押さえ込まれた本心
私はいつも、
人から見られた自分はまともだろうか?
社会的に見た私は、素敵に見えるだろうか?
そう考えながら生きてきました。
学歴も、仕事も、友達も、恋人も、家も、持ち物も
客観的に見た時にどう思われるか、ということを考えて選び
夢さえも、人に言って恥ずかしく無いものは何かという基準で選んでいました。
自分の考えや意見を、そのまま口に出す事は絶対に無く
悩んだ末、言葉に出したら出したで、本性を知られてしまったような恥ずかしさと後悔に見舞われ、
一刻も早くここから逃げ出したいと思い
一生忘れられない恥をまた背負ってしまったという絶望感に浸って、すぐ心が満タンになってしまっていました。
しかも、その恥や後悔は消える事がなく、積み重なっていくばかりで、消す方法も分かりません。
私は、、、
親に作られた私なのか、社会の流れに沿って出来上がった私なのか。
そもそも、本当の自分なんて存在しているのかどうかさえ分からずに生きてきました。
私は、人の目の動きや、ちょっとした挙動を察知する能力だけは優れているようで、
一人でいれば、「ひとりで来て恥ずかしくないのか」と問われているような気分になり
友達や恋人といれば、自分の地位や価値を品定めされているような感覚になります。
どんと構えたふりをしていても、知らない場所で新参者と悟られないために、慣れた風を装っていても、
私の心の中のソワソワ感は読まれているような気がして、
どこにいても何をしていても落ち着かない毎日でした。
一方で、自己顕示欲は強く、
私を褒めて!注目して!
そんな思いが幼少期からありました。
人よりも優位に立ちたい、いちばんになりたい、認められたい。
そんな欲求を、歪んだ形で外にだしてきました。
認められれば天狗になり、逆に反応がなかったり薄かったりしたら、その相手を憎らしく思う事も数え切れないほどありました。
ウザいと言われ、無視される事もありました。
私は、裏表なく、できない事を恥とせず、感情の赴くままに生きている人に、異常な憧れと嫉妬を抱いています。
自分には決して手に入れられないとわかっているからこその羨望です。
いつかこの人も嫌な思いをすればいい、辛い思いをすればいい。
そういった嫌らしい感情を、多々抱いてきました。
両親は、私が何をしても許してくれました。
認めてくれました。
でも、それでは足りなかった。
私はものを壊して、暴力を振るって、何を得たかったの?
考えても考えても、涙が溢れるばかりで、答えが見つかりません。
私は両親に叱って欲しかったの?
褒めてもらいたかったの?
学校のみんなに見せたかったの?
自分の強さを知って欲しかったの?
きっと、過去の自分が、必死に押し込めて隠してきた私がどこかにいます。