子供が嫌いだ
うちの娘は毎日弟を叩く。いちいち細かく指示を出す。意地の悪いことばかり言う。
そんな娘が嫌いだ。
とにかく可愛くない。
謝れと言って素直に謝る娘を見たことがない。
やめろといって言い訳をしなかった娘を見たことがない。
やりたいと言うので買ってあげた国語と算数のドリル。
全く手を付けないので、「やらないの?」と聞くと、やり始めた。
経緯の詳細は見ていないけど、その途中で、娘が息子を思いっきり叩いていた。いつもそう。手加減なしで、頭や顔や体を叩く。
いつも私が言ってること。
「喧嘩はいくらでもしていい。でも、叩いたり蹴ったりするのだけはやめろ。」
今日もそう言って謝るよう促したけど、「丸つけしてよ。」と話を逸らして謝る気配もない。
だから、ドリルに丸をつけた後、ページの下端に、“おとうとをたたかないで”と書いた。書きながら、プライドの高い娘はこういうの嫌がるだろうな、と容易に想像できた。
だけど、書いた。
案の定それを見た娘はキレて、背後から体当たりしてきたり、ドリルや教科書を部屋中に投げ捨てて暴れた。
すごく頭に来た。
外に引きずり出して、椅子を投げつけた。
「いつも弟はこうやって痛い思いしてるんだよ!」
そう言って怒った。
お前なんか嫌いだ。産まなければよかった。お前みたいに意地の悪い人間はこれから小学校で友達にいじめられるだろうね。弟だけが可愛い。弟だけいればいい。お前は嫌われるために生まれて来たんだろうな。
反省して謝れるまでここにいろ、と玄関に出すも、ギャーギャー泣き叫んでうるさい。
うるさいうるさいうるさい!
寝室に逃げ込んで本を読もうとしたけど、ついてきてここでも泣き喚くのでイライラが増幅する。
本当に、子供の声ほど神経がすり減る音はないな、と改めて思う。
私は自分が子供の頃から子供という存在が嫌いだったけど、改めて苦手だな、と再確認した。
「これ以上近くに来られると、あなたのこと殴っちゃうから近づいてこないで。」
それに対してもギャーギャー喚いてうるさい。挙げ句の果てに話をすり替えて、「箸出して!」とご飯を食べようとする態度にさらにイラつく。
「その前に反省しろよ。毎日叩いてごめんなさい、って謝れよ。」と言ったけど、それに対してもまた騒ぎ出すので、もう限界だ。
「あなたのギャーギャー騒ぐのが収まるまで帰ってこない。周りに迷惑だから絶対に外に出て来ないでね。」
そう言って家を飛び出した。
虐待
外でこれを書いた。
私みたいに我が子に腹を立てる親は山のようにいると思うけど、私みたいに子供を傷つける発言をする親は少ないんだろう。
虐待だと騒ぐ人間もいると思う。
育児がうまくいっている子育て中の親がこれを読んだら、この親はなんて酷いことを言うんだろう、と悲しくなるだろう。
怒りを覚えるだろう。
でも、私だってそう。
自分が子供と仲良くやってる時は、娘のこの強情さやプライドの高さも、「この子の性格」と受け入れられる。
前向きに捉えることだってできる。
息子とは違う種類の可愛さだけど、娘の可愛さもちゃんと感じてる。
子供の虐待や子供に対して冷たく当たる親について見聞きしたら、胸が張り裂ける思いがするだろう。
不安が怒りに変わる
息子のように、可愛がられるために、素直に可愛い態度が取れるのを可愛いと思う。
娘の、泣いたら構ってもらえるとか、怒って甘えたいアピールをするとか、そういう「甘える」「愛される」部分の不器用さが苦手。
人間関係の構築も上手くなさそう。
保育園時代までは、私よりはましだと思ってたけど、この先沢山の人との関わりの中で人間関係が上手くいかずに悩む娘のことを考えると不安になる。
その不安が私の怒りに変わっている。
私自身も娘と同じだから、娘の気持ちが痛いほどわかる。
だけど、泣きながら甘えたいアピールをされると、またこのやり方か…と内心思いながら抱っこしてたりする。
自分の一番嫌いなところを実写で見せつけられている感じがして耐えられない。
娘も人の感情に敏感なので、そんな私の心情もバレてるかな、と思うけど。
そんなことしてたら私みたいになっちゃうんだよ!
