こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

承認欲求を満たすことじゃなかった

どれだけ毎日を充実させても満たされない感覚がずっとあり、なんでだろうと考えていました。

 

最初は、自分は承認欲求が強いほうで認められたい気持ちが人より強いから、そこが満たされていないのだと思っていました。

 

でも、いくら仕事で成果を出しても、会社の基準を上回るくらい昇給しても、気持ちが満たされるのはその一瞬だけでした。

嬉しさが落ち着いたら、すぐ次が欲しくなる。

 

 

男性関係も同じで、複数人との関係を絶って少し時間が経ちましたが、無かったら無かったで何の問題もありません。

赤の他人が自分に興味を持ってくれること。女性として褒められること。それが自分の自信に繋がると思って、疑似恋愛のようなことをしてきました。

でもそれも、ただ足りないものを満たすための行動で、一瞬だけ満足感や自信を得られるのみ。持続することはありませんでした。

 

本当は、瞬間的に自分の承認欲求を満たしてくれるものがほしいわけではなく、積み上げていけて自分の自信になるものが欲しいのです。

認められたい気持ちの根底にあるのはたぶん、自信のなさを解消したい気持ちです。

 

私は、何をしても自分に自信が持てず、ずっと不安な気持ちを抱えて生活してきました。

容姿、学力、性格、どれをとっても「自分なんかだめだ」と思っています。

加えて、自分の「だめ」の範囲は非常に広く、平均以上ではだめで、10段階で言ったら10でないといけないのです。

自分に厳しいというよりも、一番上のポジションにいる自分にしか価値がないと思っていることで、その考えに至っています。

 

そしてそれは、一瞬生まれる自信を全部潰していきます。

褒められても瞬間的な喜びしか感じられなくて、自信に繋がらない。
褒められた箇所はすぐ端に避けて、自分のダメなところ、足りないところばかりに目が行きます。
逆に、褒められたところに焦点を合わせると、高飛車な態度になってしまって、バランスが取れなくなります。

周りとすぐ比較して、「いくら褒められても、この人達の中でわたしは底辺だ」という思い込む癖もあります。
全部自分の主観ですが、 会社の中で必要だと思う人を順番に並べてみたり、会社への貢献度を比較してみたりします。そうした時に、自分は最低ランクでうろちょろしていると思ったら、いくら褒められても惨めな気持ちにしかならないのです。
こんなことで喜んでいる自分は恥ずかしい。そう思い、萎縮します。

 

本当に求めているのは、承認欲求を満たすことじゃなくて、自分に自信を持つこと。

そう考えると、刹那的に承認欲求を満たす作業を繰り返すことには何の意味もありません。

いままで、自信を取り戻すための作業と捉えていた男性との関わりでも、刹那的な満足感は得られるものの、長期的に自分の精神の回復に繋がるか否かで考えると、何のメリットもないことに気がつきます。

 

どう頑張っても満たされない承認欲求を満たそうとしてきましたが、キリがないように感じていました。いままで私が改善のためにとやってきた行動は、瞬間的な欲求を満たすに留まっていて、最終目的も見誤っていました。

 

本当は、自分に自信を取り戻したい。自信を持てるようになりたい。そのためにはどうしたらいいんだろう。

 

また一から考えないといけません。