こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

こんな家に生まれてきたくなかった

 

 

現実から逃げる弟

去年の10月、私の弟が東京の我が家に転がり込んで来ました。

 

正確には、転がり込んでない。

ただ、すーっと、私たち家族と同居することになりました。

 

↓弟との同居に至る過程を書いてます。

弟への嫉妬 - ボーターじゃない

 

弟は、東京に来てたった4ヶ月の間に、夫の会社に入って辞めて、戻って数日働いたと思ったらまた辞めて、結局実家に帰っていきました。

実家に帰る前、弟は面と向かって私たちに挨拶をすることもなく、菓子折りとメモを置いて帰っていきました。

 

 

『二人には感謝しています。

前を向くきっかけになりました。

ありがとうございました。』

 

そのメモを読んで、私は違和感・不快感を感じるとともに、彼に同情しました。この人も私と同じように、人との関わり方がわからないんだろうな、と。

 

綺麗な言葉を並べてもリセットされない。弟は、旦那や旦那の会社に迷惑をかけた。忙しい中、これだったら才能が開花するかもしれないね、って、旦那は弟に色んな仕事を斡旋してくれた。私たち家族も、ただでさえ狭い家なのに、家事もしない人間に居住空間を与えた。

そんな綺麗事を書いた紙ひとつで、私たちが、あなたを住まわせて仕事を与えて良かったなって思うと思ってる?

 

夫は基本的に、他人のこと、特に外から見て弱い立場にいる人や、自己表現が苦手な人に対して優しいです。

絶対に排除しないし、その人の良い部分を見つけて活かしてあげようとします。

旦那が弟を自分の会社で働けるように頼んでくれたのも、そういう考えあってのこと。

 

だけど、そんな旦那も弟の振る舞いを見て、「あの子には呆れた」と言っていました。

言葉にできない申し訳なさと恥ずかしさで悲しくなりました。

 

親離れしない弟・子離れできない両親

今月半ばに弟が地元に帰ってから、彼とは全く連絡を取っていなかったし、両親も弟について何の連絡もしてきませんでしたが、今月あった子供の誕生日に父親から電話がきて「何も買ってあげられないけどおめでとう。」と言われました。

悲しかった。

 

この前旦那に「どうせ弟、地元帰っても働いてないんでしょ?」と聞かれ、「知らない。」と答えました。

関係ないと思いつつも、怒りの気持ちが溢れてきて、今日電話でまくしたてるように言いました。

 

「いいかげんお父さんお母さんを自由にさせてあげてよ。長い間頑張って働いてきて、退職して、やっと自由に自分のことだけ考えられるはずの時間をあなたが奪うのやめてよ。あなたのことはもうどうでもいいし私はもう何も期待しない。サポートもしない。だけど、あなたの食事や生活費、携帯代、それを親に払わせてるのはおかしいからそれだけは言っておきたい。自立しなよ。自分は若いから大丈夫って言ってたけど若くないよ。もし若いとしても、若いからなんにもしなくていい、なんてことない。若いからこそやるべきことがあるんだよ。無理したほうがいい時だってあるんだよ。いつまで親に頼ってんの?もうすぐ死ぬよ。私は親がいる間は家族でいるけど、親が死んだらあなたとは縁を切るから。もう関わりたくない。関わりたくないけどあなたがお父さんお母さんを縛りつけてることに納得がいかない。自分の生活は自分で成り立たせなよ。自立してよ。息子の誕生日にお金がないから何も買ってあげられなくてごめんってお父さんに言われたよ。なんでそんなことになるの?二十歳まで育ててもらったんだから、逆にお金を入れなきゃいけないくらいだと思うよ。とりあえず仕事探して自分の生活費は自分で払ってよ。」

 

弟は、なんの起伏もなく「うん、うん」を繰り返すだけでした。

いつもそう。

主張しない。反論もしない。同意もしない。

弟には、自分の意思がない。

 

父親に電話を代わって、

「弟にこういう話をした。お父さんお母さんはたぶん、弟が働かないって言うならそれでいいってそのままにしておくんだろうけど、私はそういう弟が嫌いだから早く縁を切りたい。お父さんお母さんが生きてる間だけ、お父さんお母さんのサポートはするけど、二人が死んで弟が生活に困ったとしても私は絶対に助けない。」

と言いました。

 

父親は、弟と全く一緒でした。

「うん、うん」と頷くだけでした。

感情のない声で。

 

思わず「同じじゃん。」と言ったけど、

父親は聞き返すでもなく黙っていて、じゃあ、というと何もなかったかのように「はい、また。」と言って電話を切りました。

 

嫌なことは見ないふり父親

めんどくさいことや、めんどくさい人の感情が見えるとすぐに全てをシャットダウンする父と弟。彼らはいつも、都合が悪いことが起こると見て見ぬ振りをする。現実の苦しい部分から徹底的に逃げていて、決して向き合おうとしない。人とぶつかり合うことや、困難を乗り越えることをしない。

でも本来、そういうことを乗り越えて人間は成長していく。

私も、そんな家族の考え方を是として生きてきたから、大人になって親から離れて自分で困難に立ち向かおうとした時、乗り越える方法がわかりませんでした。

 

私は本当に、この家族の一員として生まれてきた事が悔しいです。

この両親の元に生まれてこなかったら、私はいままでもっと楽しく生きてこれたのかもしれないし、もっと完成された人間になれたのかもしれないし、これからも、こんな事で悩まず楽しく生きていけたはず。

そう思うと、生まれてきた時点で自分は失敗作だったのだと思ってしまいます。