こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

表現することで自分の存在を感じることができる

歌とか、ピアノとか、仕事で何かデザインを出すのもそうなのだけど、自分の思いを形にして外に出している時がすごく幸せです。

 

人と喋る時、わたしは本当の自分がわからない。

 人に合わせてカメレオンのように変わっていく自分の性格。

たまに使い分けがわからなくなるし、この人にはどの自分を出したらいいんだっけ、と忘れてしまうこともあります。

 

ひとりのわたしのはずなのに、沢山のわたしがいる。

どれも本物のようで、どれも偽物のよう。

自分がどんな人間なのかわからない。

本当の自分はどれ?

本当の自分はいるの?

 

人と仲良くなると、わたしはどんな性格なの?としつこく聞いてしまう。

わたしが誰なのかを、まわりの評価で判断しようとする。

まわりから見えている自分がいることに安心する。

 

自分のことが知りたい。

本当の自分を見つけたい。

自分の本体がほしい。

いつも不安のは、本当の自分がいない気がするから。

 

そういう意味で、自分の気持ちとか思いがちゃんと形や音として出せて、人に伝わっているのが感じられる表現作業をしている時に喜びを感じます。

 

自分の形や本体が、人に見てもらえている気分になるからだと思います。

 

自分は透明人間だけど、本当はみんなに気づいてほしい。だけど、透明じゃなくなることができない。

だから、色付きのマントを被って存在をアピールしている。

そんなイメージ。

 

 

不安に負けてしまう

やっぱり怖い。

ひとりになるのが怖い。

 

年末年始は、安定した生活が崩れる。

週5日、毎日会社で会っていた人に会えなくなる不安。

その間、誰も会う人がいない寂しさ。

 

誰かに会いたい。

寂しい。

必要とされたい。

 

セックスに逃げたくなる。

私から連絡すれば相手はいるかもしれない。

だけど、もうやめようと頑張ってきた。

 

そもそも、誰かとセックスしたところで私の寂しさが埋まらないのもわかっている。

瞬間的には満たされるけれども、根本の寂しさは絶対に埋まらない。

それをやるなら、複数の人との関係を定期的に続けないといけない。

でも、そしたらまた元通りになってしまう。

 

友達だと思ってた人はいつのまにか友達じゃなくなっている。

いつもそう。

気付けば距離を置かれている。

27歳になっても、友達がひとりもいない自分が恥ずかしいし、虚しい。

 

出会い系に手を出しそうになる。

あんなに簡単に、そして継続して承認欲求が満たされるものはない。

わたしがここにいる感覚が得られる。

生きてる意味がある気がする。

 

でも、わたしはセックスが好きなわけじゃない。

痛いし、疲れるし、好きでもない人とするのは苦痛だ。

でも、私のことを見てくれる。

必然的に一対一の状況になるから安心する。

いま目の前にいる人のことを私はよく知らないけれど、それでも、いまこの人は私のことだけを見てくれている。

 わたしを抱きしめてくれる。

わたしを必要としてくれている。

充足感が得られる。

 

だから、好きじゃない人にも好きって言う。

嘘もつく。

私のことだけをみてくれるなら、どんな手段でも取ろうとする。

 

知らない人と二人きりになった時の幸福感はわたしのアイデンティティの確立にとってとても大事なものだった。

いま、それがなくてバランスが取れない。

自分の周りに誰もいない絶望。

 

ひとりでいるのが怖い。

誰かに見てほしい。

わたしがいることをわかってほしい。

生きてる意味を感じたい。

 

 

仕事に行くのが怖い

最近会社でも、意識が遠くなる事が多くなってきた。

 

周りの人が見ている私は、座ってパソコンの画面を見ている。キーボードを叩いて、本を読んでいる。

 

でも、私の本体は宙に浮いている感覚で、今ここから逃げたいと思っている。逃げ出そうとしている。

 

理由は、人とコミュニケーションを取れないから。そして、コミュニケーションが取れないがゆえに嫌われるのが怖いから。

 

元気がない時、疲れている時は、誰とも話したくないし気も遣いたくない。

でも最近は、元気がなくて、疲れている。

 

私に話しかけないでほしい。私を見ないでほしい。誰の視界にも入りたくない。

消えたい、消えたい。

 

人に嫌われるのが怖い。

意識が飛んでる時の暗い自分を見られたくない。

 

でも、コントロールが効かない。

 

笑えない。口角を上げられない。目を合わせられない。機械のように、淡々とした返事をするだけ。

 

これは本当の私じゃないんだよ、ってアピールしたい。元気だったらちゃんとできるんだよ、って言いたい。こんな気持ちを誰かに読まれていたらどうしよう…。

 

私は、いつも明るくて穏やかな人として存在していたい。そうじゃなきゃ存在価値がない。

 

結婚している。容姿には自信がない。英語も数学も苦手。頭は良くない。

 

ただでさえダメな私が、どうして暗い雰囲気を出しているの?