それを伝えたい。
娘には、楽しく人生を送って欲しい。
この子が私みたいに苦しみながら何十年も生きていくことを想像しただけで悲しくなる。
幸せになって欲しい。
それなのに、なんで怒りでしか伝えることができないんだろう…
娘をフォローしてあげたいけどうまくできない。
もっとまともな母親のもとでなら、いろんな可能性を伸ばせる子なんだと思う。
頭は良いし、人の気持ちをよく想像できる。
なんで私が産んでしまったんだろう。
自分の、人に頼れないところや可愛げのないところが私自身大嫌いだから、同じようなタイプの娘に嫌悪感を抱いてしまうんだろう。
娘のことを可愛い、と思えない自分が嫌だ。
子供が親の心配より愛情を欲していることくらいわかってるつもり。
それなのに私は愛情を与えてあげられない。
娘を幸せにしてあげること
娘は一生懸命生きてるし、私も一生懸命生きてる。
だけど、私は一生懸命やってるんだよ!っていうことをわからせようとすることにはなんの意味もない。
結果を出さなきゃいけない。
娘が楽しく生きられた、という結果を出さなきゃいけない。
私にそんなことできるのかな。
自分自身を幸せにしてあげることすらできないのに、もうひとりの別の人間を幸せにしてあげることなんて、できるのかな。
カウンセリングの目的と達成の3条件
「カウンセリングの目的はなんですか?」
初回のカウンセリングの時、カウンセラーさんにこの質問をされ、わたしは、
「自分に自信を持てるようになることです」
と答えました。
それはいまでも変わりません。
いまのわたしは、自分に自信がない。
意味のない28年間
そもそも自分に自信がないのはどうしてだろうと考えてみると、
持っている武器が少なすぎるからだと気付きました。
「いま持ってるもので勝負するしかない」といつしか旦那に言われました。
「これから先なにができるかは、いままでやってきたことの延長にしかない」と友達も言っていました。
わたし以外のみんなが考えてきたこと、出会ってきた人、経験してきたこと、
すべてが充実しているように見えます。
一方で、わたしがいままで28年かけてやってきたことは何でしょうか?
自分の性格に苦しんで、改善しようと戦ってきた。
ただそれだけです。
みんなが高校生活を楽しんでいる間はうつで苦しんでいました。
大学時代、みんなが有り余る時間を有意義に使っているなか、わたしは過食を拒食を繰り返し、ダイエットのことで頭がいっぱいになっていました。
振り返ると、自分の生きてきた28年間の大半がメンタルとの戦いなのです。
それが先につながる?
繋がるわけがない。
「いままでやってきたことがこの先に繋がる」という論理のもとにわたしの生きてきた28年間を振り返ると、 先に繋がる経験なんて一切ない。
つまりわたしに先はないのです。
28年間生きてきて、サバイバルに必要な果物ナイフ1本すら手に入れられませんでした。
努力してつくり上げた自分がなくなっていく
人から見られた時に、弱い自分でいたくない。
だから、常に自分を虚飾して生きてきました。
「ハッキリ意見を言う私」「自由奔放な私」「気が強い私」
強い自分になりたかったから、自己イメージの変革のために努力してきて、
ある程度他人から見られるわたしが理想に近づいてきました。
だけどここ数ヶ月、怒りや不安の正体を探るために、自分と向き合おうと意識してきた結果、その自己イメージに違和感や恥ずかしさを感じるようになってきました。
あんなにも求めてきた強い私。
誰にも媚びない凛とした強さとかっこ良さ。
人を真っ向から批判する自己主張の強さ。
それらは引っ込み思案だった子どもの頃のわたしが、喉から手が出るほど欲したものでした。
だけど、ツクリモノの自分を取り去っていく作業を行った結果、その自己イメージは偽物だと気付いてしまったのです。
わたしが自分の強さだと思っていたものは、自分を守るための鎧みたいなものでした。
自分の虚構の武装を取り去って捨てていくと、
だんだん自分がなくなっていくような感覚に陥ります。
気付けばわたしはなんの特徴もない人間。
人間の形をした入れ物。
空洞でした。
最近、面白いことのひとつも言えなくなってきました。
自分から突っかかっていくとか、言葉尻を拾ってイジる等、いままで意識してしてやってきたことができない。
そうやって、人を蹴落とすようなやり方で笑いや話題性をさらっていた自分が嫌で嫌でたまらない。
でも、それをやめたら私の特徴がなくなりました。
ただここに座ってることしかできない。
みんなが喋ってるのを聞いて、ニコニコしているだけ。
小学生の頃の私がそうでした。
自己主張を一切せず、人に合わせてニコニコしているだけ。
そして、それ以前のさらに幼い私は、
愛想よくニコニコすることさえできない、親以外と会話することもできない、常に無表情な子供でした。
感情の全てを自分の体内で昇華させている生き物。
わたしはいま現在の、ニコニコしているだけの自分のことが嫌い。
だけどこのままいくと、誰とも会話できない幼い頃のわたしまで退化してしまうんじゃないだろうか。
このままどんどん自分の特徴がなくなっていくのがすごく怖いです。
人は個性があるから面白がられる。
知識があるから必要とされる。
意味のある過去を持っているからこそ生きている価値がある。
何にもないわたしに生きている価値はあるんでしょうか?
