こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

助けてほしいです。

今日は、寂しくなると連絡して、ダラダラと関係を続けてしまっていた人と会いました。

 

ホテルに行こうと言われたけど、もうこの関係をやめたい、やめるって決めた、と頑なに断りました。

 

私が望んでいるのは、気を遣わず飲める関係。

信頼できて、何でも話せる友達が欲しいだけ。

 

わたしは、それを、身体の関係でつなごうとしてた。

セックスがなくても飲めるかな、って聞いたら、うーん、と考えてた。

結局、相手に必要なのはそれだけなんだ。

わたしはいらない。

 

だけど、強がって、それならいいんだー、って帰ってきた。

だけど、寂しくて仕方がなかった。

遠回しにいらないって言われたのが、本当に悲しかった。

つい、寂しいけど、また飲もうね、って連絡してしまった。

だけど、いまも返事は来ない。

 

辛かったけど、わたしには旦那がいる、と気を取り直して帰った。

旦那は、わたしの事を理解してくれる。

どんなダメなところも、受け入れてくれる。

そう信じて帰りました。

一個、関係を切った。

旦那がいるからいいんだ。

 

だけど、帰って抱きつくと、

携帯見ながら

「俺、今日子供のことやらないから。」

って一言。

 

1時間で切り上げて帰って来たのに。

旦那に抱きしめて欲しかったのに。

 

思わず部屋のドアを叩いてしまった。

それに旦那がキレた。

髪を掴まれ、首を絞められ、明日離婚届持ってくるからサインしろと迫られた。

 

もう、わたしの味方はいなくなった。

本当に一人ぼっちになった。

誰にも、頼れない。

助けて欲しいといえば言うほど、人はわたしから離れていく。

何も言えない。

人形みたいに、本心を隠して、ニコニコしていないといけない。

セックスをせずに、人との関係を繋いでいかなければいけない。

家族も、いなくなるのかもしれない。

わたしは、すべての人に捨てられるんだ。

 

つらいです。

でも、死にたくないです。

別れるのも嫌です。

助けて欲しい。

セックスをしないで、わたしを愛してくれる人は、助けてくれる人は、いないのかな。

なんでこんなに孤独なんだろう。

誰に相談すればいいんだろう。

助けてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

誰でもいいから、応えてほしい

ラインもそう。

このブログもそう。

自分の発信に、なんの反応もないのが辛い。

ひとりで焦ってる。

 

だから、何度もラインを開いてしまうし

何度もブログのアクセス数を確認してる。

旦那と話したいけど寝てしまったから話せない。

 

片付けしなきゃなのに。

洗濯もしたいし、顔も洗いたい。

やらなきゃやらなきゃと思いながら何も手につかない。

 

すごく、気持ちが焦っていて、

不安に押しつぶされそうになってる。

 

気持ちをコントロールしなきゃと思いながら、

不安と焦りに負けそう。負けてる。

助けて欲しい。いま。

 

2017年11月22日(水)22:30

きっかけ

・昨日、約束を確認した人から返事が来ない。会う会わないに必要なやりとり以外は無視されることが悲しくて寂しい。

・話してても楽しくないし、いつもなら会うのも嫌だと思う別の人と会う約束をしてしまった。

・その人に、ちょっとした事を聞いただけなのに、なんで?と不審がられた。信用されてない、疑われている、という不安。

・可愛いと言ってた人をテレビで見て、自分と比べて落ち込む

 

感情

・寂しい

・悲しい

→最低限の生活にイライラする。今それどころじゃないという気持ち。

・本気で相手にしてくれる人が誰もいないという不安

・裏で何か悪い噂を立てられているという不安

 

行動

・ラインを何度も確認してしまう

・お腹いっぱいなのに、余っているパスタとお菓子を食べてしまった

・眠いのに、返事が来ないのが気になって寝られない

自傷行為

 

その後

・返事を待ってても意味がないと思う

・その人たちは、わたしにとってすごく大事な人じゃない

・別に一生会わなくても問題ない

→でも、寂しくて自分から切り出せない。すぐに相手に受け入れられたら、自分はたぶんすごく落ち込むと思う。

・旦那だけがいればいいと思う

→そう思うのだけれど、ひとりにしか相手にされていない自分が虚しい

 

 

悲しすぎる

月末に約束があって、すごく楽しみにしてたのに、

今日大丈夫?って聞いたら、予定が入ったって。

 

仕事の予定だししょうがないのかもしれないけど、

なんで一ヶ月前に約束したのに予定入れるの?