どうして私は何の価値もないのに、周りをイライラさせる態度を取っているの?

だから、嫌われるんだ。

理想の自分じゃない自分はいらない。暗くて、うじうじしている自分の本体なんていらない。

 

みんなが自分から離れていくのが怖い。

私の態度や行動、私の存在は、人をイラつかせる。

 

眠いなあ。

寝よう。

 

 

 

 

 

カウンセリング初回②(2017/12/21)

カウンセリング初回①はこちらです↓

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Q&A 続き

⑽自信喪失のおおもとになった出来事について、人に話したことはある?

 

↓自信喪失のおおもとになった出来事

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ちょうど、実母に用事があって昨日電話をした。雑談の中で、なんでそんなに自分に自信ないの?と聞かれたので、初めてこのことを親に話した。

 

 話を聞き終えた母に、

「全然気付かなかった。本当にごめんね。泣きそうになるよ。」

と言われて、すごく冷たい気持ちになった。

 

泣きそうになるのは、ずっと苦しんできたのはこっち。

母は、私の悩みをすぐ自分のことに置き換える。

 

母も、母親(私にとって祖母)との関係に悩んできたんだと思う。

あまり話したことはないけど、祖母はとにかく学歴重視な人で、母はそれが嫌だったみたい。

 

「もっと孫を大事にしてほしかった」「(頭の良い)いとこ2人と差をつけないでほしかった」「〇〇ちゃん(いとこ)の成人式の着物は買ってあげたのに、うちの子供たちの時は何もなかった。」「弟が引きこもり始めた時も、見て見ぬ振りをした」

 

母は、祖母に対してそんな不満を言っていた。それを聞いて私は、やっぱり祖母は自分と弟には興味がなくて、何の期待もしてなかったのだと確信した。

そして母も、私との関係に向き合う以前に、自分の母親との関係が清算できていないんだということも理解した。

 

また、母と母の義母(私にとっては父方の祖母)の不仲も酷かった。

 

小さい頃に、私が一人で隣にあったおばあちゃんの家に遊びに行った時、サプリメントのようなものを食べさせてもらったことがあった。

 

家に帰ってそのことを話すと、母は急に怒り狂って、祖母のところへ行き大声で怒鳴った。

「そんなもの食べさせないでください!勝手な事しないでください!」

 それに戸惑いながらも反論する祖母。

 

私のせいだ。

私のせいで二人は喧嘩してる。

私のせいで二人は仲が悪くなってしまった。

私はおばあちゃんと仲良くしちゃダメなんだ。

おばあちゃんと仲良くしたらお母さんが怒る。

おばあちゃんと遊びたいけど、遊ばないようにしなきゃいけない。

 

それからは、祖母となるべく話さないようにし、話す時も敬語を使うようにした。

 

私が心を許せる家族は、どんどん減っていった。

 

(11)希死念慮はある?

 

ないけど、口癖のように死にたいと言っている。イライラすると死にたいと言っている。本気で死のうとは思っていない。

 

ただ、旦那と喧嘩した時は、本当に誰も頼る人がいなくなるから死にたくなる。誰も助けてくれる人がいないと思うと、不安と寂しさで本当に死にたくなる。

 

(12) 今まで心療内科や心理士との面談をしてきたと思うけど、今回はどう?

 

今まで話を聞いてくれた人たちはなるべく私を刺激しないようにしていて、腫れ物に触るように扱われてきた感があった。でも、今回のNさんは、まず私の性格を把握してくれて、「あなたは、ちゃんと根拠があることを論理的に説明することで納得できるタイプかな?」と言ってくれた。

 

自分のことをちゃんと見てくれてると思ったら、変に気を遣って話しづらくなったり、漠然とした言葉を並べてお金だけ取られているというような疑いの気持ちも少しだけ晴れた。

 
 (13)料金と今後の継続について

 

ここまでのことを話したあと、うつ状態のチェックシートと性格診断のチェックシートに回答した。

うつ状態はひどくなく、性格の結果へのフィードバックはこの日はなかった。

 

そして、料金と今後の進め方についての説明があった。

次回は、自分の過去を書き出してきてほしい。それがあるとカウンセリングがスムーズに進む。そのまとめ作業が発生するから、料金は50分15,000円になる。

 隔週で通う人が多い。でも、こっちはどうにでもできるので、希望の通りにする。

 

諸々含めて、通えそうですか?

