こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

イライラした時の、私の感情の変化

週末の一日は、昼、夜と外食だった。

子供たちは、滅多に行かないからか、外食が好きだ。
 
せっかくの特別な時間。
美味しかったね。楽しかったね。と言って、笑って帰りたい。
2歳と4歳相手には、それすらも高すぎる理想なのだろうか。
 
昼は、店を出る直前、頼んだものについていたガチャガチャがひとつしかなかったことで、上の子が大泣きした。
 
事前に、
あなたのにはガチャガチャはない。と確認し
じゃあ代わりに、アイスを頼むから、ガチャガチャは我慢しようね。と伝えた。
 
美味しい〜!と大喜びの子供たち。
親ひとり子ふたりの外食でも、今日はそんなに大変さがなく、私も楽しかった。
 
しかし、いざ帰る間際になると、上の子がワーッと泣き出した。
再度説明しても泣き止まず、鳴き声もエスカレート。
 
あーあ、泣いちゃったよ。
とりあえず帰るか。
 
そう思えたら一番楽だって、私だってわかっている。
だけど、私は子供の泣き声が嫌いだ。
話をしてもなんの効果がないのも苦痛だ。
人に何かを説明してわかってもらおう、なんて、面倒くさすぎる。
ましてや子供になんて。
 
泣き止まないと、一気に頭に血が昇ってくるのがわかる。
朝は、いや、さっきまで可愛くて大好きだったはずの我が子が、憎たらしい。
引っ張って歩かせるのも、気分が変わるよう粘り強く言葉をかけるのも、面倒くさくてしかたがない。
 
暴言が止まらない。
存在を否定するような言葉を浴びせてしまう。 
 
私は、楽しく時間を終えたいだけ。
それなのに、いつもこの子は最後に泣く。
どれだけ念押しして説明しても、必ず泣く。
4歳になっても、必ず泣く。
 
あなたのせいで楽しかったのが台無し。
あなたがいると何もかもが楽しくなくなる。
いらない。じゃま。消えて。
 
いつまでも泣き止まない。
どうせ、私の育て方がこんなだから、こんな子なのだろう。
私に近づかないでほしい。
近くに居られるだけでイライラが募る。
 
もう暴力も暴言も嫌だ。
だけど、止められない。
それは、甘えだと思ってきた。
 
こんな病気なんてない。
病気ということにして自分を許したいだけだ。
 
一瞬、かわいそう、という気持ちがよぎるが、止められない。
何かを壊したい。ボロボロにしてやりたい。
そんな衝動に駆られる。
家中の皿を全部割って粉々にしたい。
目の前の木をボロボロにしたい。
この店に火をつけてやりたい。
誰かと殴り合いたい。
 
ずっと近くにいたら、言葉だけではなくて身体的な虐待ももっとひどくなるのだろう。
トイレに逃げ込んだり、追いかけてきたら別の部屋に逃げたり、近付かないようにしているつもりだが、子供たちは寄ってくる。
 
ひとりで外に逃げ出したい。
でも、家の中にふたりを置いていくわけにいかない。
今、30分だけ、誰かが代わりに居てくれたら。
 
結局、暴言も暴力も完全に止めることはできなくて、子供たちが疲れて寝たあと、後悔する。
 
救いを求めて、ネットの情報に頼る。
 
「子供  虐待」
 
調べたら、さらに自責の念に駆られることもわかっている。
だけど、ぶちまける場所もないし、人もいない。
 
いつも、自治体の相談窓口を思い出す。
電話したい。
聞いてほしい。
私は、困っている。
自分をどうしようもできない。
 
だけど、今から家に来られても。また心療内科を勧められたら。
いろんな可能性が頭をかすめる。
結局、電話はかけられなかった。
 
 
夜、夫がめずらしく早く帰宅したので、また外へ出た。
 
しかし、その帰りも昼と同じだった。
 
父母、どちらの自転車に乗るかで兄弟喧嘩。
そのあとはやっぱり上の子だけわがままを言いだし、泣いた。
 
またか。
と思うと同時にイライラが来た。
 
夫と子供たちを置いて、家に帰った。
帰る途中、イライラは続いていたが、良かったと思った。
今、前後に二人乗せていたら、私は赤信号に気付かず、車に突っ込むかもしれない。
 
イライラすると、暴走してしまう。
身体が震えて、頭が爆発したようになって、冷静な判断ができない。
薬を飲んで、これが治るなら、いくらでも飲みたい。