな、と思います。

 

だからといって、

みんな結婚しよう!

子供作ろう!

子供だって小さいだけで同じ人間じゃないか!

って声高に叫べるわけではないのは、

 

やっぱり子育ての大変さや辛さや苦しさを、

これでもかってくらい経験してしまっているから。

 

虐待をする、子供を殺す親の気持ちが、

手に取るようにわかってしまうからこそ、

安易に子供をつくることに賛成したくない気持ちがあります。

 欲しくないならかわいそうだからつくらないで、と思ってしまう。

 

それでも、自分の子にはどうしようもなく可愛い瞬間があって、

全力で愛してるし、全力で守るし、

何かあれば責任を持つ覚悟もあります。

 

子供を育ててることで、

自分とは無縁だと思っていた価値観を持つことになったり、

今まで感じたことのない気持ちの変化が何度も訪れました。

 

わたしは21歳で一人目を産み、今27歳になりますが、

子供を産む前の21年間の間に、こんなに心から笑ったことはないって思うくらい楽しいことが、この6年の間に何度もあったし、どう頑張っても体が動かないほど悲しく落ち込んだこともありました。

 

21年間感じたことのなかった感情を、たった6年間で何度も経験したことは、驚き以外のなにものでもありません。

 

それをひとくくりに成長というのはわたしにとっては軽すぎて嫌だけど、

いま再び、子供がいない6年を過ごすか、子供がいる6年を過ごすか選べるとしたら、迷わず子供がいる6年を選びます。

 

だから、本当はもっとみんな子供産んで、

みんなで育てる社会を提案したいけど…勉強不足。

 

 

わたしも含め、「子供」っていう存在を大きく考えすぎなんだと思います。

いずれ大人になるんだし。

だけど、やっぱり幼少期の諸々大変さを実感しちゃうと、そんな軽くは言えないですが。

 

 

 川上未映子さんが 、このことについて書いてた記事。

 

川上未映子「子どもを社会で育てる」とは?[PR] | 川上未映子のびんづめ日記2 | 日経DUAL

 

川上さんは、嘘つかない正直な気持ちを文章にしてる気がして好きです。

 

 

 

 

 

家出をしています

 

21:14
イライラしすぎて夫と喧嘩になり家出中。
歩いて近くのマクドナルドに逃げ込んでる。

 

たぶんPMSだけど、今日はひどかった。
子供達には、いらない、死ね連呼。

窓が開いててもおかまいなし。

また近所の人に避けられる。

 

旦那が子供達を連れ出してくれてひとりになるとしあわせ。
気持ちが落ち着く。
でも、帰ってきた瞬間終わる。

イライラして手が震える。

 

あとは、好きな人が返事くれない。
わたし、好きなのかな?
全然タイプじゃないのに。

 

もっと好きでいてくれてた気がしたのになー最初は。
安定感に甘えてるのか、向こうがわたしに対する熱が冷めたのか、どっちだろうな。

 

酔った時に電話して来るのと、会えるのを匂わせた時だけ連絡来るって、あからさまだよね。
終わってる。

 

本気で、子育てやめて風俗嬢になりたいです、わたしは。
男に求められるなら、どうせなら仕事にします。

 

精神も、からだも、全部崩れそう。
今日は本当にだめだ。
全部ボロボロに崩れそう。

ほんとに、崩れていなくなりたい。

 

わたしが誰かに話したこと、自分でもなにが本当かわかんない。
ずっと嘘付いてるのか、

ずっと本心を言ってるのか、
全然わかんない。

 

昨日のライブも、完全に不完全燃焼。
ひとりで頭おかしいくらいに入り込みたかった。

 

どれだけ自由をもらっても、

気を遣ってもらっても、ストレスが消えない。

 

眠いのと、腹痛と、ぼーっとする感じと、イライラと不安。

 

