ボーターじゃない

都内で働く6歳(小1)4歳(年中)2児の母。境界性パーソナリティ障害(BPD)、自閉スペクトラム症(ASD)、HSPの傾向があります。目標は生き辛さの解消。※ブログ整備中。見辛くてすみません。

自由を求めて、過去との決別と融和

過去を生きる

過去の小さな失敗の数々が、ぐるぐるぐるぐる頭の中を回り続けて私を支配してくる。私に向けられる軽蔑の表情、言葉や行動から感じる温度感と攻撃性、気分が高揚した時の自分の最低な発言、迂闊にも気分を喜んでしまった時の後悔、返しを間違えた会話、相手のつまらなさそうな反応、私には絶対に向けられない愛情いっぱいの視線。

 

思い出すもの全てが私を責める。お前は不要なものだと突き落とす。どんなに必死で隠れても、怒りと悲しみと恥ずかしさはバリアを突き抜けてとめどなく私の中に入ってくる。自分の身体が支配される。

 

今、ここだけを生きることができない。無常。常に全ては変化しているはずなのに、過去のどこかからいつまでも動けずにいる自分がいる。

私の過去は恥ずかしくて、とても嫌なもの。それなのに私は、自分の本体を過去のある場所に意図的に縛り付けている。

 

過去を捨てたら私は消えてしまう。過去、過去、過去。

もう終わったこと。何に怯えているんだろう。

 

過去を捨ててはいけない

だけどたぶん、過去を捨ててはいけないと思っているから捨てようとしないんだ。私は今、辛かった過去を捨ててはいけないと思っている。過去に縛られたくないからこそ、捨てちゃいけないと思っている。

それは、今を生きられるようになるために過去が必要だから。

 

過去を綺麗に整えて「今」から切り離さないといけない。私はその作業をしなければいけない。そうやって、混沌の中から抜け出してちゃんと今を生きなければいけないんだ。

 

過去は好きでもなく嫌いでもなく、善でも悪でもなく「過去」としてそこに置いていきたい。「今」を生きる。私はとか、私がとか、私にとか、自分自分自分!の感覚すらも無くなっちゃえばいいのに。

 

本当の自由

毎年年明けの目標に「自由奔放に生きる」を掲げてきた。そしたらいつのまにか「あなたは自由奔放に生きてる」って周りに評価してもらえるようになってた。だけどもう、そんな評価からも自由になりたい。

 

私は自分の印象を操作するのが上手だと思う。これは印象操作が成功した結果であって、本当の私は全然自由じゃない。

いつも過去の失敗に縛られていて、周りの視線を避けたり受け取ったりする作業に必死だ。

 

本当の自由というのは、いまここに、主体的に存在していることだと思う。

他人の言動に左右されたり、過去に引きずられたりしない。

自分を評価する基準は他人や社会が決めたものじゃない。

自由に生きることで自分は満たされるし、周りの人も心地よくなる。

 

人の意見とか、一般論とか、資本主義とかどうでもよくなって、他人に左右されない自分の価値観をちゃんと持って、幸せに生きられますように。