こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

自分の体のことを考える

自分の体のこと。

よく考えてみると、自分の体や健康を気にすることってほとんど無かったかもしれません。

高校に入ってすぐから、部活をする時間があるなら、働いてお金を稼ごうと思って、ずっとアルバイトをしてきました。

大学に入ってからは、希望の大学に落ちた自責の念に駆られて、大学3年になったら仕送り無しで生活すると決めて、奨学金とバイト代でやりくりするためにダブルワークをしていました。

もちろん、サークル活動なんて考えたこともありませんでした。


気づけば、毎日の生活をどうこなしていくか、空いた時間に仕事を入れられるか。

時間とお金の事ばかり考えていた気がします。

飲み会や友達との買い物など、若さゆえの楽しみも、心から楽しめていなかったかもしれません。

未だに仲の良い友達がいないのも、私の歪んだ価値観のせいだと思います。


周りからは、「自立してるね」と言われる事が多かったです。

それが当時は嬉しかったし、私自身、「自立」を求めていました。


私は、幼い頃から極度の人見知りだったため、親から離れるのが苦手でした。

かといって、親が特別過保護だったわけではないのですが、物心ついてからの私は、自分の親はおかしいくらい過保護だと感じていました。

私は周りとは違う。
親の影がずっと後ろにある。
自分ひとりでは何もできない。

そう思っていました。

それが高校時代におかしな方向へ転び、親への反抗、恋人への依存、登校拒否、自傷行為、ライブハウス通いなど、良くない方向へ繋がっていきました。

大学に入ってからは、仕事をして自分の生活を自分で成り立たせることで、自信を保つことができていました。

それゆえに、実家暮らしで親にお弁当を作ってもらう同級生に嫌悪感を抱いてしまったり

アルバイトもせずサークル活動に没頭する同級生を見て、親からお金をもらって何をしているんだろうと馬鹿にしたり

そうやって自尊心を保っていました。


それでも、男性に依存しやすい体質は残り、恋愛も上手く行かず、心に傷を負うことも多かった気がします。

ある時、当時関係のあった男性から、「大学生なんだから親のすねかじっていればいいのに。」と言われて、別れたこともありました。


妊娠出産期も、「母になる」ということにすごく大きな責任を感じていて

服装や家のインテリアなど、「子育て中のお母さんらしい」のはどんなものだろう、と試行錯誤したり

ワーキングマザーという存在に価値観を感じ始めてからは、保育園活動に必死になり、生活スタイルにも「ワーキングマザーらしさ」を求めてみたり

人からどう見られるか。
どうしたら自分に自信が持てるか。

そんなことばかり考えていて、自分の体や心と相談するということは、もしかしたら今までずっと無かったのかもしれません。


最近になってようやく、人に頼る事が出来るようになってきました。

心療内科の先生や、支援センターの方、義母に自分の弱いところを話して、助けを求める事ができています。

そして、皆口を揃えて「まず自分の体調のことを考えてね。」と言います。

でも、それがよくわかりませんでした。

自分の持っている一日24時間を効率良く使う方法しか今まで考えて来なかったからです。

映画を見たり、ドラマを見たり
マッサージやネイルに行ったり
整体で歪みを治したり

そういう時間が本当にもったいなく思えて仕方なかったのです。

でも、そういう時間を持って来なかったために今、自分の心を健康に保つために何が必要なのか考えると、わからないのです。

何が自分をリラックスさせてくれるのか。
何をしていると楽しいのか。

自分の事なのに全くわからないのです。


でも、私はただでさえストレスを溜めやすいタイプだと思うので、ストレス解消法を見つける事は最重要課題です。

腰痛や肩こりが酷くなり、ついに首まで痛みがきて、鏡で見たら本当に酷く歪んでいました。

それを見て、ハッと思いました。

「体を整えなきゃ。」

明日寝違えたところの治療も兼ねて、整体へ行ってみようと思います。

時間があれば、好きなライブを見に行ったり、爪を綺麗にしたりもしたい。

メイク用品も、安いもので済ませていたけど、自分に合うものがあるのかな、とか。

髪型もいつもきれいでいたいな、とか。

女性なら普通にしていることなのかもしれませんが、そういうことで自分の体や心を健康に保つことを意識しなければいけないのかな、とふと思いました。



なんだかまとまりのない文章になってしまいました。

睡眠をちゃんと取らないのもダメですね…。

ピキッとくる痛みが恐ろしいですが、もう一度横になって見ます。