こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

カウンセリングの目的と達成の3条件

「カウンセリングの目的はなんですか?」

 初回のカウンセリングの時、カウンセラーさんにこの質問をされ、わたしは、

 「自分に自信を持てるようになることです」

 と答えました。

 

それはいまでも変わりません。

いまのわたしは、自分に自信がない。

 

 

意味のない28年間

そもそも自分に自信がないのはどうしてだろうと考えてみると、

持っている武器が少なすぎるからだと気付きました。

 

「いま持ってるもので勝負するしかない」といつしか旦那に言われました。

「これから先なにができるかは、いままでやってきたことの延長にしかない」と友達も言っていました。

 

わたし以外のみんなが考えてきたこと、出会ってきた人、経験してきたこと、

すべてが充実しているように見えます。

 

一方で、わたしがいままで28年かけてやってきたことは何でしょうか?

自分の性格に苦しんで、改善しようと戦ってきた。

ただそれだけです。

 

みんなが高校生活を楽しんでいる間はうつで苦しんでいました。

大学時代、みんなが有り余る時間を有意義に使っているなか、わたしは過食を拒食を繰り返し、ダイエットのことで頭がいっぱいになっていました。

 

振り返ると、自分の生きてきた28年間の大半がメンタルとの戦いなのです。

 

それが先につながる?

繋がるわけがない。

 

「いままでやってきたことがこの先に繋がる」という論理のもとにわたしの生きてきた28年間を振り返ると、 先に繋がる経験なんて一切ない。

つまりわたしに先はないのです。

 

28年間生きてきて、サバイバルに必要な果物ナイフ1本すら手に入れられませんでした。

 

努力してつくり上げた自分がなくなっていく

人から見られた時に、弱い自分でいたくない。

だから、常に自分を虚飾して生きてきました。

 

「ハッキリ意見を言う私」「自由奔放な私」「気が強い私」


強い自分になりたかったから、自己イメージの変革のために努力してきて、

ある程度他人から見られるわたしが理想に近づいてきました。

 

だけどここ数ヶ月、怒りや不安の正体を探るために、自分と向き合おうと意識してきた結果、その自己イメージに違和感や恥ずかしさを感じるようになってきました。

 

あんなにも求めてきた強い私。

誰にも媚びない凛とした強さとかっこ良さ。

人を真っ向から批判する自己主張の強さ。

 

それらは引っ込み思案だった子どもの頃のわたしが、喉から手が出るほど欲したものでした。

 

だけど、ツクリモノの自分を取り去っていく作業を行った結果、その自己イメージは偽物だと気付いてしまったのです。

わたしが自分の強さだと思っていたものは、自分を守るための鎧みたいなものでした。

 

自分の虚構の武装を取り去って捨てていくと、

だんだん自分がなくなっていくような感覚に陥ります。

 

気付けばわたしはなんの特徴もない人間。

人間の形をした入れ物。

空洞でした。

 

 

最近、面白いことのひとつも言えなくなってきました。

自分から突っかかっていくとか、言葉尻を拾ってイジる等、いままで意識してしてやってきたことができない。

そうやって、人を蹴落とすようなやり方で笑いや話題性をさらっていた自分が嫌で嫌でたまらない。

 

でも、それをやめたら私の特徴がなくなりました。

 

ただここに座ってることしかできない。

みんなが喋ってるのを聞いて、ニコニコしているだけ。

 

小学生の頃の私がそうでした。

自己主張を一切せず、人に合わせてニコニコしているだけ。

 

そして、それ以前のさらに幼い私は、

愛想よくニコニコすることさえできない、親以外と会話することもできない、常に無表情な子供でした。

感情の全てを自分の体内で昇華させている生き物。

 

わたしはいま現在の、ニコニコしているだけの自分のことが嫌い。

だけどこのままいくと、誰とも会話できない幼い頃のわたしまで退化してしまうんじゃないだろうか。

 

 

このままどんどん自分の特徴がなくなっていくのがすごく怖いです。

 

人は個性があるから面白がられる。

知識があるから必要とされる。

意味のある過去を持っているからこそ生きている価値がある。

 

何にもないわたしに生きている価値はあるんでしょうか?

 

みんなが前に進んでいるのに

こんなことを人に話したところで解決策が提示されるわけもありません。

だから、できる限り人と話したくありません。

 

初対面の人と飲みに行くことがいちばんの楽しみだった半年前の自分と同じ人間とは思えません。

自分のことがわからない。

 

考え方や行動が勝手に変化していきます。

行動と思考に時差があります。

 

脳味噌が半分半分になって、それぞれ別の人間が操作しているようで、

とても混乱するし、ついていけない。

 

 

それでも、わたしがこんなくだらないことでパニックに陥る寸前のこのいま、

普通の人は、家族と楽しい時間を過ごし、勉学に勤しみ、仕事の仲間と信頼関係を深め、人生を充実させながら毎日を進んでいるんです。

 

くだらない人間。意味のない人間。

誰に話したって理解されるわけがない低レベルで意味不明な悩み。

 

わたしだって、普通の28歳の女性みたいに、

好きな男の人との付かず離れずな関係とか、

結婚する?しない?みたいなことで悩みたかった。

 

なんで、ずっとずっと、他人のことを認識し始めた5歳の頃からずーっと同じところで悩んでいるんでしょうか。

まったく前進することもなく。

 

このままあと何十年も生きていくのだと思うと絶望的な気持ちになります。

 

【まとめ】カウンセリングの目的と達成の3条件

わたしがカウンセリングに通う目的は「自分に自信を持てるようになること」です。

 

そして「自分に自信を持っている」状態とは、下記の3つの条件を満たしていることだと思います。

 

  • 意味のある過去を持っていること
  • 自己アイデンティティが確立できていること
  • 人間関係を築くことへの恐怖心がないこと

 

これらの条件を満たさない限り、「自分に自信を持てるようになる」なんて目的が達成できるわけありません。

 

わたしには意味のある過去がなく、アイデンティティが崩壊しかけていて、それにともなって人間関係の構築に対しても臆病になっています。

 

 

カウンセリングでこれを話したい気持ちでいっぱいです。

不安を吐き出して整理を手伝ってもらう場としてカウンセリングがすごくありがたい存在になってきました。

 

 

 

人の気分を暗くしてしまうような記事ばかりで本当に申し訳ないけど、このブログに気持ちを書き出せること、それを見てくださる方がいること、それがすごく支えになっています。

内容的にも、公開するべきではないのかもしれないけど、私にとっては公開していることに大きな意味があります。

ありがとうございます。