悲しいし、悔しい。

 

私なんかいらないんだ。

いなくてもいいならいなくなりたい。

 

重要視されてないならもう会わない、って言いたいけど切り出せない。

うん、って言われるのが怖い。

悲しい。

 

誰も自分を必要としてくれない。

わたしなんかいらない。

 

 

20分で読めて、境界性パーソナリティ障害がわかる本

 

治療法を示すというよりは、

今の自分を整理してくれる本です。

 

自分は境界性パーソナリティ障害だと思うけど、

とにかくいまは自分で自分をコントロールできない。

感情の揺れ方が把握できない。

ただ、明らかに自分の気持ちの変化に振り回されて疲れている。

周りにも迷惑をかけている。

自分がわからない。

そんな状態の人にはオススメできる本だと思います。

 

いつも、気持ちが大きく揺れ動く出来事があったときに出てくる感情のパターンは分かっています。

カッとなって怒りが収まらなくなったり、

何も手につかない虚無感に襲われたり、

さびしくてだれかにすがってしまったり。

 

だけど、それらは断片的なもので、全体像がわからない。

だから、沢山の負の感情が自分の周りを渦巻いているような気持ちになって、それはすごく大きな不安になり得ます。

わたしは漠然と、「自分はダメな性格なんだ、ダメなところが沢山あるんだ」という認識でいました。

 

でも、この本では、

境界性パーソナリティ障害の人には「見捨てられ不安」が根底にあると定義した上で、

起こりうる感情をちゃんと整理してくれています。

 

わたしは完璧主義なところがあります。

境界性パーソナリティ障害の気質がある方は同じように完璧主義の方が多いと思うのですが、

全容を把握できていない状況が不安。

そう思う方は多いのではないでしょうか。

 

それは、境界性パーソナリティ障害でも同じだと思います。

どうしてこんなに嫌な気持ちになるんだろう。

どうしてこんな態度を取ってしまうんだろう。

自分はどうしてこうなの?

なぜ怒ってしまうの?

なぜ動けないの?

なぜこんなにさびしくなるの?

なんで?なんで?

わかっているのに、止められない。

酷いことをした気がするけど覚えていない。

精神的なものだから、掴み所がない。

自分のことがわからない。

自分の気持ちがコロコロ変わってついていけない。

 

そんな、自分の周りを朝から晩まで彷徨っているモヤモヤとしたものたちをわたしは整理できていませんでした。

「整理する」という概念が、このモヤモヤしたものに通用すると思っていなかった、と言う方が正しいかもしれません。

漠然とした感情の起伏が自分をまとっているのはわかるけど、全体像が掴めない。

全体像が掴めていないこと自体が不安。

でも、感情なんて日々変わるから、整理することはおろか、治療計画なんて立てるのは不可能だし、立てたところでなんの意味もないんじゃないか。

わたしはずっと、そう思っていました。

 

でも、この本を読んでの新たな気付きのひとつは、

「感情は整理することができる」ということ。

なぜなら、境界性パーソナリティ障害の人の感情の変化にはちゃんとパターンがあるから。

わたしは残念ながら、この本に書いてある特徴のほとんどに当てはまっていましたが、驚くことに不足がありませんでした。

わたしの悩んできた感情・行動の全部が、この一冊に明文化されていました。

 

そして、もうひとつは、

この病気を手当たり次第治していくことは難しく、一歩進んで二歩下がる、状態を繰り返すことになる。
「ちゃんと治療計画を立てて、今するべきアクションをとることで、完治させることができる」
それが、二つ目の気付きです。

目に見えない精神的なものだからこそ、

起こりうる感情や物事を整理・分類した上で、

先の見通しを立てることができる、そして治療計画を立てて遂行する必要がある、ということです。

 

気持ちの変化が起こった時に書き出してみるといいよ。

過去の思い出を洗い出してみよう。

 

