こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

振り返り〜高校時代〜

 

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高校時代

学校のレベルの低さに愕然とする

警察が警備をする中で中学の卒業式を終えた私は、地元で3番目くらいの進学校に通うことになりました。
 
ずっと憧れていたトップ校は、落ちるのが怖くて受けずに終わりました。
 
 
高校に入ると、まず、レベルの低さに愕然としました。
 
荒れ果てて授業にならなかった中学からやっと脱出できたと思ったのに…
 
 私の高校への希望と期待は、早くも崩れ去りました。
 

「恋愛」を始める

学校を諦めた私は、中学の時自制していた「恋愛」を始めることにしました。
 
中学時代、母からカラオケとゲームセンターを禁止されていた私は、好きな人が出来ても積極的になれずにいました。
 
当時、プリクラやカラオケが流行っていたのに、毎回友達からの誘いを断らなければいけなかった私。
 
彼氏が出来たとしても遊びに行くことすら許されないと思い、諦めていた恋愛。
「カラオケ行けない」って言ったら嫌われちゃうだろうな、と諦めていた恋愛。
 
高校入学後、携帯電話を買ってもらい、はじめて「検閲されない、自分だけの世界」を手に入れました。
 
男の子とメールのやり取りをするのはとても楽しかったし、何よりも、「母親のチェックが入らない」ことが本当に幸せでした。

 

ライブハウスデビュー

当時、幼稚園の頃から続けていたピアノの延長で、ギターやベースを弾いていたこともあり、バンドの音楽をよく聞いていました。
 
いつかライブというものに行ってみたいなあ、と思っていた矢先のことです。
 
ある日突然、話したこともない別のクラスの子が私のところに来て、「ベースやってるの?」と話しかけて来ました。
 
「やってる。」
 
と答えると、
 
「バンドをやりたいんだけど、一緒にやって欲しい。」
 
と言われました。
 
 
ライブハウスに行ったことも無い私が、自分でバンドをやるなんて想像もしていなかったことで
 
しかも名前も知らない子と一緒にやるなんて…。
 
今までの私だったら断固拒否していたはずなのですが、当時の私は「自由になりたい」という気持ちでいっぱいでした。
 
バカなクラスメイトがいる授業からも、
親の監視からも、
何もかもから逃げ出したい!
 
そんな気持ちで、その誘いを受けました。
 
女子校だったので、エレキベースをやってる子なんて数える程しかいません。
 
だから、私が誘われたのも最終手段みたいなものだったと思うのですが、
それでも、自分が仲間に入れてもらえたことが嬉しい、という気持ちもありました。
 
そして自然にライブハウスに足を運ぶようになり、今まで関わったことのないような人との関わりが増え、だんだんとそっちの世界の魅力にはまっていきました。
 
好きな人や、彼氏が出来たことも大きかったです。
 
色々と、はじめて感じる感情があり楽しくて、学校そっちのけで遊んでいました。
 

親は怒ってくれない 

しかし親は、私が門限を無視しても、電話も無視しても、
日付けが変わってから帰ってきても起きて待っていました。
 
親に向かって殴る蹴るをしても、
暴れる私を止めるだけでやり返されませんでした。
 
私が窓を割っても、
何も言わず淡々と穴を新聞紙で塞いでいました。
 
親の優しさゆえのそれらの行動すべてが、私を追い詰めました。
 
この人たちは私がどれだけ悪いことをしても怒らないんだ。
私が勝ってしまうんだ。
 
 
本当は、引っ叩いて押さえ付けて、檻に入れてでも止めてほしかったのかもしれません。
 
当時の私は、淡々と、私の暴走を冷静に見ている親が大嫌いでした。
 

不登校と初めての精神安定剤

たまに学校の教室に行けば、机は物置きにされていて、「あんた誰?」と言われましたが、
 
「私には彼がいる!」
と思って嫌がらせに耐えました。
 
そして、彼にどんどん依存していきました。
 
学校の授業にも、行事にも、何の楽しみも感じなくなって来て、とうとう不登校になりました。
 
休めば休むほど学校に行きづらくなっていき、だからといって彼に毎日会えるわけでもなく、部屋にこもるようになりました。
 
辛くて、逃げ出したくて、彼に教えてもらった精神安定剤をもらいに病院へ行きました。
 
 
今ではその時のことを後悔しています。
 
医者によっては、簡単にうつと診断し、抗うつ剤を処方します。
 
その時の医師も、初診のアンケートを見て一言ふたこと交わしただけで、“うつ病”と診断し、精神安定剤と睡眠導入剤を数種類処方しました。
 
 
当時の私は、学校やクラスメイトからの嫌がらせが怖くて、
彼に依存し束縛している自分が嫌で、
親兄弟には暴言を吐き、毎日のように些細なことをきっかけにガラスを割ったり暴れたりしている自分が嫌で、
 
この薬で私は普通に戻れるんだ!と思いこんでいました。
 
精神病や薬の知識が一切なかった私にとっては、数分しか顔を合わせていない医師の診断がすべてでした。
 
 
薬を飲むと、眠くなりました。
 
寝ると、悪夢ばかり見て、目が覚めると、動悸がして目が回り、世界が地獄に見えました。
 
食欲もなくなり、毎日携帯電話を握りしめて、朝から晩まで布団にこもって、泣きながら彼からの連絡を待っていました。
 
毎日悪夢を見て、自傷行為をし、泣き続ける毎日。
 
今思うと、うつではないのに強い抗うつ剤を飲んでいたことによる副作用だったのだと思います。
 
 
これは当時彼から聞いた話で、ほとんど記憶がないのですが、
 
彼に「今線路にいる。今から死ぬ。」と電話をして、家が遠い彼だと間に合わないから、彼の友達がそこまで止めに行ってくれたのに私はいなくて、
 
あとから、夢で見た妄想を現実だと思って彼に話してしまった、と気付いた、ということもありました。
 
 
約2年間、そうやって周りに迷惑をかけて、振り回してしまいました。
 
当時は、本当に世界が暗くて、先のことを考える余裕が一切無くて、どう立ち直ったのかも全然思い出せません。
 
気付けば卒業間近で、一ヶ月後にはセンター試験、という時期。
 
学校の授業を受けていないので国公立は諦め、浪人する気力も無し。
 
奨学金で私立大に行こうと決めました。
 
 
でもそれは、「親の束縛から逃げるため」でした。