ボーターじゃない

都内で働く6歳(小1)4歳(年中)2児の母。境界性パーソナリティ障害(BPD)、自閉スペクトラム症(ASD)、HSPの傾向があります。目標は生き辛さの解消。※ブログ整備中。見辛くてすみません。

私が21歳で子供を産んだ理由

前回の記事にコメントをいただきました。

 

初めまして。私も自分の人生が生きづらく大変だと感じており、自分と同じ人間を生み出したくないかつ育てる自信がないので子供は欲しくありません。まだ20代なので今後どうなるかわかりませんが..。出産当時はどのような気持ちでお子さんを生まれたのでしょうか?産んだ後に気付かされたという感じでしょうか?気になったのでコメントしました。

 

ありがとうございます。

恐縮ですが、私と同じように考えていらっしゃるのだなあ、と思い、不思議に思う気持ちがすごく良くわかります。

お返事が長くなりそうでしたので記事にしました。ご質問者様のお答えになっていれば幸いです。

 

出産当時の思い

子供を産んだ時の思いを正直に書くと、「みんなが選ばない道を進むんだ。」という決意と喜びでした。

 

同い年の大学生が就職活動をしたり、大学院を目指したりする中、私はそのような大学生活の延長としての一般的な選択肢に全く魅力を感じませんでした。

 

だからといって、フリーターみたいな自由と諦めの象徴みたいな存在にもなりたくなくて、何か、私だけの違う生き方を探していました。

 

選択肢としてあったのは、美術大学に行くことと、風俗で働くことだったけど、どっちも逃げ道っぽくてなんかなあ…と思っていました。

 

そんな中、結婚の話が出た瞬間、これだと思いました。

 

私にとって家庭を築くこととは

結婚して、子供を産んで、名前を考えて、日々の成長を記録する。母になる。父になる。家庭を築く。

ゼロから何か意味のあるものを形作るということを想像しただけでワクワクしました。

それはある種創作のようなイメージで、私が美大に行ってやりたいことと似通っていました。

家族という切れにくい関係性をもつことは、私が風俗のお仕事に求めるものでしたし、みんなが就職で得る「社会の一員」感も、子供を持つことで手に入る気がしました。

 

結婚したら、自分の求めるものが全て手に入る。やりたいこと全てと一致する。短絡的ですが、当時20歳だった私はそう考えました。

 

子供への思い

以前、「子供を産んで本当に良かった?」という記事を書いたことがありましたが、一言で言えば、産んで良かったです。

理由は、心からの喜怒哀楽、心から人を愛おしく思う気持ちを感じられるようになったからです。

 

疲れている時や、精神的に抱えてる問題が大きい時、子供の世話は大きな負担になりますし、私もそういう時に限ってこのブログを開きがちです。

ブログに書いていることだけを切り取られてしまうと、「なんでこの人はこんなに子供が嫌いなのに2人も産んだの?」と疑問に思われると思います。

 

だけど、公園で屈託のない笑顔で、汗だく泥だらけになって飛び回る姿や、ゴクゴク水を飲む小さな横顔、どうでもいいことで笑い合ってる二人を見ると、本当に愛おしい気持ちでいっぱいになります。

 

子供を見ても一度も可愛いと思ったことのなかった人間が、こんなに身体の一部分をつままれるようなキュンとする気持ちを子供に対して感じられることに自分自身驚きました。

 

新生児を見ると、我が子の生まれた時を思い出して当時の神聖な気持ちを思い返すこともありますし、授乳をしている期間は、命を削って命を育んでいる事実を身をもって体感しました。

 

あの時の小さな赤ちゃんが、今のように意思を持ったひとりの人間として自己主張する姿を見ると、その貴重な場に親として存在していることを心からありがたく、嬉しく思います。

 

私が、自分の不安定さや色々な問題を解決したいのも、子供たちと関わる私をもっと良い人間にしたいからです。

 