 

まず、金銭面では、かなり費用がかかるので隔週で通うのは難しい。

うちは旦那が家計管理をしている。旦那は私の事に全く理解がないわけじゃないけど、全てに理解があるわけでもない。治療の名目でお金をバンバン使うとたぶん怒られる。そのことで喧嘩になりたくないから、あまりバレないようにしたい。

旦那と喧嘩になる事が私をいちばん不安にさせるから、それだけは避けたい。

月一で通いたい、と話した。

 

次にカウンセリングの時間について、

「今回、50分の予定が1時間半になっています(責められている気持ちになる)。初回だから時間を長めに取っているので大丈夫なんだけど、次回からは話したい事をノートに書き出しておくといいですよ。カウンセリングの後も、話した事を書き出していって、カウンセリングノートを作るといいと思います。」

 

そんなアドバイスをされた。

 

(14)カウンセラーについて

 

Nさんはカウンセラーらしく、「頑張りましたね」「それは辛かったですね」などの相槌を私が言ってほしいタイミングで言ってくれる人。

 

「内省する力もあるし、言語能力も高い。

ちゃんと気持ちを継続して文字に書き起こしているのはすごい。ここまで整理出来ているので、スタート位置が高いです。

でも、ご家族の問題が根深そうなのと、あなたの悩みがそれだけに起因するものではない気がしているので、たぶん回復には時間がかかると思います。

家族関係だけじゃなくて、他にも解決すべき事がありそうだね。

まだブログを書く前の、自分を整理出来ていない状態でもカウンセリングの方法はあって、今の状態からしていくカウンセリングの方法もあります。

今のあなたは見捨てられ不安がすごく強いね。(読んでいる本を見て)あなたの見立ては大体合ってると思います。あと、ご両親に対して複雑な思いがあるんですね。すごく優しくていい親だった、とも思っているけど、ご両親に対して冷たく思う気持ちも持っている。」

 

感想

Nさんは、「話を聞く」のではなく「改善する」ことに焦点を当ててくれていたし、無責任に「きっと治るから大丈夫」というような発言をされなかったので、お金はかかるけど続けてみようと思いました。

 

でもやっぱり、お金を払う時と、「初回は長めに時間を取ったけど次からは50分なのでもっと短いです」とルール的な話をされると、一気に距離を感じますね…

部屋を出るときは、やっぱり見捨てられた気分になってしまいました。

 

今日は朝から暴食してしまったなあ。

気持ち悪いけど、吐くのが苦手なので吐けない。

 

 

 

 

 

 

カウンセリング初回①(2017/12/21)

 

今日は仕事を早退して、初めてのカウンセリングに行ってみました。

以前受診相談のためにコンタクトを取った心療内科の先生に紹介していただいたところです。

 

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私はもともと心療内科や精神科カウンセリングの領域を信用していません。

 

医者といっても赤の他人。

いくら仕事でも(むしろ仕事だからこそ)、

血の繋がりもない、関わったこともない赤の他人の事を本気で考えるわけないと思ってしまうからです。

 

ましてやカウンセリングなんて更に怪しいものにしか思えないし、

今でもそう思っています。

 

「性格を診断するテスト」と言って高額なお金を取られるんだ。

話を聞くだけで50分1万円なんて完全にぼったくり。

無難な回答で時間を潰して、面談をさっさと終わらせたいんだ。

今日も、話をしながらそんな事を考えていました。

 

カウンセリングに通うことにした理由

それでも今日、自らの意思ではじめてのカウンセリングルームに行く事にしたのは2つ理由があります。

 

ひとつは、精神医療に関わる全員が全員、話ができない人ではない。

自分のことをありのままに話せる「他人」=カウンセラーだと思ったからです。

 

そう思うようになったきっかけがこのときです↓

 

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もうひとつは、この3年間、このブログに書き出してきたことで、自分の気持ちが少し整理できてきて、カウンセラーに求めるものが明確になったから。

 