よく言われますし、

ネットで調べたらほとんどのサイトに書かれている印象です。

 

でも、それを単発的にやっても全く意味がない。

とにかく病気の「全体像」を把握することが重要なのだと思います。

 

でも、当事者が全体像を把握しながら、都度都度起こる感情と向き合っていくのは大変です。

そのために、医師やカウンセラーがいるべきなのだ、と、医療機関が必要な理由もわかりました。

 

言ってしまえば、ただの情報の羅列なのに、

泣きじゃくりながら読みました。

同時に、こんなの嫌だ、変わりたい、と強く思いました。

 

 

境界性パーソナリティ障害は治せる!  正しい理解と治療法 (心のお医者さんに聞いてみよう)

境界性パーソナリティ障害は治せる! 正しい理解と治療法 (心のお医者さんに聞いてみよう)

 

 



 

 

ある心療内科にコンタクトを取ってみた

心療内科を探す

職場から近くて通いやすく

ひとりひとりに合わせた診療をしてくれるところを探しました。

 

わたしが連絡を取った病院は、

初診の場合、ネットの問い合わせフォームに症状と原因を書き込んで送信し、

初診の予約を取る方式を取っていました。

 

病院側としては、ただのふるい分けなのかもしれないけど、

全ての患者を受け入れてしまったら、各々の細かい部分に目が届きにくいだろうし、

今回私は、薬を出してほしいとか、眠れるようにしてほしいとか、

そういう処方箋を出してもらうことを欲していたわけではありません。

自分の性格とか考えてきたことを一緒に整理して、

改善していくための治療を求めていたので、

できる範囲を決めて、選択と集中で診察をしているということで、信頼できる気がしました。

 

病院へのコンタクト

以下、初診依頼の際に病院に送った通りにコピペします。

直接的な表現が多いですが、ご了承下さい。

 

症状

下記の症状があり、家族関係・人間関係が不安定で、夫から医療機関へかかるようにすすめられました。

以前、別の心療内科にかかったことがありますが、「結局先生は他人だから」と思いはじめると急に話せなくなってしまい、医師の発言の端々に敵対意識を感じてしまう事も多く、治療を続けることができませんでした。


●孤独感が強く、既婚子持ちなのに不特定多数の男性と関係を持ちたい欲求がある。本当は今すぐにでもやめたいのに、誰にも見てもらえなくなる、ひとりぼっちになるという不安があり、やめられない。

●好きでもない人に、試し行動のようなことをしてしまい、冷たくされると自暴自棄になり、物に当たったり、憂鬱で動けなくなったりする。

●自分に自信が無く、外に出ることが恥ずかしく、常に周りの目線が気になってしまう。

●腹立たしいことがあると、すぐに態度に出し、外でも物に当たったり、大声で他人を罵倒したりしてしまう。

●自分の体型や容姿に異様な執着があり、過食と極端な食事制限を繰り返している。

●平日の仕事はそつなくこなせるが、休日になるとその反動でまったく動けなくなることが多くある。

●常に眠気と倦怠感があり、身体が重い。最低限の行動もしたくないと思う時がある。

●感情の起伏が激しく、怒りの感情が強いときはものを壊したり、暴力・暴言を吐いてしまう。人を殺したいと思ったり、自分が死にたいと衝動的に極端な考え方になることがある。

●人を疑いやすく、嫌われている・馬鹿にされているという被害妄想が激しい。そのため、急に避けるような行動をとったり、敵対心を露わにしたりしてしまうため、人間関係が不安定。

 

原因

小学校に入学した頃くらいから、極度な不安症で、時計を家じゅうに何十個も置いて、全部の時計で時間を確認してからじゃないと家を出られませんでした。

不安な気持ちが強いときは、不安を紛らわすために指の皮をむいて手が血だらけになっていたりすることもありました。
友達に見栄を張るような嘘をついたり、みんなが好きなものをすごく憎く感じてわざと罵倒したり、その罪悪感から、自分はみんなに嫌われていると思い込んでいました。

 

両親からの暴力などは一切なく、逆に、なんでも許してくれる親でした。
何をしても怒られることがありませんでした。
何をしても両親が味方でいてくれて、守ってくれることに安心感を感じていると同時に、少しの違和感もありました。

 