PMSだって言っても、分かるわけない。
PMSについての知恵袋を送ってみたらどうなるかな。
わかってもらえないかな、たぶん。
わかってほしいけど。

 

 自分がすごく脆く感じる。

嘘とか弱さとか、マイナスのものを貼り付けてできてるみたい。

 

顔もからだも痒くなる。

円形脱毛症は治らない。

また新しいのができた、目立つところに。

 

これ以上苦しみたくないのに、

追い詰められてる。

 

誰にも頼れない。

 

 

 

 

 

 

生き急ぎ過ぎて事故

えっとー

めちゃくちゃ疲れている。

 

なんでこんなに詰め込んでしまうんだろ。

本当にこの癖やめたい。

 

ぼーっとする時間なんて1秒もないんじゃないか。

誰かと連絡取り合ってないと落ち着かない。

どこかに出かけないと落ち着かない。

 

それで反動で鬱になるのがわかっているのに、そわそわして動き回ってしまう。

 

遊び、飲み、結婚式、資格試験

 

この2ヶ月でパンパンに予定が入ってる。

 

たまに自分は誰なんだろ?

って思ったりする。

 

忙し過ぎて、自分のことを考える時間がなくて、ふと気付いた時に、自分が誰なのかわかんない、みたいな時がある。

 

毎日のタスクをこなすのに精一杯で。

 

日付も曜日も曖昧なのに毎日淡々と時間は過ぎていくから、誰に何を話したのか、誰と会って何をしたのか、どこに行ったのか、よくわかんないまま1週間経ってたりする。

 

この記事を書きながらも、2人とメールのやり取りをしてて、サイトのコメント返しをして、スケジュールの整理をしてる。

 

常にマルチタスクを抱えてないと不安なのかな。

ちょっと病的。

 

それでもやっぱり、見て欲しい・認められたい・上に行きたい欲求があって

 

資格の申込みを勢いで2件しちゃって、試験まであと1ヶ月しかなくて急に焦ってきた。

 

誰かに止めて欲しいのかも。本当は。

 

ひとりで何も考えずに、携帯もいじらないでただ音楽を聴くとか、

 

いつもは時間がもったいなくて有り得ないと思っているけど、2時間ただ座って映画を見るとか、

 

わたしにはそういう時間を強制的に作ることが必要なのかも。

 

アルコールで頭ぶっ飛んでる時はもうだめだ。

 

最近は記憶が飛ぶし、何するかわかんない。

 

 

 

 

 

 

毎日のイライラから解放されたい

毎日毎日おもらし

 

何度言っても夜も朝もトイレに行かない。

 

なんでこんなに頭悪いの?

 

なんで話が通じないの?

 

大嫌い

 

子供なんていらない

 

このストレスから解放されるなら、一生孤独でもいい

 

 

 

ワーママが子供と過ごす時間を作る大切さについて考えてみた

もし時間の制限がなければ、ずっと仕事していたい。

 

夢中になれるのも

何かを作り上げるのも

感謝されるのも嬉しい。

 

仕事じゃないと味わえない。

 

家庭でもそうできたらいいけど。

規模が小さいせい? 

認めてくれる人が夫ひとりだから?

 

家でも、部屋を片付けたり整理整頓するのが楽しい。

あと、自分の予定の管理。

 

じゃあ、子育てでわたしが楽しめることってどこだろう。

今、まったく楽しくない。

 

子育てがなければもっと仕事できるのに、と思ってしまう。

イライラして、日々の育児の時間が終わる。

 

逆に習い事を始めたり、子供の成長を自分の目で見る機会を作る必要があるのかもしれない。

今は、保育園に全て任せてしまってるから。

 

朝と帰宅後のバタバタした時間だけじゃなくて、

ゆっくり子供と過ごす時間を作らないと

わたしは子供達の母親としての楽しみをずっと味わえないのかもしれない。

 

自分のこともやりたい。

仕事ももっと頑張りたい。

 

でも、子供のこともちゃんと見てあげたい。

存在を、心から認めてあげたい。

 

 

いちばんでいたい病気かもしれないー境界性人格障害ー

あー、不安だ。

嫌われてるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
わたしより違う人が上だと思われるかもしれない。

人の目線が怖い。

見下されてる?