例えば一年前、まったくの暗闇で、全部が手探りの状態でカウンセリングを受けても、改善にはつなげられなかったと思います。

それは、相手のカウンセラーが言う事を受け入れる態勢がちゃんとできていなかったから。

 

専門的に話されてもわからない。

かといって、「大変だったね」「頑張ったね」「大丈夫だよ」と薄っぺらい言葉をかけてほしいわけじゃない。

 

自分で整理をしてきたことで、

改善のために、何が原因で、現状こうなっていて、根本にあるのはこれで、あなたはこうすればいい、と、論理的に納得感ある提案がほしい。

この、カウンセラーに求めるものが明確になったことが二つ目の理由です。

自分で精神障害や脳の仕組みを勉強し、相手と対等に近い場所で話せる状態まで自分を持って行けた実感があったことで、今回カウンセリングを受ける事を決めました。

 

Q&A

予約の際には、心療内科に問い合わせた時に送ったのと同じ内容を、メールで送っていました。

 

今日はまず始めに、家族構成や現在の同居人、仕事内容、過去の通院歴を記載する簡単な質問表に回答し、それに沿って何個か質問をされました。

 

⑴同居人に実弟がいるのはなぜ?

弟は引きこもり?ニート?でずっと実家にいたが、やりたい事があって東京に出てきたいと言っていたので受け入れた。

夫の職場でアルバイトとして働いている。

 

⑵旦那さんは会社経営されてるの?

していない。普通の会社員だが、規模が小さく人も足りないので弟の件は融通が効いた。

 

⑶あなたの仕事は事務と編集?

事務職の契約社員で入社したが、仕事量の関係で編集業務を並行してやっている。今は半々くらい。

 

⑷過去カウンセリングや心療内科には行ったことがある?きっかけは?

25歳くらいの時にうつ症状があり半年くらい通ったと思う。きっかけは、育児が辛くなった時期に相談していたケースワーカーさんからの勧め。当時は心療内科に対する猜疑心を強く持っていたので、先生のことを信頼できず、薬や漢方も効果が感じられなかったのでフェードアウトした。

 

行政の心理士さんとの面談もしていたが、通院と並行してだったので、通院の報告と現状の体調報告がほとんど。自分の内面を深く掘り下げていくことはなかった。期間はこちらも半年ちょっと。

 

⑸今回カウンセリングを受けることにしたきっかけは?

ブログを書いてきたことで気持ちが整理出来てきた部分もあるけど、行動も気持ちも何も変わらない。

身内や周囲の人には話せない。話せる人が一人もいない。整理したものをどうすればいいのか、どうしたら改善できるのか、専門家に教えて欲しいと思った。

 

⑹この領域の事をご自身ですごく勉強されてきた印象。どんな本を読んできた?それぞれに書かれている内容の詳細や思ったことは?
  • 境界性パーソナリティ障害(岡田尊司)

 自分が境界性パーソナリティ障害なのかもしれないと思って、改善方法を知りたくて読んだ。

 

  • 境界性人格障害(BPD)のすべて(星野仁彦監修)

境界性パーソナリティ障害の仕組みを科学的に知りたくて読んだ。

 

  • 脳科学は人格を変えられるか(エレーヌ・フォックス)

すごく好きな本で「性格は変わるのか?」を検証する実験の話が沢山乗っている。一人の人生で見たときにそれが応用できるのかわからないけど、小さい実験で「性格は変えられる」「脳は変化する」という検証結果が多数出ていることで、自分も変われるかもしれないと希望を持った一冊。

 

  • 脳と瞑想(プラユキ・ナラテボー)

まだ読んでいないが、『脳科学は人格を変えられるか?』で触れられていた領域に「瞑想」があったので興味を持った。今現在は瞑想についてもあまり信じていないが、これも科学的な根拠が分かれば実践できるかも、と思って買った。

 

⑺『脳科学は人格を変えられるか?』が好きだと思ったのはなぜ?

心理学(については勝手なイメージかもしれないが)は、「あなたの気持ちの問題です」「捉え方を変えてみましょう」「マイナスのことをプラスに転換する方法」みたいな、感情論、ハウトゥーが多いイメージ。それだと私の場合納得感が得られなくて、実践に繋がらなかった。「科学的・論理的に実証されている」ことや「脳の仕組み」に裏打ちされたものであることで納得感が得られるので、脳から性格の変化にアプローチしているこの本はしっくりきた。

 

⑻今の自分について、はっきり言ってもらった方がいいか、ぼやぼやっとさせておいた方がいいか、どっちがいいかな?

