こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

「抱きしめる」だけでいい

Twitterにダラダラと書きなぐっていましたが、

夫のことと、外での人間関係に疲弊しきっていました。

 

誰にも愛されない自分を目の当たりにしたようで

すべての努力や我慢が無意味だと感じ

自分しか信じるものがなく

その自分でさえ不安定。

 

あなたのことはわたしが守ってあげるよ、と

ひたすら自分に言い聞かせて、落ちるのを防いでいました。

不安定な自分に守ってもらう不安。

だけど、強い自分がいるはず、という無理やりの希望。

いつか崩れる瞬間に怯えながら、

ただ、大丈夫、と繰り返しました。

 

みんなが敵に見える時、

わたしの頭の中には人の顔がスライド方式で次々と出てきます。

それを、敵、味方のどちらかの箱に仕分けする作業をします。

そして、味方の箱が空っぽになるのを確認し

虚しくて死にたくなるのです。

 

ただ、前もそうだったのですが、義母だけは、わたしの味方ボックスにいました。

人を好き嫌いで判断せず、嫌なことも受け入れ、批判をされてもあっけらかんとしていて、自分を強く持っている義母。

離婚の事を義母に相談した - ゆるゆる子育てライフ

 

昨日は、子供の保育園の行事があり、朝からバタバタとしていたので、子供達を連れて実家に帰っていた旦那とは現地で会いました。

旦那とは喋らず、ずっと別行動。

終わると旦那はひとりで実家に帰っていきました。

下の子を実家に預けたままだったので、旦那が電車で連れて帰ってくるのかな、と思っていましたが、お義母さんが車で送ってきてくれました。

 

今お義母さんと会いたかったから、それがすごく嬉しかった。

義母に、「瞬間瞬間、直感の通りに動けばいいんだよ。いまなにがしたい?子供の事も仕事の事も何にも気にしなくていいの。」

そう言われたけれど、なんにも思い浮かびませんでした。

 

「わたしもどん底の時期があって、自分なんかいる意味がないってずっと思いながら生きてた。60歳超えて気付いたんだから、〇〇ちゃんは大丈夫!」

そう言ってくれました。

 

「わたしはもし旦那と別れたとしても、お義母さんとはずっと繋がっていたい。」

本当にそう思っていて、それを話すと

「わたしは〇〇ちゃんのこと大好きだから、絶対いなくならないから大丈夫だよ。子供の事も、人の事も考えなくていい。自分の事を考えてればいいんだよ。」

そういって、抱きしめてくれました。

 

子供の頃からいままでに、足りなかったのはこれかなあ。

満たされている感覚。

 

両親はわたしのことをすごく大切にしてくれました。

宝物のように、壊れ物のように大事にしていたと思います。

だけど、ぎゅっと抱きしめられたことが少なかったのかな。

 

話をしたくなったら聞いてくれたけど、母親はいつも自分の部屋かキッチンにいて、壁一枚挟んだ隣の部屋で話をしてたかな。

父親と本気で話したことってなかったな。

まだ小さい頃に、寝る時に父親にくっついて寝ていたのが、覚えてる限りいちばん安心できた記憶。

 

子供達を愛しているなら、小さいうちにぎゅっと抱きしめてあげよう。

気持ちだけじゃなくて、行動で。

もう6歳と3歳。

もう遅いのかもしれないけど、まだ遅くないかもしれない。

自分が後悔しないように、子供が将来苦しくならないように

母親としてできること。