みんなが前に進んでいるのに
こんなことを人に話したところで解決策が提示されるわけもありません。
だから、できる限り人と話したくありません。
初対面の人と飲みに行くことがいちばんの楽しみだった半年前の自分と同じ人間とは思えません。
自分のことがわからない。
考え方や行動が勝手に変化していきます。
行動と思考に時差があります。
脳味噌が半分半分になって、それぞれ別の人間が操作しているようで、
とても混乱するし、ついていけない。
それでも、わたしがこんなくだらないことでパニックに陥る寸前のこのいま、
普通の人は、家族と楽しい時間を過ごし、勉学に勤しみ、仕事の仲間と信頼関係を深め、人生を充実させながら毎日を進んでいるんです。
くだらない人間。意味のない人間。
誰に話したって理解されるわけがない低レベルで意味不明な悩み。
わたしだって、普通の28歳の女性みたいに、
好きな男の人との付かず離れずな関係とか、
結婚する?しない?みたいなことで悩みたかった。
なんで、ずっとずっと、他人のことを認識し始めた5歳の頃からずーっと同じところで悩んでいるんでしょうか。
まったく前進することもなく。
このままあと何十年も生きていくのだと思うと絶望的な気持ちになります。
【まとめ】カウンセリングの目的と達成の3条件
わたしがカウンセリングに通う目的は「自分に自信を持てるようになること」です。
そして「自分に自信を持っている」状態とは、下記の3つの条件を満たしていることだと思います。
- 意味のある過去を持っていること
- 自己アイデンティティが確立できていること
- 人間関係を築くことへの恐怖心がないこと
これらの条件を満たさない限り、「自分に自信を持てるようになる」なんて目的が達成できるわけありません。
わたしには意味のある過去がなく、アイデンティティが崩壊しかけていて、それにともなって人間関係の構築に対しても臆病になっています。
カウンセリングでこれを話したい気持ちでいっぱいです。
不安を吐き出して整理を手伝ってもらう場としてカウンセリングがすごくありがたい存在になってきました。
人の気分を暗くしてしまうような記事ばかりで本当に申し訳ないけど、このブログに気持ちを書き出せること、それを見てくださる方がいること、それがすごく支えになっています。
内容的にも、公開するべきではないのかもしれないけど、私にとっては公開していることに大きな意味があります。
ありがとうございます。
何にだってなれる、なんて嘘
私は、実力が伴わない自信の塊を持った夢見る少女を内面に抱えている。
そのせいで苦しい。
「私は何にだってなれる」なんていつまでも夢見てるのは辛いだけだっていう話。
蛙の子は蛙
子どもの人生は親の人生
結局のところ、社長の子供は社長、公務員の子供は公務員。お金持ちの子供はお金持ち。貧乏人の子供は貧乏人になる。
基本的に世の中ってそうできてる。
(もちろんイレギュラーはある。)
つまり、親の人生はそのまま子供の人生になる可能性が高いということ。
長年一緒に生活をしている人間の考え方や価値観がすりこまれるのは自然なことだと思う。
私がここまで断言する理由は、周りに親の職業や価値観を見事に踏襲している知り合いが多いのに加えて、自分の経験則があるから。
親と同じ大学に行って教師になる
私は大学に入るまで、何かしらの違和感を感じながらも、徹底的に敷かれたレールを追い求めてきた。
わけもなくそれが正しいと思って生きてきた。
だから、反抗期になって学校にも行かず、家にも帰らず、バイトと遊び場と友達の家のローテーションで過ごした期間、さらには彼氏に依存して躁鬱が酷くなり引きこもり状態だった期間でさえ、私は親が目指すべきと(言葉には出さないけれど)暗に示していた大学に行くのだと心の中で思っていた。
もちろん勉強は全く追いついていなくて、学力は急激に落ちていたのだけど、親に敷かれたレール。
この大学に行って、研究者か医者か教師になる、というレール。
それだけはずっと捨てる事なく大切に夢見続けていた。
挫折を認められないまま大人になる
だけどやっぱり、勉強もせず、躁鬱状態で過ごした2年間のハンデは大きくて、私は志望大学に行けなかった。
当時の私は嫌悪していた躁鬱を盾にして
「勉強してないんだから受かるわけない。これは私の実力じゃない。」
と自分を擁護した。
それからも、取り組んだことの結果が失敗だった時、努力の末の挫折・実力不足と素直に捉えることができず、何かしらの言い訳を作っては、自らの意思による単純な中断だと脳を騙し続けた。
はじめて感じた強烈な嫉妬
両親を悪く言うようで書くのをとても迷ったのだけれど、
私は小さい頃から親に「頭が良い」「天才」「誰よりも可愛い」とこっちが恥ずかしくなるような褒め言葉を散々浴びせられて育った。
「褒めて育てる」なんて本も出ているくらいだから、悪いことではないように聞こえるかもしれない。
だけど、「褒める」に、親の「嫉妬」が加わると、それは子供の心の育成に大きな歪みをもたらす。
私は幼い頃からピアノを習っていた。