はっきり言ってもらいたいです。

 

⑼カウンセリングの目的は?(目的が変わることがあるのを前提として)

子供を虐待しないとか、普通の人間関係を構築できるようになりたい、とか、細かいことは沢山あるけど、全部に共通するのは自分に対する自信のなさ。自分に自信が持てるようになりたい

 

↓このことが、自分に自信を無くしたおおもとの原因だと思う。 

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ずっと両親との関係を洗い出そうとしてきた。でも、両親は私のことを怒ることもないし、穏やかで、すごく良い人たちだった。

でも、親戚まで範囲を広げたときに上の記事に書いたことが鮮明に悲しかった記憶として思い出された。

自分は人とコミュニケーションを取れない。誰も自分を見てくれない。私がいなくても誰も困らない。この時から現在まで、いつもそう思っている。

 

両親は良い人だし、私のことをすごく愛してくれてたと思う。でも、本気では向き合ってくれなかったのかもしれない。

上の記事に書いたように、誰かにすがりたい気持ちで、当時の自分にとっては精一杯の行動として隣の部屋に一人で逃げ込んだが、両親にさえ相手にされなかった。

 

思春期に親や弟に暴力を振るったり、家の窓ガラスに石を投げつけて割ったりしたのも、当時の私ができる最大限のアピールだったと思う。その時も両親は、止めることはしたがやり返してこなかった。父親は無言で割れた窓ガラスに新聞を貼っていたし、母親は一人で泣くこともあった。

 

本当は、その時、叩いて欲しかったし殴って欲しかった。私がこんなに全力で向き合おうとしているのに、なんで逃げるの?どうして相手にしてくれないの?なんで私のことを見てくれないの?

 

やり方は間違っていたかもしれないけど、私は必死に自分を見て欲しくて行動してきた。でもことごとく失敗してきたことで、完全に自信喪失した。存在価値がないと思った。

 

こんな状態でも、自信が持てるようになりたい。それがカウンセリングの目的。

 

 

両極端にいる二人の自分

わたしの自信のなさや、コミュニケーションの下手さ、肥大化する承認欲求。全ての根底にある体験を思い出しました。

 

幼い頃の不認証体験 - ゆるゆる子育てライフ

 

ここに書いた出来事は、自分にとって、とても大きな傷を負った体験です。

 

私以外の子供(いとこ2人と弟)は、親以外の大人と普通にコミュニケーションが取れているのに私はできない。

私にはお父さんお母さんしかいないのに、両親さえも相手にしてくれない。

みんな得意なことがあるのに自分だけ何もない。

お茶をください、すら言えない自分。

最低限のことすらできないダメな私。

誰も、私のことを見てくれない。

私なんて、居なくてもいい。

 

この時、誰にも見てもらえなかった私は、いまもずっと自分の中にいます。

 

思春期以降、自我が芽生えてくるのと同時に、私は「言いたいことがちゃんと言える人になる」と決意して、今までの引っ込み思案な自分を捨てようと試みてきました。

 

ただ、当時は加減がわからなかったのもあり、とにかく大嫌いな幼い頃の自分を早く捨てたい一心で行動していました。

 

27歳になった今、周りからは、言いたいこと言えて羨ましい、怖いもの知らずだね、気が強い、自分に正直に生きてる。

そう言われます。

 

だけど、幼い頃の引っ込み思案で誰とも喋れない私は確かに心の中に存在していて、両極端の性格を持つ二人の自分の間を大きく行ったり来たりしている状態です。

 

飲み会の席で、社長に無礼講とも言える発言をしてしまって、周りにすごいね、よくあんなこと言ったね、と言われると、途端に血の気が引いていく感覚に陥り、泣き出したいような逃げ出したいような気持ちになります。

 

会議でたくさん発言したり、自分の主張を通そうとしたりするけど、一人になった瞬間、あの場にいた人全員に嫌われたかもしれない、と不安になります。急に誰とも目を合わせられなくなり、私に話しかけないで、近付かないで、ひとりにして、と念じているような時間もあります。

 

でも、私の主張の根底にあるのは、「私を見て!」という気持ちで、不安の裏にあるのは、「私を嫌わないで」という懇願なのです。

 

今、私は幼い頃の自分を嫌っていません。可哀想だと思います。

前に書いた時の記憶を思い出す度に涙が出ます。

私は、子供の頃の私を助けてあげたいです。その時の悲しみと絶望感がわかるからこそ、助けてあげたいです。

辛かったね、悲しかったね、と声をかけてあげたいです。

 

