会社でキレて帰ってきた話
職場で本を投げつけて帰ってきた話
昨日、会社の人とケンカして帰ってきた。
私が担当していた書籍が納品されたので、退社前に企画に関わってくれた皆さんにお渡しして、お礼を言って回っていた。
企画から納品まで約半年がかりでつくり、かつ、私が初めてひとりで担当させてもらう大きな仕事だった。
休職者の扱い
企画に関わった一つのチームの中に、初期段階で休職に入った人がいた。
今回の一冊の中でその人が関わったのはほんの一部。
定例の会議にはほぼ参加していないし、原稿の確認段階ではもう休んでいた。
2週間前の入稿時、その人はまだ休職中で、もちろん人事情報だから、私は休んでる理由も、戻ってくる時期も知らなかった。
最初、企画の欄にその人の名前を入れて出したけど、上司の指示で削除した。
勝手に、もう退職することが決まっているのかな、と思ったので詳細は聞かずに指示通り削除した。
理不尽な休職者の要求
それが、ちょうど納品の一日前にその人がしれっと復職していた。
ほぼ関わってないけど、一応その人にも渡した。
そしたら、去り際に呼ばれて、企画欄に自分の名前がないと怒り出した。想定外の反応だったので、適当に取り繕いの説明をしたけど、「そういうのどうでもいいんですけど、とにかく不快です。」と一方的に言われ、私も頭に来たので「わかりました。」と言って席に戻った。だけど段々カーッと怒りが湧き上がってきて、本を自分の机に思いっ切り投げつけてしまった。
ドンッという音に周りがびっくりして、「どうしたの?え?怒ってる?」と困惑してたけど、「怒ってます。」と言ってさっさと片付けて帰ってきてしまった。
オフィスを出る直前、このままだと「会社員として」だめだ、という理性が働き、「お先に失礼します。お疲れ様です。」と挨拶だけはしてきた。
攻撃したい欲求の萌芽
快感
中学の時、同級生の双子の片方に、「妹をいじめないで!」といちゃもんをつけられ、その時初めて他人にキレた、その時の快感が忘れられない。
そのあとは、親、弟、彼氏になった人を次々と攻撃した。
攻撃することに快感を感じることの根本は、小学校に入学した直後の経験にある。
クラスのいじめっ子に、私が持ってない本を「返せ」と迫られ、親を介さずに同年代の子供と関わるのが初めてだったこともあり、私は怖くて何も言い返せなかった。
顔を覗き込まれ、腕をつねられ、机をドンドン叩かれ、大袈裟だけど、初めて命の危機を感じた。その場に誰も助けてくれる人がいなかった。
その時言い返せなかった悔しさは、今もずっとトラウマとして私の中にあって、まったくのゼロにはなったわけではないのだけど、中学の同級生にキレた時、私は明らかにそのトラウマを自分の力で塗り替えた気がした。
それが私にとって一種の成功体験だったのだと思う。そのあとから、他人に攻撃している自分に私は満足感を感じるようになった。
全能感
暴れて手当たり次第に物を破壊する私に向けられる親の困惑した顔。
飲んで暴言を吐く私に言い返せない恋人の顔。
それを見ることで私は幸福感を得ていた。
今回も、「怒ることないでしょ?」って言われるタイプの私が会社で本を投げつけたことで、周りの人が驚いていた。快感だった。
私は、私に攻撃を加えてきた人間を打ち負かしたい。体も心も修復できないくらいまで壊してやりたい。
そのためにまず論破することを考えた。
相手を追い詰める方法を考える
相手のスペック
プライドが高い男。30代前半。90%アスペルガー。太っている。オタク。知能指数は高いがコミュニケーション能力皆無。表情の変化ゼロ。
そのあと関係者に送られてきた、説明と謝罪を求めるメールの内容から、論理の構築は得意だが全体性と客観的視点は弱いことがわかる。
彼の主張
- 自分が紹介して取材できた人がいる。取材にも同行している。
- 最初期の企画の会議には参加している。
- だから自分の名前を入れるべきだ。
私の主張
- 巻末に名前を出す基準は、仕事の評価+責任の重さのトータルで上位から数名。関わった全員の名前を入れるわけじゃない。仕事量・責任どちらも、彼は同チームの他の人より格段に小さい。本を作る工程は取材だけじゃなく、そのあと原稿やレイアウトの確認やいろんな業務があるが、彼が関わったのは、最初期のほんの一部であって、彼の仕事量は名前を出すラインに達していない。
- その証拠として、7件の取材のうち、彼が紹介・同行したのはひとつ。ほかの取材にも、彼と同じような紹介者・同行者がいるけど、その人たちの名前は入れていない。だから、彼の名前も入れてない。
- まったく全体が見えておらず、客観性と相対的視点が完全に欠如している。ゆえに自己評価が高すぎる。確認の工程は全部で5回以上あって、毎回、関係者全員に確認を依頼していた。社長・副社長など経営陣も見ていた。そのなかで一度も、「彼の名前がない」という指摘が出なかったということはつまり、彼の存在が誰の脳裏にも浮かばなかったということであって、彼はこのプロジェクトに対してその程度の価値しか提供していないということ。
- そもそも、途中で離脱したことを謝罪するべきでは?自分のことは棚に上げて、最後の利益だけ分け与えられないと文句を言い出す理不尽さ。営業職なんかは、インセンティブという目に見える評価の差がつけられる。他の仕事もそうであるのが普通だと思う。それこそ公平性である。
後悔と恥ずかしさと過呼吸
だけどやっぱり体調に出てしまう。
メンタルの弱さが反映されているようで本当に嫌になる。
昨日も帰り道涙が止まらなかったし、過呼吸になる寸前の状態で子供達を迎えに行った。
今日も朝から息が苦しい。気を抜くと過呼吸の発作が起きそうになるので、意識的に深呼吸を繰り返す。頭に酸素が行ってないみたいで、目とか口が思うように動作しない。右を向きたいのに目が動かない。口を閉じたいのに閉じられない。脈が飛んだり、早く打ったり、脈がちゃんと打ってくれない。身体が動かない。トイレに立ったら、両脚が子鹿みたいにプルプル震え出して、すーっと血の気が引いて、回転する目眩に襲われ座り込んでしまった。
やっぱり私は弱い。こんなことで。
自分が弱いことが悔しい。
言われっぱなし、やられっぱなしで諦められるわけがない。相手を負かして相手の全部を潰してしまうくらいのことをしてやりたい。
昨日の夜から、相手を論破するための案を練り上げた。ご飯も食べずに相手を潰して痛めつける方法を考えた。
だけど身体はすごく怯えている。自分がその人に嫌われることに怯えてる。こんなに嫌いな相手にさえ嫌われたくないと思うんだ。自分の「嫌われることへの恐怖心」は、自分で認識している以上に大きいらしい。
薬を飲むことにひどく抵抗があって、心療内科にも行ってないし、何の薬も飲んでない。だけど、処方してもらったほうがいいのかな。
子供の習い事があったから無理やり起きて連れて行ったけど、自転車で5分の距離が辛くて、息は苦しいし吐き気がするし、勝手に涙がボロボロ溢れてくる。悔しい。
だけど私は休職しない
メンタルが弱いけど強い。
私はそうじゃないといけない。
私は相手に負けずに勝ち続けて、過去のトラウマを克服しなきゃいけない。
もうあの経験をフラッシュバックさせないようにしないといけない。
精神の充実のために攻撃し続けないといけない。
呼吸が苦しくても、動悸がおさまらなくても、絶対に休まず、休職もせず会社に行く。
私は、ナメられないために、ずーっと強い私でいなきゃいけない。