こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

社会で子育てをするのは難しいよね、の理由。

フラフラした頼りない母親ではあるけども、

子供二人を育てている身として、子育てについて考えたりすることがあります。

 

 

会社で育児関係のプロジェクトが進んでいるみたい。

 私は直接関わってないのだけど、小耳に挟んだ話によると、

 子育て中の働くママへのサポート充実させすぎじゃない?

 っていう話が出てるらしい。

 

私も二人産んでるけど、

産休育休の恩恵は受けたことがないから、

そういう制度が母親にとってどれくらいありがたみのあるものなのかわからないけど。

 

その話の主体となって動いてるのは、

大体こどもがいない独身男性か、子供なしの結婚してる女性なんですよね。

 

個人的に、日本が子育てしにくいといわれる所以については、

社会保障制度の有無よりも、

日本に住んでる人たちの意識の問題が大部分を占めてる気がします。

 

これは独断と偏見で言うけど、

日本人って、子供に興味がないっていうより、

他人に興味がない人が多いと思います。

 

あとは、完全に、「自己責任」論が根底にある社会。

 

みんな、

自分はこの社会でどう生きていこう。

ってのをすごく考えてる。

 

仕事好きな人やプライド高い人は、

会社や仕事で上に行くために勉強とかするだろうし、

そこそこ働いて趣味に生きる人もいるだろうし、

自由を捨てたくなくて独り身を選ぶ人もいます。

 

人生に選択肢が増えて、自由度が上がって、

みんな、自分の事だけを考えられるようになったんだと思います。

というか、自分の事だけを考えてていいんだよ、

って、日本社会が許してしまったのかな。

 

確かに人間、自由な気持ちでいることは素晴らしいことだと思うけど、

そこらへんの外食チェーンでご飯食べて、

服屋さんで服買って、

転職サイトで転職して、、

 

みんな消費者意識でしかないかもしれないけど、

実際は社会の一員として生きてて、

目に見えづらいけど支え合って生きてる。

 

なのに、「子供」っていう存在だけ社会から除外しようとするのには納得がいかないです。

 

とにかく、自分のために、面倒なことはしたくない。

余計な負担は強いられたくない。

その面倒や負担の中に、「子育て」がカテゴライズされてるのが今の日本社会なんだろうな、と思います。

 

だからといって、

みんな結婚しよう!

子供作ろう!

子供だって小さいだけで同じ人間じゃないか!

って声高に叫べるわけではないのは、

 

やっぱり子育ての大変さや辛さや苦しさを、

これでもかってくらい経験してしまっているから。

 

虐待をする、子供を殺す親の気持ちが、

手に取るようにわかってしまうからこそ、

安易に子供をつくることに賛成したくない気持ちがあります。

 欲しくないならかわいそうだからつくらないで、と思ってしまう。

 

それでも、自分の子にはどうしようもなく可愛い瞬間があって、

全力で愛してるし、全力で守るし、

何かあれば責任を持つ覚悟もあります。

 

子供を育ててることで、

自分とは無縁だと思っていた価値観を持つことになったり、

今まで感じたことのない気持ちの変化が何度も訪れました。

 

わたしは21歳で一人目を産み、今27歳になりますが、

子供を産む前の21年間の間に、こんなに心から笑ったことはないって思うくらい楽しいことが、この6年の間に何度もあったし、どう頑張っても体が動かないほど悲しく落ち込んだこともありました。

 

21年間感じたことのなかった感情を、たった6年間で何度も経験したことは、驚き以外のなにものでもありません。

 

それをひとくくりに成長というのはわたしにとっては軽すぎて嫌だけど、

いま再び、子供がいない6年を過ごすか、子供がいる6年を過ごすか選べるとしたら、迷わず子供がいる6年を選びます。

 

だから、本当はもっとみんな子供産んで、

みんなで育てる社会を提案したいけど…勉強不足。

 

 

わたしも含め、「子供」っていう存在を大きく考えすぎなんだと思います。

いずれ大人になるんだし。

だけど、やっぱり幼少期の諸々大変さを実感しちゃうと、そんな軽くは言えないですが。

 

 

 川上未映子さんが 、このことについて書いてた記事。

 

川上未映子「子どもを社会で育てる」とは?[PR] | 川上未映子のびんづめ日記2 | 日経DUAL

 

川上さんは、嘘つかない正直な気持ちを文章にしてる気がして好きです。