小学校高学年頃から、自分の親はおかしい・恥ずかしい、という気持ちが強くなり、中学・高校の反抗期の時期は、家の窓に石を投げて割ったり、親兄弟に暴力を振るったりしていました。その一方で、彼氏には依存的で、彼の気を引くために自殺未遂をしたり、家に帰らなかったりする時期がありました。

 

20歳前後の時期は、周りの目線を極端に気にするようになり、食事制限と過食を繰り返し、太っているから恥ずかしい、と引きこもりがちになっていました。

 

ざっと自分の過去を振り返ってみても、幼い頃から何かしらの症状があるので、原因は家庭環境なのだと思います。
自分で思い当たることは下記の通りです。

 

●母親が隣に住んでいる義母と不仲で喧嘩ばかりしており、ヒステリックに叫んでいる場面をよく見ていた。

●祖母には攻撃的な母親が、自分の子供(私と弟)に対しては上記のような態度をとることが一切なく、違和感を感じていた。

●父親は母親の言いなりだったが、母のいないところで母の文句を言っているのをよく聞いていた。

●両親は、明らかに自分の子供に問題があることでも、子供のことを悪いと言わず、私は怒られたことがなかった。

●わたしが暴れたり、暴言を吐いても、止めようとはしたが、やり返されたことがなかった。

●それを、相手してもらえてない、と感じる瞬間が多くあった。

●親以外に、頼れる親族や友人ができたことがなかった。

 

 病院からの返信

10:00に予約メールを送信し、13:00にはレスポンスがありました。

 

〇〇様

〇〇クリニック 院長の〇〇と申します。
お問い合わせ頂きまして、ありがとうございました。

ご事情了解致しました。

実は、このような事柄は、精神科医の領域(医学)ではなくて、臨床心理士によるカウンセリングの領域です。
以下の所をご紹介いたします。
私とも長年提携していますので、信頼できるかたです。
まずは、とりあえず相談なさってみてください。
〇〇(院長)の名前を出していただくとスムーズかもしれません。

「〇〇」というところです。
検索するときは、「〇〇」だと検索しづらいようですので、「〇〇 〇〇」で検索してみて下さい。
[URL]

どうぞよろしくお願いいたします。

 

いつもなら、たらいまわしにされている。見捨てられた。と思うのだけど、

今回は素直に受け入れられました。

 

というのも、

心療内科は行ったことがあったけど、「病院」だから薬を出されます。

でも、私は性格が薬で治ると思っていない。

 

わたしは、ただ、話を聞いて欲しくて

どうしたら自分が変われるのかを教えて欲しい。

 

だから、はっきりと、あなたの場合は医学ではなくカウンセリングの領域です、と道を指し示してくれたことがありがたいな、と思いました。

 

ただ、カウンセリングは自費なので高いイメージがあります。

まずは、費用感を聞いてみようと思います。

 

彼女にしたら破滅する…?「ボーダー」であることを夫に話して認めること

境界性人格障害

境界性パーソナリティ障害

一般的にボーダーと呼ばれている精神疾患があります。

 

 巷に流れる情報を見ると、

「彼女にしたら破滅の道をたどる」

「絶対に結婚してはいけない」

「ボーダーだと気付いたらすぐ逃げましょう」とまでいわれているこの病気。

 

ここからは、私自身がボーダーだと仮定してお話します。

 

本当に逃げるのが正解

一緒にいる人は壊れてしまうと思う。

 

だけど、本人もその性質に苦しんでいることは事実です。

私は今日はじめて、旦那に自分の漠然とした不安を打ち明けました。

 

 

境界性人格障害の特徴

 

  • 感情のコントロールができない
  • 白か黒かの極端な考え方をする
  • 態度が豹変することがあり、人間関係が不安定
  • 自己否定的
  • 自分の一部に対する評価で、全人格を否定されたと思い込む
  • 同じ人物に対しても、好き嫌いがコロコロ変わる
  • 試し行動を繰り返す
  • ギャンブル、セックス依存、過食、OD、自傷行為、自殺未遂
  • 見捨てられ不安

 

ボーダーの特徴として挙げられるこれらの項目。

見事に全部当てはまっています。

 