だけど、「でも、あなたはひとりじゃないよ」「居なくなっていい人じゃないよ」という言葉だけはかけてあげられません。

大人になっても、その思いだけは消えないからです。

 

 

 

 

わたしだって甘えたい

昨日は、午前中病院に行って、昼頃から子供達を公園に連れて行きました。

 

病院から帰る電車の中ではすごく気持ちが落ち着いていて、子供達と遊びたいなあ、と純粋に思っていました。

 

公園にいる間も、終始安定した気持ちで子供達と向き合えていて、娘が「やっぱり保育園よりお休みの方が楽しい」と言ってくれたことに感動の気持ちすら感じました。

 

だけど、その前後、夫と口論になったり、イライラが暴走した時間がありました。

でも、全く思い出せません。

 

このような、軽い解離症状がずっとあります。自分が怒りを爆発させた時の記憶が、全部抜け落ちています。

思い込みかもしれないと思って昨日からずっと思い出そうとしているのだけど、きっかけも自分のとった言動も、何も思い出せません。

 

明日、民間のカウンセリングに行きます。

心療内科から教えていただいたクリニックです。

3年間この記録をつけてきて、整理できてきたことや、行動の裏にある本当の気持ち、本当に解決しないといけないことが何か、わかってきた部分もあります。

だけど、その情報をどう捉えて、どう行動を変えていけるのかがわかりません。

 

自分の力では限界があり、家族や身内に頼れる人もいません。

中立な立場で、近すぎない距離で寄り添ってくれる人が欲しいです。

 

思春期の頃から、親に過保護にされてきて、人に甘え続けてきた自分から脱却したいと思ってきました。そのためにたくさん思考錯誤してきたつもりです。

特定の人に依存したり、距離の置き方がうまくできなくて人間関係を壊してしまったり、数え切れないほど失敗してきました。

 

自立したい、一人で生きていける力が欲しい。そのために、必死に努力してきました。

 

でも本当は、わたしだって甘えたい。

思春期まで持っていた歪んだ甘えじゃなくて、ただ、心休まる場所が欲しい。安心できる場所が欲しい。

未完成の私を、受け入れて欲しい。

作らなくても、飾らなくてもいいって言って欲しい。

今このままの自分を、ただ受け入れて欲しいだけです。

 

 

承認欲求を満たすことじゃなかった

どれだけ毎日を充実させても満たされない感覚がずっとあり、なんでだろうと考えていました。

 

最初は、自分は承認欲求が強いほうで認められたい気持ちが人より強いから、そこが満たされていないのだと思っていました。

 

でも、いくら仕事で成果を出しても、会社の基準を上回るくらい昇給しても、気持ちが満たされるのはその一瞬だけでした。

嬉しさが落ち着いたら、すぐ次が欲しくなる。

 

 

男性関係も同じで、複数人との関係を絶って少し時間が経ちましたが、無かったら無かったで何の問題もありません。

赤の他人が自分に興味を持ってくれること。女性として褒められること。それが自分の自信に繋がると思って、疑似恋愛のようなことをしてきました。

でもそれも、ただ足りないものを満たすための行動で、一瞬だけ満足感や自信を得られるのみ。持続することはありませんでした。

 

本当は、瞬間的に自分の承認欲求を満たしてくれるものがほしいわけではなく、積み上げていけて自分の自信になるものが欲しいのです。

認められたい気持ちの根底にあるのはたぶん、自信のなさを解消したい気持ちです。

 

私は、何をしても自分に自信が持てず、ずっと不安な気持ちを抱えて生活してきました。

容姿、学力、性格、どれをとっても「自分なんかだめだ」と思っています。

加えて、自分の「だめ」の範囲は非常に広く、平均以上ではだめで、10段階で言ったら10でないといけないのです。

自分に厳しいというよりも、一番上のポジションにいる自分にしか価値がないと思っていることで、その考えに至っています。

 

そしてそれは、一瞬生まれる自信を全部潰していきます。

褒められても瞬間的な喜びしか感じられなくて、自信に繋がらない。
褒められた箇所はすぐ端に避けて、自分のダメなところ、足りないところばかりに目が行きます。
逆に、褒められたところに焦点を合わせると、高飛車な態度になってしまって、バランスが取れなくなります。

