過去との関わり方
過去の小さな失敗の数々は、決して脳内から消えることはない。
ぐるぐるぐるぐる頭の中をまわり続けて、わたしを支配してくる。
私に向けられる軽蔑の表情、
相手の言葉や行動から感じる冷めた温度感と攻撃性、
お酒を飲んで気分が高揚した時の自分の最低な発言、
ほめ言葉にうかつに喜んでしまった後悔、
返し方を間違えた会話、
相手のつまらなさそうな反応、
私には絶対に向けられない愛情いっぱいの視線。
思い出すものすべてが私を責める。
お前は不要なものだと突き落とす。
どんなに必死で隠れても、怒りと悲しみと恥ずかしさは、わたしのバリアを突き抜けてとめどなく私の中に入ってくる。
自分の身体が負の感情に支配される。
過去にとらわれて生きている
わたしは過去にとらわれている。
今、ここだけを生きることができていない。
常にすべては変化しているはずなのに、わたしは過去のどこかからいつまでも動けずにいる。
私の過去は恥ずかしくて、とても嫌なもの。
それなのにわたしは、自分の本体を過去のどこかに意図的に縛りつけている。
過去を捨てたら私は消えてしまうと思っているのだ。
過去はもう終わったことなのに、どうしてすがりついてしまうんだろう。
わたしは何に怯えているんだろう。
過去を捨ててはいけない
だけどたぶん、過去を捨ててはいけないと思っているから捨てようとしないんだ。
わたしは今、辛くて恥ずかしい過去だけど捨ててはいけないと思っている。
過去に縛られたくないからこそ、捨てちゃいけないと思っている。
それは、今を生きられるようになるために過去が必要だから。
わたしは過去をきれいに整理して、「今」から切り離さないといけない。
そうやって、混沌の中から抜け出してちゃんと今を生きないといけないんだ。
過去は善でも悪でもなく、「過去」としてあるべき場所に置いていきたい。
そしたらきっと「今」を生きられる。
過去から解放されて自由になる
毎年、年明けの目標に「自由奔放に生きる」を掲げてきた。
そしたらいつのまにか「あなたは自由奔放に生きてるね」って周りに評価してもらえるようになってた。
わたしは自分の印象を操作するのが上手だと思う。
わたしがなりたい通りの印象のわたしになれているのは、印象操作が成功した結果であって、本当のわたしは全然違う。
いつも過去の失敗に縛られていて、周りの視線を避けたり受け取ったりする作業に必死。
まったく「自由奔放」とは真逆のところにいる。
本当の自由というのは、いまここに、主体的に存在していることだと思う。
他人の言動に左右されたり、過去に引きずられたりしない。
自分を評価する基準は他人や社会が決めたものじゃない。
自由に生きることで自分は満たされるし、周りの人も心地よくなる。
人の意見とか、一般論とか、資本主義とかどうでもよくなって、他人に左右されない自分の価値観をちゃんと持って、幸せに生きられますように。