同じ人でも、気分によって大好きな日と大嫌いな日があり、急に冷たくしたり、敵認定したりします。

 

自分の居場所はどこにもありません。

結婚していても、友人と一緒にいても、いつでもひとりぼっちで、所在なくふらふらと足が地についていないような感覚で、誰も味方がいないと思うことが多いです。

 

カッとなると後先考えずに暴れ、暴れたかと思ったら布団にこもって一日中動けなくなったりします。

 

いつも漠然とした不安を感じていて、その不安が大きくなると、自分を愛してくれているか、見てくれているか、旦那でも彼氏でもない人に試し行動を取ったりします。

 

不安な気持ちを初めて旦那に打ち明ける

最近、友人関係と仕事のことですごくストレスを感じていました。

そして今日、ストレスの原因について、勇気を出して夫に話してみました。

 

下の記事に書いたようなことです。

 

koara20150323.hatenadiary.jp

 

私は、会社の中や誰かの心の中で「いらない人」と認定されるのがすごく怖いのです。

 

不安でいっぱいになると、相手の気持ちを確かめるまで気持ちがおさまらず、わざと冷たくしてみたり、自分の闇の部分を見せてみたり、余計な行動をとってしまいます。

気持ちが落ち着いた後、その行動を死ぬほど後悔します。

自分の行動のせいでもっと嫌われたと思って、自分から距離を置いてしまいます。

 

自分に自信がないから、周りの人がすごく幸せに見えます。

豪華絢爛なヨーロッパの宮殿で、ひとりだけぼろ布を巻いて立っている感覚に陥ります。

私はいつだって惨めです。

 

ひとりで子どもを連れて休日出かけるとその感覚になることが多くあります。

たぶん、他の親子がすごく羨ましく見えるからです。

旦那さんのサポートも手厚く、お金にも余裕があるんだろうな。

そう思うと、電車の中にもかかわらず、涙があふれて止まらなくなることがあります。

 

今までは、人前で怒りの感情を出すことをある程度は我慢できていたのに、最近は、子供を乗せて自転車を漕ぎながら死ね死ね死ねー!!!と叫んでしまったりします。

このままトラックに轢かれて死んでしまおうかと考えることもあります。

 

頭にくる発言や行動をとられると、赤の他人でもあからさまに睨んだり、反論したり、殺してやりたいと思う瞬間すらあります。

 

夜寝る前になると、すべての人に嫌われて見捨てられるような感覚に陥ります。

不安が大きくなると、彼氏でもない人に試し行動のような連絡をしてしまったりして、朝になると後悔と恥ずかしさで消えたくなります。

その人との関係は自分から終わらせます。

 

自分の知らない他人のプライベートな情報を、自分じゃない人が持っているのを知ると、強烈な劣等感と嫉妬を感じ、双方に対して敵対心を抱くようになります。

 

そんなことをまくしたてるように話しました。

 

唯一の相談相手

落ち込んだ時、不安な時、怒りが爆発して止まらない時、

自分が破裂しそうになったり消えかかったり、ずっと気持ちが不安定で、いまにもガランガラン崩れるんじゃないかという精神状態に陥る時。

 

こんな時、心を開いて相談できる人が夫以外にいません。

唯一の相談相手である夫にでさえ、自分の気持ちを話す時はなかなか言葉が出ず、手わるさがおさまらないほど緊張します。

嫌われたり、批判されるのが怖いからです。

 

夫は、基本的には穏やかで冷静。

そして、自分に自信がある人です。

夫は私のことを変な奴だというけど、一部では尊敬してくれている部分があります。

私のことを好きでいてくれているのもわかります。

私の攻撃的で不安症な性格についても、ある程度は理解してくれています。
些細なことで私を見捨てたり、敵対心を持ったりしない人です。

私は、何度も何度も、夫のこのような性格に助けられてきました。

他の人には嫌われてしまう恐怖で言えない事も、夫だけには言えました。

 

「境界性人格障害」という診断

夫は私の話を笑いながら聞いていて、俺はそんなことないなーと言っていましたが、

「これピッタリだね。絶対これだよ。」と言って見せられた携帯画面にあったのが、「境界性人格障害」の文字でした。

 