私が幸せに人生を楽しんで、おおらかな気持ちでいることで、子供たちに気持ちの余裕と安定をもたらすことを確信しているから、私は今お金と時間をかけて、ちゃんと自分と向き合おうとしています。

 

結婚していなかったら、子供を持たなかったら、たぶんいつまでも本質的な部分に向き合うことなく、虚構の愛と信頼を求め続けていたと思います。

風俗や、全てが偽物の世界で生きていく道を選択していたかもしれません。

 

そういう意味で、私は夫と子供たちに救われました。

 

人生を充実させる努力

東京の割とお金のある人が多い居住区で、21歳の母親というのはほぼいませんでした。
同世代のみんなが将来を迷う中、既婚子持ちの私は、安定しているように見えたのでしょう。
「偉いね」「しっかりしてる」「私にはできない」とよく言われました。

 

だけど、若いうちに子供を産んだだけです。私が40歳になれば、その特別感はなくなる。


ほとんどの人が選ばない道を選んだ自分の意思の強さは好き。だけど、その道を選んだからには、その道を選んだことを、自分も周りも良かったと継続して思うようにしなければいけないと考えていました。つまり、ずっと成長し続けないといけないということです。

死ぬときがその人のゴールであって、結婚も出産も、何のゴールでもないと私は思います。

 

大学は育児をしながら留年せずに卒業しました。キャリアがある中での出産ではないので、パートで働きながら資格を3つ取りました。大企業の正社員になりました。

 

見栄えの良さに傾倒している感じが否めませんが、独身の時は学歴も職歴もいらないと思っていたので、考え方がガラッと変わりました。

自分の説得力を高めるための努力は惜しまない。そう思っています。

 

若いからこそしっかりした母親にならなきゃいけない。しっかりした子供を育てなきゃいけない。そういったプレッシャーを感じていることも事実です。

見て分かるような障がいを持っていたり、人と違う人間は目立ちます。良いところも、悪いところもです。

私は自分の子供たちの良い部分をよくわかっていますが、初めて私の子供たちに会った人はきっと、私と私の子供達を審査員のような目で見るのだと思います。

 

結局、その人の発言や行動に説得力を持たせる要因は、学歴や職歴などのわかりやすいものと、その人がいまやっていることなので、そこは保険的に手に入れておこうと努力しました。

結婚前は、大学の中退手続きを進めていた私がこんなことを言っています。

 

産んだあとに気付くこと

もちろん産まないとわからないことだらけなので、ご質問にあるように「産んで気付かされた?」という問いにはyesです。

だけど、産んで気付いたことというのは、子育ての大変さだけではなく、上に書いた究極の愛みたいなものもあります。自分の強さも、弱さも、そうです。

 

私の存在は子供を産んだことによって形を持ちました。全容が見えてしまったからこそ、どうしても解決させなければいけない部分が浮き彫りになってきました。

それゆえに今、子供二人を育てながら、自分のことも理解してあげないといけない状況に陥り苦しんでいますが、子供を産まなければ絶対に見えることのない自分でした。

 

私から伝えられること

私は、子供のことをとても愛しているけど、それでも、憎たらしくて今すぐに目の前から消えて欲しい。邪魔。ひとりになりたい。そう思うことがあります。

だから、結婚はいいよ。子供を産むのは良いよ。とは言いませんし、勧めることもありません。

 

だけど、子供を産むことが何らかの変化をもたらすことは確かで、それは前向きなものに変換することができます。

私のブログも内容は鬱々としているけど、いつかこの闇を乗り越えるんだと思って書いています。

 

遺伝子の関係で、子供は親に似ます。だけど、親と子供はまったく別の人格です。あなたが産んだからといって、あなたを再生産するわけではありません。

同じ人格にするのも、断ち切るのも、あなたとお子さんが選ぶことです。

 

私は子供を産んで、自分に向き合う意欲と強さを持ちました。

弱い部分ばかり書いているけど、私は強い意志を持ってこれを書いています。

 

いつか、ブログのタイトルを回復記にできますように!子供たちが幸せな人生を送れますように!