小学校高学年くらいになるとだんだんと続けている子が減ってくる。
合唱コンクールや式典などでは、ピアノを弾ける子が伴奏をすることになっていたので、どこかでピアノを弾く機会が発生すると、自然とその役が自分にも回ってくるようになった。
ある年、私ともう一人ピアノを習っている子で、どちらが伴奏するかを先生の前でオーディションすることになった。
結果、その子が選ばれた。
家に帰って母親に報告したら急に悔しさが込み上げてきて、布団にくるまって大泣きした。
すると突然、母親がどこかに電話をかけ始めた。
布団に潜っていたので状況を見てはいなかったのだけど、恐る恐る聞き耳を立てていると、そのオーディションを行なった小学校の音楽の先生と話しているようだった。
だんだん話がエスカレートしていって、母はほぼヒステリックに怒鳴っているような状態になる。
「どんぐりの背比べってどう言う意味ですか?!一生懸命練習した子に対して、どんぐりの背比べなんて言い方できますか?!」
正規のピアノコンクールで落選しても泣くことのなかった私が、そこまで感情をあらわにしたことに驚いて、母も混乱したのだと思う。
もちろん、私のためにそこまでしてくれたことは理解できる。
だけど、以前から、オーディションに勝った子のことを、「ぶりっ子」「先生に贔屓されている」と言っていたので、理由はわからないけれど母がその子に何らかの嫉妬を感じていたのも確かだ。
そんなことも思い出して、
自分のせいでこんなことになってしまった。
自分が選ばれていればこんなことにならなかったのに。
そう思った。
相手の子のことを先生もお母さんも私より上だと認めていて、お母さんはそれが悔しくて、もちろん私も悔しいんだけど、現実問題私はあの子よりできない。
お母さんもお父さんも私がいちばんってずっと言ってたけど、そんなの嘘じゃん。
それは、はじめて他人に対して猛烈な嫉妬心を感じた経験だった。
嫉妬でおかしくなった母親の姿を見て、母の金切り声と、電話越しの聞こえないけど冷静に呆れて聞いているであろう先生の姿まで想像できて、嫉妬という感情がもたらす負のパワーの大きさに圧倒された。
同時に、わたしはこんなに強力な感情をコントロール出来るわけないとも思った。
何にだってなれるという幻想
戒めも込めて声を大にして言いたい。
「あなたは何にだって、なれない。」
現実を見るべき。
自分のレベルを知るべき。
自分の限界を知るべき。
私は自分の才能・学力・容姿・精神力について、現実を見る事を徹底的に拒否してきた。
現実が目に入っても受け入れられず、嫉妬の感情に負けてしまう。
現実逃避のために、実現不可能な理想をただただ夢見て、何もできない自分のままでいることがいちばん楽なのだ。
結局、ここでも蛙の子は蛙なのであって、人はどれだけ選択の自由を与えられたとしても、自分が持っているものに合った道を選ぶことしかできない。
自分が持っているものというのはつまり、生まれ育った過程ですりこまれた価値観とか、今まで培ってきた仕事や人間関係のスキルである。
だから、諦めるべきところを諦める。
そんな現実主義者にならなくてはいけない。
高く飛び立とうともがいて、レールの上空に広がるドーム上のバリアにぶつかって自分を傷付け続ける人生なんてもうやめたい。
人間は与えられた可能性の枠を超えることなんてできない。
自分は早く理想で固められた空想の自信の山を崩して、目の前の道を、ありのままの自分で進んでいかなければいけないのだと思う。
自治体のカウンセリングを再開しました。行政カウンセリング1回目③(2018/4/29)
①はこちら↓
②はこちら↓
カウンセリングのあり方
たぶん、Rさんもちょっと泣いてた。
私はそのあと一度も顔を上げられなくて、Rさんの表情まで見てないけど、声が震えてて、本当に心配してくれているんだな、と思った。
と同時に「自分の勝ちだ」という浅ましい感情に一瞬なった自分を私は許せない。家に帰ってから全部の指から血が出るまで自傷行為をした。
結局恥ずかしながら、
「次のカウンセリングが5月22日なので、その後にします。ここに来ていいかをカウンセラーさんに聞いてからにします。」
それだけ言って、6月に予約を取ってもらって、日にちを教えてもらうと同時に走って部屋を出た。
後ろから、「本当に待ってるからね!!」というRさんの声が聞こえた。
この日は本当に自分のことを嫌いになった。いらないプライド。人の優しさを跳ね返して傷付ける意地の悪さ。子供やお母さんお父さんで溢れかえる施設を泣きながら走って逃げ出す頭のおかしさ。
6月…長いよ。次に会った時に私は謝れるだろうか。何事もなかったかのようにまたRさんを傷つけることを言うのだろうか。
事後談
それから一週間近くが経って、冷静になった頭で思うのは、私がそれだけ取り乱した姿を見せられる人ができて本当に良かったということ。
もちろん私のダメさやおかしさや人に迷惑をかけている状況に変わりはないんだけど、たぶんそれだけ、子供の頃に親をはじめとする周りの全てに気を遣って生きてきたんだと思う。自分を擁護するみたいで情けないけど。