私も過去、苦しくて、何か解決の糸口を見つけたかった時に、同じ検索結果にたどり着いたことがあり、その特徴や症状すべてに当てはまることに驚いた記憶がありました。

 

でも、とにかく「精神的な病気」を受け入れられない私は、その時は見て見ぬふりをしました。

だって、自分を「境界性人格障害」に当てはめたところで、私の悩みは解決しないから。

 

精神の病気は性格の問題であって、知らない他人に判断されるべきものでもないと思います。

 

私は、自分の性格に人生の大半を翻弄されてきましたが、それでもこの考えは変わりません。

 

カウンセリング、精神科、心療内科。

その類のものに尋常じゃない嫌悪感を抱いています。

ぼったくり。嘘つき。他人。

 

そして、病名を免罪符にして、仕事にも行かず、子供を手放し、それらの機関に頼り切って生きていく選択をする人とも決して相容れないと思っています。

 

極端な言い方のように見えるかもしれませんが、これが本当の気持ちです。

 

医療機関にかかるメリット

これほどまでに精神医療を嫌っているのに、すがりつくかのように医療機関を頼りたくなる瞬間がたびたび訪れます。

自分を構成しているものがバラバラに崩壊する寸前であると感じる今の状況。

自分でそれを止めることができそうにない状況。

誰かに「壊れるのを止めて!」と頼むこともできません。

 

家族には負担をかけたくない。

一から私の感情の状況を説明して、私の精神が安定する方法を模索する。

そんな、深海での宝探し並みに無謀な「自分を変える作業」のために、家族に協力を求めることはできません。

そのことが原因で家族関係が不安定になることが恐ろしいのです。

家族は私にとって、唯一の人との繋がりだから。

 

その時、「他人である」ということは、医療機関にかかる唯一のメリットです。

他人だから無理が言えて、将来の関係維持を考慮する必要がないというメリットです。

 

でも同時に、メンタル系の医療機関にかかることの難しさもそこだと思います。

信頼できない、本心を話せない、めんどくさがられるかもしれないと発言に気を遣ってしまうデメリットは確実にあります。

 

医療機関の受診を勧められる

医療機関に自分の人生を預けている人って、すごく素直で、疑いがないと思う。

そう考えると、ボーダーではないんじゃないの?とも思ってしまうのです。

 

自分でいうのもおかしな話ですが、本当に救うべきは、私のように根っこからひねくれていて、すべてを疑っていて、誰にも助けを求められずにひとりで苦しんでいる人なんじゃないかと思うのです。

 

仮に私が境界性人格障害だったとしても、病院に行って治るわけがないから自分で治す。

そう思っていました。

 

このブログもその一環ですが、

気持ちを書き出してみるとか、過去の記憶を書き起こして整理してみるとか、

自分でいろんな改善方法を試してきました。

 

心理学や心の仕組み、脳科学など、

「どうしたら性格を変えられるのか」をテーマに、たくさん本を読み、調べ、勉強しました。

心療内科の受診を試みた時期もありました。

 

それでも、何も改善されず、感情の波はコントロール不可能なほど激しさを帯び、生きることを諦めたり復活したりを幾度も繰り返してきました。

 

夫にそのこと話すと、

「本読んで治るわけないじゃん。脳の機能の問題なら、薬で何かを制御したりできるんだろうから病院行ってきなよ。」

と言われました。

 

不思議なもので、夫がいうなら、とすんなり病院を探し始める自分がいました。

淡い期待を持って、また医療機関に頼ることになりそうです。

 

「ボーダー」と呼ばれ、世間的に危険認定されている存在であることを認めるのは嫌です。

絶対に人には言えません。

親にも言えません。

理解してくれる人にしか話しません。

私の場合は夫だけです。

 

「認めないから治らないんだよ。専門家の言うこと聞いて、ちゃんと治療したら良くなると思うよ。」

そんな夫の言葉に背中を押されました。

 

不安で恥ずかしいです。

子供の情緒を育ててあげなければいけない時期に、親である自分が、自分の性格を改善しないといけなくなっている状況が、本当に腹立たしく情けないです。

 

だけど、私はただ幸せになりたくて、

楽しいことを心から楽しめて、好きなことを好きなようにできて、

小さなことは気にせず、人のことも気にせず、おおらかな心でいたいだけなのです。

 