馬鹿にされてる?

イライラされてる?

 

わたしに対してどんな感情を抱いているんだろう。

そればっかりが気になる。

 

自分が一番じゃなきゃやだ、っていう病気かもしれない。

必要とされてないと壊れそうになる。
仕事でも、女としても。

 

だから、勉強しないといけない。

綺麗でいないといけない。

 

だけど、周りを見れば、到底追いつけないくらい知識があったり能力がある人ばかりで、劣等感ばかり感じる。

 

わたしがどれだけ痩せても、努力しても、比にもならないくらい可愛い子がたくさんいる。

 

そうすると、生きてる意味がわからなくなる。

 

ここで、仕事をしている意味、価値。

女としてここにいる理由。

 

わからなくなって、悲しくなる。

結局、わたしの代わり、それ以上の価値がある人が数え切れないくらいいて、その中でわたしがいる意味ってなんだろう。

 

だから、男性にすがるのがやめられなくて、

旦那だけじゃなくて、いろんな人に価値を認められて、それでここにいる意味を見出そうとしてる。

 

仕事でも、出しゃばってる気がする。

存在をアピールしたいのかもしれない。

恥ずかしい。

 

 

ずっと、不安が消えない。

 

 

必要とされること

必要とされたい。

 

若い時は、それなりに体型も整っていて、女性らしさもあった。

 

でも、産後、体型は崩れ、胸も風船のように萎んだ。

 

夫とは、数ヶ月体の関係がない。

 

その前も、一年くらいなかった。

 

 

自分のいる意味がわからなくなる。

 

女でいる意味がわからなくなる。

 

 

頑張って、矯正下着を着けたり、太ったらごはんを減らしたり、運動をしたりする意味。

 

いつまでも綺麗でいたいと努力する意味。

 

 

 

何のために?

 

自分に自信を持つため。

 

本当は、愛されたいから。

 

必要とされたいから。

 

 

だから、不倫だとしても、誰かが私に会いたいと思ってくれることが本当に嬉しかった。

 

だけど、やっぱり私じゃだめだ、と思った。

 

きっと私じゃ足りない。

 

自信が持てない。

 

 

 

 

母親として、子供達を育てるために、いま、私は必要なのかもしれないけど、それだけのために自分が存在しているなんて寂しい。

 

子供達が親の元を離れたら、私の生きる意味なんてなくなる。

 

私だって、ひとりの人間。

 

子育てだけで一生を終えるなんて、耐えられない。

 

 

 

 

誰にも必要とされない自分。

 

寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋を諦めること

私は昔から恋愛体質で、恋愛に依存しがちでした。

好きと言われれば好きになるし、その人のことばかり考えてしまう。

今になってそれが再発してしまいました。

 

相手も、私が既婚者なのは知っているので、本気ではないんでしょうが、

私の方が、だんだん嫉妬心を感じたりすることがあって、危ないな、と。

 

連絡を取り合う関係が続いていて、向こうも会いたいと言ってくれるけど、

だんだん自分が不安定になってきている気がしていました。

 

相手に本命の子がいるのが嫌だ、寂しい。

 

そう思う自分が嫌で、それが家庭や自分に悪影響を及ぼすこともわかっていて、

もう会うのをやめる、と連絡しました。

 

最初は嫌だと言っていたけれど、彼も大人なので、途中で折れてくれました。

でも、自分から言ったのに、寂しくて悲しいです。

 

 

いつまでも女でいたい。愛されたい。

 

批判の声ばかり聞きますが、女に生まれた以上、

そう思うのは自然な感情ではないでしょうか。

 

