ブログの事を人に話してみたら
「性格を変えたくてブログを書いている」っていう話を、はじめて人にしました。
私がこのブログを書いている理由は、
「どうやったら性格を変えられるんだろう?」
っていう問いがあるから。
(自信のなさからこの書き方をしているけど、本当は、「自分の性格を変えるため」にブログを書いています。断定。)
さらに、
「なぜ性格を変えたいのか?」というと
- 私の育て方や性格のせいで、自分の子供が大人になってから苦しむ事がないように「普通の親」になりたいから
- 人との長期の関係構築ができるようになりたいから(「普通の友達」がほしい)
そのために、
脳科学の研究本を読んだり
精神障害の本を読んだり
同じような状況の人のブログを読んだり
カウンセリングや
心療内科など、
どんなアプローチが、どんな風に効くんだろう
っていうのを試してきた結果を残したい、と思ってきました。
一方で、感情の変化や嘘のない気持ちを書き出して、
「都合の悪いもの」であるがゆえに記憶から飛ばしてしまっている言動(解離っぽい現象)を記録する場でもあります。
2015年の3月から書き始めて3年弱になりますが、
ブログを書いている事で、何か変わったところってあるかな?と考えました。
気持ちが不安定な時は、
「何をしても私は変われない。」
と悲観的になります。
だけど、冷静に見たらどうかな?って。
昨日人と話した時に、
なんでブログに書いてるの?
公開してる意味は?
何か変わったの?
と聞かれて、そういえば、読み返すことはあるけど、振り返ることってなかったな、と気付きました。
仕事でもなんでも、「その行動をすることで求めたいものは何か」を意識して動かないと、結論を出すのも解決に導くのも難しいとわかっているのに。
自分を俯瞰的に見て改善の道を探そうとしているのに、気付いたら中に入り込んでしまっている状態が多くありました。
なので、ちゃんと全体を振り返って、変化を意識して見たのは初めてでした。
変わったこと
- 自分には多重人格の気があり、善・通常・悪の三人がいることが整理できた
- 今の自分がどの状態にいるかは把握できるようになってきた
- 性格が切り替わったのにも気付く
- だけど、どのタイミングで、何がきっかけで切り替わるのか、スイッチがわからないから、コントロールができない
- 「悪」状態に陥っているときは、人を選んで標的を定めて徹底的に潰そうとしてしまう
- 三人称のどれを捨てたい、どれになりたい、じゃなくて、全部をひとつにまとめて一人の自分になりたい
- 無意識で「悪」の状態に陥って記憶なく人を傷つける行動を取っているのが怖い
- 怒っている時や泣いている時、「感情のままに動いている自分」と、「その原因や対処法を考えている自分」が同居するようになった(できない時もある)
- 一概にボーダーだ、鬱だ、と言ってひとつの病気だけにフォーカスして改善に注力するのではなく、もっと「自分」について定期的、客観的に見ないといけないと思うようになった
- ブログの目的やアプローチ方法を何度も考えることで、改善したい目的を明確にできた(上述の「わたしは子供のため、自分のために性格を変えたい」)
変わっていないこと
- 自分の分析ができてきた反面、行動については全くコントロールできていない
こんな話をこの前して、「こんなに自分の三人称(悪、通常、善)を喋れる人初めて会った。根は真面目で、ちゃんと考えて頑張ってるんだね」と褒めて(?)もらった一方で、その人に言われた
「ボーダーの人は結婚すると良くなったりするけど、どうせ離婚するんだよね。」
「友達いなくていいって言うなら、別に勝手にすればいいんじゃない?俺は友達がいるから結婚しなくてもいいくらい楽しいけど。」
「特定の人に出してる態度は、人に見せちゃダメなやつだよ。自分の評価下げるだけ。」
っていう発言に負けそうになる。
もう話をしてから何日も経ってるのに、思い出して泣きそうになる。
馬鹿にされているし、見下されているし、惨め。
しかも、自分は無意識なのに人は気付いてることへのショック。
人と会うと、その瞬間はひとりじゃないことで満たされるけど、その後の公開とか不安とか寂しさの反動が大きい。
今回は、今まで人に話したことのなかったこのブログのことを話してしまったし、なんか自分だけが丸裸で全てをさらけ出しているのに、相手はダウンコートを着ているような。
惨め。
つらい。
本当に、わたしには一生本当の友達なんてできなくて、歳を取ったら誰も会ってくれなくなって、
ひとりで虚しく死んでいくのかもしれない。
やっぱり人と比べてしまう。
今回話した人はたくさん友達がいて、結婚すべきという概念も捨てている。
人生を楽しむ術を身につけている。
一方の私は、結婚・子供という繋がりに安住しているだけ。家族だからといってバラバラにならないとは言い切れない。
この繋がりがなくなったらひとりになる。
いまはそんな不安な気持ち。