こうなってほしいと思う子供の将来像は、

自分がこうなりたいという人間像と同じです。

 

ただ、普通になりたいだけ。

がんばれば、もっと普通に生きられるようになるのかな。

代わりがきかない唯一無二の存在になりたい

代わりが効かない唯一無二の存在。

 

仕事を選ぶ時も、恋愛でも、

わたしはそれを求めていました。

 

自分が急にいなくなっても、誰も困らない。

すぐに代われる人がいる。

その寂しさが、わたしにとってはすごく大きな問題なのです。

 

例えば5人のプロジェクトを始めるとして

「A、Bのスキルがある人」

という応募条件には当てはまることがあるかもしれない。

それで、数人の中から選ばれることもあるかもしれない。

 

でも一方では、「ここは〇〇さん」と選ばれる人もいるのです。

 

わたしがなりたいのはこっち。

だけど、名指しで選ばれるためには、持っているものが少なすぎる。

スキルが足りない。

 

だから、全部身につけなきゃいけない。

勉強が足りない。

語学が足りない。

人から好かれる性格にならなきゃいけない。

 

 

恋愛ではさらに顕著です。

「月一くらい会えて、束縛しない20代の女の子」

 

その枠にはあてはまるけど、この広いくくりに該当する子はありあまるほどいる。

 

私はその中の一人で、

もし、自分より全然可愛い子が同じ条件でいたら、その子が選ばれる。

 

だから、誰よりも可愛くならなきゃいけない。

誰からも認められる美人になりたい。

 

そのためには整形しないといけないし、

もっと痩せないといけない。

 

でも、自分のボーダーラインである「可愛い」を達成することは、実際には無理なのです。

元の容姿も問題だけど、

私は自分と真逆の顔を可愛いと思うから。

真逆の顔にはなれません。

 

だから、わたしはいつまでもブスでデブで

誰からも選ばれないただ都合よく利用される存在なのだと思い込んでしまっています。

 

求めているものが手に入らない。

でも、求めることをやめられない。

 

大勢の中にいるわたしじゃなくて、

わたしだけを見て欲しい。

 

この考え方をしてしまうので、

常に苦しいです。

 

理想と現実の乖離。

常に足りないものがある感覚。

満たされない。

劣等感。

 

 

 

 

 

 

 

一日何もできないまま終わった

さっきから、涙が止まらない。

 

ただの人恋しさじゃなくて

 

もっともっと深い寂しさ。

 

家族はいるのに、何も感じない。

 

子供が目の前にいても、何も思わない。

 

体がすごく重いのに

 

フワフワと浮いてるような気分。

 

寂しいからって

 

話したい人も、会いたい人もいない。

 

ただ、暗いところに、ひとりでいる。

 

誰からも見られない。

 

誰も気付かない。

 

深くて、暗いところで、

 

自分が、座って泣いてる。

 

その映像が何時間も目の前にあるだけ。

 

気が付けば、日付が変わっていた。

 

旦那が帰ってきたから、子供を寝かした。

 

なんとか一食だけ作った。

 

朝は旦那が子供にご飯を作ってくれた。

 

それ以外、ずっと、座ってるか寝てるかの一日だった。

 

部屋がゴミ屋敷のようだけど、

 

全く頭が働かない。

 

何をすればいいか考えられない。

 

いつも週末こうなる。

 

だんだんひどくなる気がする。

 

限界が来る前に、なんとかしなきゃ。

 

どうしたらいいの?

 

誰か助けてほしい。

 

気持ちがわかってしまうような

座間市の連続殺人。

 

もちろんおかしいと思うけど、

犯人と被害者、両方の気持ちがわかってしまう気がする。

 

 

自分に対する劣等感とか、

それを覆したい気持ち。

周囲を見返したい気持ち。

自分の強さを誇示したい気持ち。

自分の存在を見て欲しい気持ち。

 

 

いなくなりたい。

でも、死ぬのは怖い。

ひとりでいたくない。

誰かに近くにいてほしい。

誰でもいいから優しくしてほしい。

自分を必要としてほしい。

 

とか。

 

でも、変な方向に気持ちが向かってしまうのは、怖いことですね。