周りとすぐ比較して、「いくら褒められても、この人達の中でわたしは底辺だ」という思い込む癖もあります。
全部自分の主観ですが、 会社の中で必要だと思う人を順番に並べてみたり、会社への貢献度を比較してみたりします。そうした時に、自分は最低ランクでうろちょろしていると思ったら、いくら褒められても惨めな気持ちにしかならないのです。
こんなことで喜んでいる自分は恥ずかしい。そう思い、萎縮します。

 

本当に求めているのは、承認欲求を満たすことじゃなくて、自分に自信を持つこと。

そう考えると、刹那的に承認欲求を満たす作業を繰り返すことには何の意味もありません。

いままで、自信を取り戻すための作業と捉えていた男性との関わりでも、刹那的な満足感は得られるものの、長期的に自分の精神の回復に繋がるか否かで考えると、何のメリットもないことに気がつきます。

 

どう頑張っても満たされない承認欲求を満たそうとしてきましたが、キリがないように感じていました。いままで私が改善のためにとやってきた行動は、瞬間的な欲求を満たすに留まっていて、最終目的も見誤っていました。

 

本当は、自分に自信を取り戻したい。自信を持てるようになりたい。そのためにはどうしたらいいんだろう。

 

また一から考えないといけません。

 

 

 

 

行動が良い方向へ変わった瞬間

今日は有給をもらっていました。

自分の通院と子供の予防接種のためです。

昼は、旦那とご飯に行く予定でした。

 

夫とふたりで、周りに子供がいない状況で話すことは、たぶん2年以上無かったと思います。男性関係を断ち、この人を大事にしよう、理解しあっていきたいと思っていた矢先、たまたま数時間予定が合ったので、一緒にお昼を食べようという話になっていました。

なんだかんだそれを楽しみにしていました。

 

それなのに、今日は休みということで気が抜けてしまったのか、昨日夜外食で疲れたのか、朝起きられませんでした。

 

夫も午後から仕事だったので起きなくて、子供達を送ることもできず、わたしは病院の予約にも間に合わないくらいの時間でした。

 

全部の予定が崩れることで一気にイライラしてきて、夫に、子供送れないの?って強い口調で言ってしまったり、もう病院無理だ、電話するって決めつけたりしていました。

 

でも、中立を保とうとする自分が出て来て、今日病院をキャンセルしたら、また会社休まないといけないし、精密検査の結果がわかるまでまた時間がかかるよ、と言っていて、夫とのことも、別の予定で早退予定の日とか、合わせられる時間はあるんじゃない?

そもそも悪いのは起きられなかった自分だから、それを人のせいにしたらその人が嫌な気持ちになるのは当然で、もし旦那にも予定伝えてたのに、って思うなら、昨日は仕事終わりに外食で子供達をお風呂にも入れてくれたし、旦那もめずらしく朝ゆっくりだから、それで早起きしろよ、っていうのは可哀想だよね、と考えてくれました。

 

普通の人はふだんからその思考回路になれるのだと思いますが、10代前半からここまでずっと周囲に責任転嫁し続けてきて、それを純粋に正と思っていた私にとってはそれがとても難しく、いままでは第一段階で溢れ出てくる責任転嫁の感情に飲み込まれていました。そしてそれを行動化してしまうともう後戻り出来ず、人間関係を壊し続けて来ました。

 

ですが最近になって、第一段階の責任転嫁の感情が育っていこうとするのと同時に、第二段階の冷静・中立の感情がそれを諌めてくれるということが起こるようになってきました。

それは本当に、別の人が自分の中に入ってくるような感覚ですーっと出て来て、冷静に考えたらこうだよね、って説明してくれます。それによって行動が変わることも増えてきました。

 

今日も結局、急げば間に合う!とダッシュで病院に行く準備をして、子供達はお休みさせて、夫にその間見てくれるよう頼み、夫とのランチは諦めてまた別の日で設定しよう、と丸く収めることが出来ました。

 

 

幼い頃の不認証体験

境界性パーソナリティ障害発症の原因は、その人の過去に必ずあります。

 

幼い頃の、心的外傷体験(心が傷付いた体験)や不認証体験(自分を認めてもらえなかった体験)により、その人は潜在的な脆さを抱えています。

 

過去の心の傷や痛みを蘇らせる出来事が起こった時、過去の辛い状況が再現されることで、境界性パーソナリティ障害は発症します。

 

きっかけとなる出来事は、なんらかの離別体験、喪失体験、見捨てられ体験です。例えば、

  • 親との死別、生き別れ
  • 彼との離別+中絶
  • 誰かと親密な関係になること自体

 