たぶん終わった後は恥ずかしやと後悔でまた自傷行為に走るのかもしれないけど、「カウンセリングだって私はスマートにこなせるんだ」なんていうバカげた自尊心を捨てて、泣きじゃくったり、弱くてダメな感情を共有する場としてカウンセリングに通いたいと思う。
そうしなきゃ私はたぶん自分を幸せな人生にしてあげられない。
私は自分に幸せな人生をあげたくて今苦しんでるんだ。
きっと、乗り越えられる。
※6000字を越える長い自分語りになってしまいすみません。最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。自宅にPCがなく、いつもスマホのアプリから見ているので、コメント等気付かないことが多く、スター?などの機能もよくわかってないし、ページも読みづらいと思います。すみません。内容も、理解できないことも多くあるでしょうこんなブログなのに、応援をいただけることもあり、本当に救われています。ありがとうございます。
自治体のカウンセリングを再開しました。行政カウンセリング1回目②(2018/4/29)
①はこちら↓
自治体のカウンセリングを再開する
私と心理士さんの考え方の齟齬
そして先週、1年4ヶ月ぶりに、Rさんのカウンセリングに行った。
部屋がある建物に入っただけで泣きそうになる。
いつも職場や家では押し込めている感情が溢れ出てくる。ここで、私は本心を話せる。そんな場所があることが嬉しくて、歩きながら涙が出てきた。
行政の担当者さんに繋いでもらって、一週間前に電話で話したRさん。だけど会うのは1年以上ぶり。
泣きそうな自分は引っ込み、「お久しぶりです。」と笑顔で愛想の良い自分が出てくる。
だけど、部屋に入った途端、上辺の自分はいなくなった。私の本体はいつもこんなに泣いているのかな…何も話してないのに涙が出てくる。隠さない私でいられる場所。子供の私に戻れる場所。
時間がだいぶあいたので、仕事の状況とカウンセリングの進捗を話す。仕事の話をする自分は強い。ちゃんと、順序良く、手短に近況を説明できる。涙なんか出る気配もない。
それから旦那の話。旦那は忙しくてほとんど話す時間はないけど、ほんとだったらカウンセリングの話や、今の自分の困ってることについて話したい。めんどくさがられるのが怖いので全部は無理だけど。そんな事も伝える。
Rさん「カウンセリングの先生とは、進め方を最初に相談してますか?週何回とか。」
私「育ち方含めて複雑な人だから、できたら週一で来るといい。でも、たぶん数年かかると言われてます。でも、週一通うだけのお金はないです。」
Rさんが話し始めた。
「カウンセリング順調に進んでいるみたいですね。
カウンセリングは相性の合う合わないがあるから、その方との相性がよさそうで良かったです。話すことって結構自分への影響力があるからね。
そのカウンセラーさんはたぶん治療の方針をちゃんと持っていて、それに沿って進めていこうとしていると思うんですけど、せっかくうまくいっているのに、私がその間に混ざってしまうことで混乱したり、進みが悪くなってしまわないようにしたいんですね。
どうしたらいいかな…パパみたいな立ち位置で聞けばいいかな。
そっちのカウンセリングで話したことを再整理する場所にしたいと聞いているけど、それで大丈夫だったかな?
今日お話を聞いて、このカウンセリングをどんな場にしようか相談したいなーと思ってたんです。
一回、今お世話になっているカウンセラーさんに、もっと話す回数を増やしたいから、自治体のカウンセリングを並行して受けていいか確認してもらうことってできそう?次の予約はいつかな?」
心理の領域の常識を知らない情けなさ
え…Rさん、このカウンセリングをしないほうがいいって言ってる?
私、Rさんには本当の気持ちを話せるから、会いたいから、またカウンセリングを再開したいって言ったの。すごく勇気を出したの。
カウンセラーさんとRさんを対立するものみたいにしたくない。私、そんなこと思ってない。私が思ってた反応と違う。私が話したかったことと違う。私はただ、今自分が整理できている私のことを、Rさんに伝えたかっただけなのに。
カウンセリングで話を聞く専門家側の事情なんて考えたこともなかった。私の知らない世界だ。信頼して本音を話せる人が二人もできたと手放しで喜んでいたけど、そんなの私だけだった。同業の二人、私が信頼している二人が牽制しあってしまうようなことを私は何も考えずしようとしてた。しかも、私にはこのカウンセリングが必要なんだ、なんてもっともらしい自信満々の言い方をして。
恥ずかしい。すごく恥ずかしい。惨めだ。間違ってることなのに正しいと思い込んで堂々としている恥ずかしい自分。
5分くらい言葉が出てこなかった。頭だけが異常な速さで、感情をくるくると転回させていた。
ぶわっと涙が溢れる。鼻水も垂れ流しで、気付いたら髪の毛を引っ張ったり頭を拳でグリグリ痛めつけたりしている。
何を言ったらいいんだろう。建設的な話にするなら、ただ話を聞いて欲しいんです。そういう場にしたいです。って言うべき?
