自治体のカウンセリングを再開しました。行政カウンセリング1回目①(2018/4/29)
足りないのは“話すこと”
転職する前まで、月一回、自治体の無料カウンセリングを受けていた。
子供関係で話を聞いてもらっていた市のケースワーカーさんからの紹介だった。
そのカウンセラーさんは、滅多にいない私が心を開ける人で、私は次第に、この人に私のことを話したい。知ってほしい。そう思うようになっていた。だけど、月曜の限られた時間しか出勤しない方だったので、フルタイムの仕事を始めたことで通えなくなり、1年前くらいから行かなくなった。
今は、自分で探した1回12,000円のカウンセリングルームに月1回行っている。
他にも、境界性パーソナリティ障害とか自閉症スペクトラムなど、自分の特性に関係がありそうな本を読んでいる。
気持ちをブログやツイッターに書き出している。
色々と、自分を改善する試みに取り組んでいる。
だけど、なんか足りない。
たぶん今、インプットしかしてないからだと思う。
私は、私のことを自分の言葉で素直に話したい。
ブログみたいに、整理して、見られたくないところを削除したものじゃなくて、私の本当の気持ちを。
私には、話せる場が足りない。
カウンセリングに対する意識の変化
フェーズ1:カウンセリングなんてぼったくり
今までも、カウンセリングや心療内科には何度か行ったことがあった。だけど、自主的にではなく周りに勧められて嫌々行くことがほとんどだった。
だって、25年以上親や夫にすら見せることのなかった本心を赤の他人に見せられるわけないじゃないか。精神科の医者やカウンセラーなんてただのぼったくり。精神を病んだなら自分で治すしかない。精神科なんて無意味。そんなとこに通って薬に頼って生きる人間には死んでもなりたくない。そう思ってた。
心療内科やカウンセリングの最中はいつも、「大丈夫です。」「変わりないです。」を繰り返し、その一言で薬を減らしたり「良かったですね。」と言ってくる医者に辟易していた。
こんな奴らが私をまともな人間にする?普通の感覚に戻す?そんなこと絶対に出来るわけないじゃん。私はこんなに苦しんでいるのに。私の目も見てくれない。この人たちは、私が本心で話せてないことに気付きもしない。
フェーズ2:カウンセリングでは恥ずかしいことも嫌われることも話して良いと知る
だけど、今のカウンセリングに行き始めてから、ここは、普段出せない感情を出して良い場所なんだ思えるようになった。
自分の中に今まで誰にも出してこなかった感情があることにすら気付いていなかったのだから、今までのカウンセリングや通院がうまくいかなかったのにも納得がいく。
精神医療に対しては上に書いた思考で凝り固まっていた私だから、恥ずかしい感情とか嫌悪されるような思考をカウンセラーに伝えられるようになったことは、私にとってとてもとても大きな変化だった。
カウンセリングの時間は正直苦しい。普段の生活では脳裏に浮かぶことのなかった色んな感情が目まぐるしく転回しながら頭の中を駆け巡る。当たり障りないものもあれば、友達に言ったら軽蔑されるであろう負の感情もとめどなく湧き出てくる。その中でカウンセラーさんに何を言うべきか選択する。なるべく私の核となっている思考を探し出す。ここでは、私が本当に思っている事を話さないといけない。
12,000円払ってるからか、私はすごく真剣にカウンセリングを受けている。
フェーズ3:カウンセリングの時間を増やしたい
まだ4回しか行ってないけど、確かに何かしらの変化がある気がする。だんだんと欲が出てくる。もっと話したい。自分のことをもっと知りたい。知ってほしい。
だけど、月に4回行ったら、48,000円。払えるわけがない。それで、前にお世話になっていた自治体の無料カウンセリングを併用したいと思うようになった。
人に頼ることが出来ない私。
ましてや長年馬鹿にしていたカウンセリングの領域で人に頼るなんて…
1ヶ月くらい葛藤した。
だけど結局、勇気を出して、今行っているカウンセリングの補助的な位置付けで月一回くらい話をする時間が欲しい、と行政の担当者の方に連絡した。
そう。ちゃんと理由も目的もあるんだから。恥ずかしくない。問題ない。私は自分のことを理解している。その上で、カウンセリングの回数を増やすことが必要だと思ったんだから、間違ってない。そうするべきだ。
電話した時は、なぜか勝ち誇った気分だった。私はこんなにも自分のことをわかっている。ちゃんと整理できている。今必要なものが何かわかっている。
こうして、自治体のカウンセラーさんとの面談の日程が決まった。