女だから、ではないのかもしれませんが、人に愛されることは何よりも嬉しいことです。

既婚者だと、本気で夫以外の人に愛されることはないので寂しさはありますが。

一瞬だけでも愛されたい。

そう思ってしまいます。

 

結婚に向いてないのに結婚してしまったのかもしれません。

 

夫との関係が良くないのか、私の性格がいけないのかわかりませんが、

やっぱり、いつまでも綺麗でいたいと思います。

 

ダイエット頑張ろう。

 

 

 

母親になっても自分を大事にすることは、子供のためになるのかもしれない

溜まった気持ちのはけ口として書いているようなこのブログ。

 

なんて嫌なヤツなんだろう、って思われるかもしれないけど、

実際の子育ては、幸せと同じかそれ以上に過酷で苦しいものだと思います。

 

 

一人目を産んだ時、

私は、優しく大きな器で子を見守る母親像に憧れ、目指し、

その虚像に囚われていました。

 

イライラするたびに、目の前に寝ている赤ん坊に対して罪悪感を感じて泣くこともあったし、

思い通りにならないことが起こるたびに、完璧に家事育児をこなせない自分が嫌になりました。

 

ママ友関係でも、年齢の若さゆえに下に見られるのが嫌で、

見栄を張って付き合っていたので、

今に続くような関係を構築することができませんでした。

 

専業主婦の期間もあったので、

何か好きなことをやろう、と思って色々と手を出しましたが、

主婦の方が多くやっているインテリアやハンドメイドなど、

ありきたりなものばかり。

 

私は、「自分の好きなこと」を探していたはずなのに、

無意識に、「母親として、主婦として、好きであるべきこと」を探していました。

 

当時は、周りの目ばかり気にして生きている自分にまったく自信が持てず、

可愛いはずの我が子も、うまく扱えない飾りのように感じて、

 

どうしたら良いお母さんに見えるんだろう?

と外から見える、わかりやすいものばかりに目を向けていました。

 

 

だけど、二人目を産んだあと急に、母親になった、という実感が湧いてきました。

それはすごく自然に起こったことで、

同時に、母親である自分に少し自信を持てるようになりました。

 

そして、卒乳が早かったのと、仕事を再開したのと、

保育園のママ友ですごく気の合う友達ができたことで、

自分の好きなことをしたい、という願望が湧いてきました。

 

前のように、無理やり探そう、作ろうとするのではなく、

本当に心が欲しているものを認めてあげられるようになりました。

 

子供を預けて飲みに行く、とか

美容院に行く、とか

気の合う男友達とメールする、とか

 

世間一般的に見たらあんまりよく思われないだろうからやめておこう、と思っていたことをすることにしました。

 

ただでさえストレスを溜めやすい自分が、

できないことを自ら増やして更にストレスを溜めてるのって、

すごく馬鹿らしいな、とある時思ったのです。

 

個人的な遊びや会食も、家庭や子供に支障がなければ問題ないとおもいますし、

何より、子供と親がべったり二人三脚で生きるより、

親と子が、それぞれ自分の世界を持っていたほうが、

後々お互いのためにいいのではないかと。

 

 

私は、小さい頃からどこにいくにも親と一緒でした。

弟の出産のため、ひとりで親戚の家に預けられた日には不安で不安で、

私にはお母さんしかいないのに、と思っていたのを今でも思い出します。

 

大人にも子供にも、逃げ道が必要です。

逃げ道と言うより、たくさんの選択肢が必要です。

 

自分の子には、あなたを見守ってくれるのは親だけじゃないよ、っていうことを知ってほしい。

そのためには、親である私たちが、自分の世界をちゃんと持っていないといけないと思います。

 

自分には子供しかいない、なんていう親の気持ちは重いです。

私はその子供側でしたが、今でも親が可哀想に思えます。

 

家庭以外の社会の仕組みにちゃんと参加すること。

色々な道を見せることも教育なのではないかと思う昨今です。