そう。このカウンセリングをどんな場にしようかという相談なのこれは。
よくよく考えれば、一方的に話したいなんて自分勝手すぎる。それを正しいと思ってカウンセリング再開したいなんて言い出した私、最低だ。うまくできたことや整理して綺麗になったものを自慢したいだけ。自慢!幼稚園児みたいじゃん!そんな幼稚な思考回路しかない自分。なんでいつも私はこうなんだろう。なんて惨めなんだろう。
勇気を踏みだしてもうまくいかない
「私、いつもこうなんです。何をやっても失敗するんです。
自分を治そうと、自分で言うのもおかしいけど、努力してきた気がします。人に頼ることもすごく苦手だけど、だんだん自分から頼れるようになってきたと思ってたんです。
だけど、私はちゃんと考えてなかった。たぶん考えられる人は考えられるんです。私ができないだけで。
今まで本音、というより自分の本体、核の部分を話せる人がひとりもいませんでした。本当に、ひとりも。親や旦那にだって言えませんでした。
それが、カウンセラーさんには話せるようになって、たぶんRさんにも話せると思ったから。
心から信頼できる人が1人よりは2人、2人よりも3人のほうがいいな、っていう。一回よりは二回、二回よりは三回話したほうが整理できるな、ってそれだけしか考えてなかったんです。」
私の傲慢な考え方。自分のことしか見えてない視野の狭さ。自分に対する怒りと悔しさが込み上げてきて、それ以上言葉が出なくなった。
涙だけがボロボロ流れて、ティッシュで顔を覆ったままずっと泣いていた。ほぼ嗚咽だった。
「何をやっても失敗してなんかないですよ。
こあらさんが人を頼るのが苦手なのはわかってるつもりだったし、ずっとどうしてるかなって思ってたから、こうやって連絡をもらえて、嬉しかったんですよ。
いきなり説明をしちゃったから、見放されたように聞こえてしまったかもしれないね。
ただ、うまく進んでいるものの邪魔をしたくないなと思って。
ここでのカウンセリングをどうするかを一緒に考えたかっただけなんです。
でも、こっちの事情なんて言うことじゃなかったね。私が近所のおばさんみたいに、ただ雑談みたいに話を聞くことができればよかったな…。
心理士っていう仕事柄、どうしてもそこは説明しておかないといけなくて。急に距離が開くような話をしてしまったよね。」
違う違う違う。Rさんはふつうに仕事を全うしてるだけ。私がこうやって捉えるのがおかしいんだ。やっぱり私、頭おかしいんだよ。
混乱と試し行動
ごめんなさい。今すぐ謝りたい。今すぐ私のもっと大事な話をしたい。私が思ってること、考えてること、過去のこと、親のこと、全部話したい。聞いてほしい。それを言わなきゃ。あと15分。私が唯一心を開ける人と話せる大切な一時間。このままじゃ無駄にしちゃう。嫌だ。なのに言葉が出ない…。
「私は、本当に話を聞きたいと思ってるし、こんな時に言われるのは嫌かもしれないけど、良かったらまた話しにきてくれませんか?嫌になったらキャンセルしてもいいから、予約だけ取っておきませんか?」
私を甘やかさないで。選択肢を与えないで。無理矢理次来る日を決めてください。お願い。ああ…だめだ。コントロールしそうになる。この人を。信頼してる人を。嫌われたくない。捨てられたくない。だけど…
「すみません。今日はちょっと頭が働かないので一旦帰ります。また電話します。」
帰りたくない。話したい。離れたくない。逃げ出したい。巻き戻したい。一回リセットして。謝りなさい私。あなたが間違ってる。強がって逃げるな。帰るって言ったくせに立ち上がれない…何期待してるの?…惨め。
「担当さんから又聞きで聞いたことを、いまそのままお話してしまったから、こあらさんが思ってることと違ったかもしれないね。でも本当に話を聞きたいと思っているんですよ。お仕事在宅でできる日とかあるんでしたっけ?」
「担当さんから電話が来た時は仕事中だったので、仕事感覚でベラベラ喋ったのかもしれないです。でも、今の私は確実にその時の私じゃないんです。そうなる自分がいけないんです。私の中には何人かいるんです。なんでこんな誰の役にも立たない話を聞きたいと思うんですか?私だったら嫌です。聞きたいなんて思う人、この世の中にいないと思います。Rさんがなんで私の話を聞きたいって思うのかわからないです。」
やってしまった。攻撃してしまった。答えにくいことをわざと聞く。近くにいたい。見捨てられたくない。その気持ちが違う方向に暴走する。本当に私のことが大切なら嫌なこともできるよね?私が喜ぶようなことが言えるんだよね?その攻撃性が出てしまった。
なんでいつも、大切な人を困らせるようなことを言ってしまうんだろう。嫌な奴。人を思い通りに操ろうとする。大好きと大嫌いが私の中でぶつかり合う。苦しい。
③に続きます
自治体のカウンセリングを再開しました。行政カウンセリング1回目①(2018/4/29)
足りないのは“話すこと”
転職する前まで、月一回、自治体の無料カウンセリングを受けていた。
子供関係で話を聞いてもらっていた市のケースワーカーさんからの紹介だった。
そのカウンセラーさんは、滅多にいない私が心を開ける人で、私は次第に、この人に私のことを話したい。知ってほしい。そう思うようになっていた。だけど、月曜の限られた時間しか出勤しない方だったので、フルタイムの仕事を始めたことで通えなくなり、1年前くらいから行かなくなった。