また、両親が揃っていて一見愛情深く見えても、丁寧に過去をたどると必ずその人が構ってもらえず寂しい思いをした経験があるはずです。

 

 

 

わたしの両親は、私のことをとても大事に育ててくれました。

ただひとつ鮮明に思い出すのは、母方の母(わたしにとって祖母)の家に行ったときの出来事です。

あまりにも鮮明に思い出すので毎回そうだったのかもしれないけれど、たった一回のことだったのかもしれない。

 

祖母の家には、祖母、叔母、叔父、いとこ(女・私より5歳くらい歳上)、いとこ(男・2歳くらい上)がいました。

 叔母の家に行く時は、父、母、私、弟の4人で行きました。

 

小さい頃から人見知りで無口だった私に比べて、弟はいつもニコニコしてて無邪気。顔も女の子のように可愛らしく、子供の私ですら可愛いなあと思うような子でした。

 

夜は、居間でテレビ(名探偵コナン)を見ながら全員で食卓を囲むのが常。

居間の隣には、襖を挟んでもう一部屋ありましたが、その部屋はだだっ広くて、いつも電気が消えていました。弟の出産で私が祖母の家に預けられた時、祖母と二人で過ごした部屋でした。

夜、救急車のサイレンを聞きながら、寝ている祖母の横をこっそり抜け出し、カーテンの隙間から真っ暗な外を見ていたのを思い出します。

暗くて、部屋の奥にある掛け軸が怖くて、はじめて母と離れた、怖くて寂しかった記憶です。

高台にある家から見える外の街灯が小さく光っている事で、母とつながっているような気がしました。

 

みんなで食卓を囲む際、話題に上がるのはいとこか弟の話でした。

いとこ二人は頭が良く、勉強がとても良くできました。上の姉は自分に自信があり自己主張も強いタイプ。下の弟は、大人しかったけれど、姉以上に学力があったので、叔母や祖母にとっては自慢の子供、孫だったのでしょう。

私の弟は、先述した通り愛嬌がある上に一番年下だったので、いつも話題の中心にいて、可愛がられていました。

 

一方で、わたしはお茶のおかわりが欲しいのにそれすらも言い出せず、いつも喉の渇きに耐えていました。人の話が全然入って来なくて、ずっと、おかわりくださいっていつ言ったらいいんだろう、と考えていました。

そんな私は周りから見るととても奇妙な子だったんだと思います。

私の話題になると空気がピリッと張りつめるのを子供ながらに感じていました。

それは罪悪感と恥ずかしさを伴うものでした。

 

私がいつも悲しい記憶として思い出すのは、みんなが居間に集まって名探偵コナンを見ている時に、隣の暗い部屋でひとりで体育座りをしてみんなの話を聞いている自分の映像です。

談笑している声、弟を可愛がる声、いとこを称賛する声。

コナンのストーリーを先読みするいとこ。よく思いつくねえ、やっぱり頭がいいねえ、と褒める祖母。

それらを聞きながら暗い部屋でうずくまる私。

 

ひとりで暗い部屋にいたら、誰かが心配して迎えにきてくれるかもしれない。どうしたの?って声をかけてくれるかもしれない。誰かが私のことを気にしてくれるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いていた。当時の私にとっては決死の行動でした。

 

だけど、誰も私の話題を出さない。両親も呼んでくれない。

お腹が空いたのにご飯を食べられない。喉が乾くけど何も飲めない。

いないものとして扱われている自分。私がこの場に居なくても誰も困らない。

 

今までの人生で、何度も何度も思い出した映像です。この体験が今の私に大きく影響を与えているのは間違いないと思います。

 

中学校に入学して以降、私は祖母の家に行ったことがありません。

その頃の私にとって、祖母や叔母は完全に敵でした。

 

結婚した時。子供を産んだ時。

27歳の今に至る間に、何度か行くべき機会がありましたが、どうしても行くことができませんでした。

私の子供は、一度だけ両親が連れて見せに行ったことがありますが、私は行きませんでした。

祖母の家に行くことは私にとって、恐怖と寂しさでしかありません。そしてそれは、いつしか怒りと嫌悪感に変わっていました。

私は、あの人たちに嫌われている。あの人たちは私の敵だ。幼い頃の刷り込みは強力なものです。

 

たぶんわたしは、祖母の葬式にも出ないと思います。