今は、自分で探した1回12,000円のカウンセリングルームに月1回行っている。
他にも、境界性パーソナリティ障害とか自閉症スペクトラムなど、自分の特性に関係がありそうな本を読んでいる。
気持ちをブログやツイッターに書き出している。
色々と、自分を改善する試みに取り組んでいる。
だけど、なんか足りない。
たぶん今、インプットしかしてないからだと思う。
私は、私のことを自分の言葉で素直に話したい。
ブログみたいに、整理して、見られたくないところを削除したものじゃなくて、私の本当の気持ちを。
私には、話せる場が足りない。
カウンセリングに対する意識の変化
フェーズ1:カウンセリングなんてぼったくり
今までも、カウンセリングや心療内科には何度か行ったことがあった。だけど、自主的にではなく周りに勧められて嫌々行くことがほとんどだった。
だって、25年以上親や夫にすら見せることのなかった本心を赤の他人に見せられるわけないじゃないか。精神科の医者やカウンセラーなんてただのぼったくり。精神を病んだなら自分で治すしかない。精神科なんて無意味。そんなとこに通って薬に頼って生きる人間には死んでもなりたくない。そう思ってた。
心療内科やカウンセリングの最中はいつも、「大丈夫です。」「変わりないです。」を繰り返し、その一言で薬を減らしたり「良かったですね。」と言ってくる医者に辟易していた。
こんな奴らが私をまともな人間にする?普通の感覚に戻す?そんなこと絶対に出来るわけないじゃん。私はこんなに苦しんでいるのに。私の目も見てくれない。この人たちは、私が本心で話せてないことに気付きもしない。
フェーズ2:カウンセリングでは恥ずかしいことも嫌われることも話して良いと知る
だけど、今のカウンセリングに行き始めてから、ここは、普段出せない感情を出して良い場所なんだ思えるようになった。
自分の中に今まで誰にも出してこなかった感情があることにすら気付いていなかったのだから、今までのカウンセリングや通院がうまくいかなかったのにも納得がいく。
精神医療に対しては上に書いた思考で凝り固まっていた私だから、恥ずかしい感情とか嫌悪されるような思考をカウンセラーに伝えられるようになったことは、私にとってとてもとても大きな変化だった。
カウンセリングの時間は正直苦しい。普段の生活では脳裏に浮かぶことのなかった色んな感情が目まぐるしく転回しながら頭の中を駆け巡る。当たり障りないものもあれば、友達に言ったら軽蔑されるであろう負の感情もとめどなく湧き出てくる。その中でカウンセラーさんに何を言うべきか選択する。なるべく私の核となっている思考を探し出す。ここでは、私が本当に思っている事を話さないといけない。
12,000円払ってるからか、私はすごく真剣にカウンセリングを受けている。
フェーズ3:カウンセリングの時間を増やしたい
まだ4回しか行ってないけど、確かに何かしらの変化がある気がする。だんだんと欲が出てくる。もっと話したい。自分のことをもっと知りたい。知ってほしい。
だけど、月に4回行ったら、48,000円。払えるわけがない。それで、前にお世話になっていた自治体の無料カウンセリングを併用したいと思うようになった。
人に頼ることが出来ない私。
ましてや長年馬鹿にしていたカウンセリングの領域で人に頼るなんて…
1ヶ月くらい葛藤した。
だけど結局、勇気を出して、今行っているカウンセリングの補助的な位置付けで月一回くらい話をする時間が欲しい、と行政の担当者の方に連絡した。
そう。ちゃんと理由も目的もあるんだから。恥ずかしくない。問題ない。私は自分のことを理解している。その上で、カウンセリングの回数を増やすことが必要だと思ったんだから、間違ってない。そうするべきだ。
電話した時は、なぜか勝ち誇った気分だった。私はこんなにも自分のことをわかっている。ちゃんと整理できている。今必要なものが何かわかっている。
こうして、自治体のカウンセラーさんとの面談の日程が決まった。
私が境界性人格障害になるまで
私は、完璧になれない
ある日、インターフォンが鳴ったのでドアを開けると、女性が二人が立っていました。
彼女たちは、仮面のような作り笑顔を保ったまま「児童相談所」と書いた名札を私に見せ、慎重に選ばれた言葉で「子供が外でひとりで泣いていて心配だって近所の人から連絡をもらったから来ました」と言いました。
わたしみたいな人間が子どもを育ててしまっていることが色んな人を不安にさせている。
この人たちは私のことを疑ってる。
近所の人にも疑われてる。
虐待親だって決めつけてる。
わたしはきっとこの子たちを育てる資格を奪われる。
完璧にならなきゃ。完璧な親でいなきゃ。
そしたら認めてくれるんだよね?
私のことを好きになってくれるんだよね?
20歳で結婚したのも、20代で子供を二人産んだのも、自分を見てもらいたいから。
完璧なわたしに早くなりたかったから。
完璧な私であれば、両親も親戚もわたしのことを見てくれると思ったから。
それなのに、それすらできない。
お母さん…惨めなわたしをお母さんに見られたくない。
私は18歳で上京して仕送りも貰わず大学を卒業した。
結婚して、男女二人の子供に恵まれた。
実家は頼らないと決めていた。
経済的にも、精神的にも。
わたしはお母さんの自慢なんだよね?自立しているから。
電話でそう言ってくれたよね?
だから私は自立した娘でいなきゃいけない。
親に甘えてはいけない。
完璧な娘でいなきゃいけない。
完璧な親でいなきゃいけない。
それなのに、私は完璧な母親になれなかった。
なにもかも失敗してしまった。
そんな自分が恥ずかしい。恥。
お母さんにとっての恥。
お父さんにとっての恥。
おばあちゃんにとっての恥。
いとこにとっての恥。
私の存在は家族みんなにとって恥。
綺麗にアイロン掛けされた白シャツについた黒いシミ。
それがわたしだ。
実家の綻び
「完璧でいる」というルール
小さい頃、自分の実家は完璧だと思ってた。
周りの友達の家より階層が上だと思っていた。
親は二人とも公務員。トップクラスではないけど、両親共にある程度の大学を出て、教壇に立っていた。毎週末デパートに買い物に行けるくらいのお金があって、欲しいものはなんでも買ってもらえた。
昔からうちには暗黙の決まりがたくさんあった。その話題を出すとお母さんが不機嫌になる話や、その話題を出すとお父さんがあからさまに避けようとする話。
私はその話題に触れてはいけない。
そんな暗黙のルールがあった。
家族間での気持ちの探り合い。誰も傷つけてはいけない。絶対に深入りしてはいけない。みんな、秘密を持っている。
だけど、仲良く、穏やかで、余裕のある家族。それが自分の家庭だと思っていた。
外向けには、完璧だった。
「貧乏」という綻び
だけどある時、家の綻びに気付いてしまった。
お金の余裕が無かったことがいちばんのショックだった。
家庭、父と母、母と私の関係が壊れずに存続していたのは、たぶんお金があったから。
嫌だと言えば新しいものを買ってもらえた。目立つから恥ずかしいと言えば目立たないものを買ってもらえた。父の給料を母が自分の趣味に使うことに、父は何の不満も言わなかった。
お金で繋いでた関係。このままだと崩れる。
私たち家族の関係はそうだった。
両親に近付きたい
家族が壊れるのが嫌だった。両親ともっと仲良くなりたかった。でもうまく伝えられなかった。お父さんとお母さんは、どんどん私に隠し事を増やしていった。
もっと両親に近付きたくて、私は家の窓を割ったり、壁に穴を開けたりした。家に帰らなくなったり、好きでもない男の人たちといつも一緒にいるようになった。
だけど、お父さんもお母さんも、全然相手にしてくれなかった。いとこや、伯父伯母は、私の名前を出すことすらなくなった。私は、家族・親族の中でいちばんの出来損ないになった。もはやその頃には、あの人たちの世界から存在を消されていたのかもしれない。
逃亡、そして崩壊
家族からの逃亡
それで、私は逃げた。実家や親族、私が囚われていたものから逃げたかった。もっと自由に、強く生きたいと思った。
だけど、必死にお金を稼いで勉強をしていたのに、どんどん自分は分裂していった。自分を構成するものの両端がどんどん離れていって、文字通り、躁と鬱を繰り返した。
自分のことがわからなくなった。自分がとるはずのない行動をとったり、気持ちと行動が真逆になったり、私に近付く人を利用したりした。
自分からの逃亡
両親からも親戚からも逃げて、とうとう自分からも逃げたくなった。
今までの私は、自分を守るために完璧を目指し、両親に近付こうと努力した。私の心地良いものを手に入れるために動いていた。
だけど、全部に失敗して、次第に怒りの矛先が自分に向くようになった。
なにもできない、出来損ないの自分。学費を浪費して、幼い頃からの夢を捨て、有名企業に就職することもなく、学力は下がり、逃げ道として結婚を選んだのに子育てにも失敗。
自分のことがどんどん嫌いになった。恥ずかしい。可哀想。誰かに助けてほしい。感情的で依存的な自分。価値のない自分なんか消えてしまえ。攻撃的で破滅的な自分。
躁と鬱の繰り返しは、だんだんと私の中の対照的な両者の戦いになってきた。
まとめ
ブログを書いて、カウンセリングに行って、そういった状況にあることを把握できるようになってきた。
私は両親に愛されて大切にされてきたと思っていたけれど、家庭の中には暗黙のルールがたくさんあって、子供の私は大人の感情を察する必要があった。
純粋に子供のままでいることができなかった。
だけど両親のせいにはしたくない。
両親だってたくさん我慢してたくさん苦労してきた。
だけど子供の私がその部分に触れることは許されず、私が気を遣って両親の苦悩の部分に一歩足を踏み入れようものなら、いつも穏やかな両親は「それは私たちの問題だ。入ってくるな。」と豹変した。
優しさや気遣いを拒否される世界がそこにはあった。
両親が私に心配をかけたくなかったのはよくわかる。
だけど、子供の頃の私はそれを「拒否」としか受け取れなかった。
両親がなぜ両親なのか、本当に私の親なのか、そんなことを一人でよく考えていた。
小さい頃から「普通の家庭」に憧れていた。
ここでいう「普通の家庭」とは、親と子の距離が近いことだ。
私はもっと両親と仲良くしたかった。
今の私は自分をコントロールできない。自分が何から何を感じ、何を外に出すのか、全くわからない。自分のことなのに、なんにもわからない。
私の中には三人の私がいる
- 怒りの発端
- 三人の私
怒りの発端
子供達同士で遊んでいたのだけど、一人の女の子がずっと私に文句を言ってくる。
〇〇ちゃん(うちの娘)全然自転車貸してあげないよ。
ずっと自分で使ってるよ。
□□ちゃんには貸したのに△△ちゃんには貸さないよ。
入っちゃいけないところに入ったよ。
邪魔してるよ。
うるさい。
続きを読む
娘、小学生になりました。ブログ、タイトル変えました。
- 一年生の私
- 一年生の娘
- ブログタイトルを変えた理由
- おわりに
新年度を迎えましたね。
娘の小学校入学式も終わり、なんだか気分は晴れ晴れしています。
息子も無事進級。
娘も息子も、置かれる環境が変わってもすぐ周りと馴染めるからすごいなあ。
我が子ながら子供の適応能力に感心しています。
でも、本来子供ってこういう生き物なんだろうね。
同時期の自分との違いに驚きます。
続きを読む