私が境界性人格障害になるまで
私は、完璧になれない
ある日、インターフォンが鳴ったのでドアを開けると、女性が二人が立っていました。
彼女たちは、仮面のような作り笑顔を保ったまま「児童相談所」と書いた名札を私に見せ、慎重に選ばれた言葉で「子供が外でひとりで泣いていて心配だって近所の人から連絡をもらったから来ました」と言いました。
わたしみたいな人間が子どもを育ててしまっていることが色んな人を不安にさせている。
この人たちは私のことを疑ってる。
近所の人にも疑われてる。
虐待親だって決めつけてる。
わたしはきっとこの子たちを育てる資格を奪われる。
完璧にならなきゃ。完璧な親でいなきゃ。
そしたら認めてくれるんだよね?
私のことを好きになってくれるんだよね?
20歳で結婚したのも、20代で子供を二人産んだのも、自分を見てもらいたいから。
完璧なわたしに早くなりたかったから。
完璧な私であれば、両親も親戚もわたしのことを見てくれると思ったから。
それなのに、それすらできない。
お母さん…惨めなわたしをお母さんに見られたくない。
私は18歳で上京して仕送りも貰わず大学を卒業した。
結婚して、男女二人の子供に恵まれた。
実家は頼らないと決めていた。
経済的にも、精神的にも。
わたしはお母さんの自慢なんだよね?自立しているから。
電話でそう言ってくれたよね?
だから私は自立した娘でいなきゃいけない。
親に甘えてはいけない。
完璧な娘でいなきゃいけない。
完璧な親でいなきゃいけない。
それなのに、私は完璧な母親になれなかった。
なにもかも失敗してしまった。
そんな自分が恥ずかしい。恥。
お母さんにとっての恥。
お父さんにとっての恥。
おばあちゃんにとっての恥。
いとこにとっての恥。
私の存在は家族みんなにとって恥。
綺麗にアイロン掛けされた白シャツについた黒いシミ。
それがわたしだ。
実家の綻び
「完璧でいる」というルール
小さい頃、自分の実家は完璧だと思ってた。
周りの友達の家より階層が上だと思っていた。
親は二人とも公務員。トップクラスではないけど、両親共にある程度の大学を出て、教壇に立っていた。毎週末デパートに買い物に行けるくらいのお金があって、欲しいものはなんでも買ってもらえた。
昔からうちには暗黙の決まりがたくさんあった。その話題を出すとお母さんが不機嫌になる話や、その話題を出すとお父さんがあからさまに避けようとする話。
私はその話題に触れてはいけない。
そんな暗黙のルールがあった。
家族間での気持ちの探り合い。誰も傷つけてはいけない。絶対に深入りしてはいけない。みんな、秘密を持っている。
だけど、仲良く、穏やかで、余裕のある家族。それが自分の家庭だと思っていた。
外向けには、完璧だった。
「貧乏」という綻び
だけどある時、家の綻びに気付いてしまった。
お金の余裕が無かったことがいちばんのショックだった。
家庭、父と母、母と私の関係が壊れずに存続していたのは、たぶんお金があったから。
嫌だと言えば新しいものを買ってもらえた。目立つから恥ずかしいと言えば目立たないものを買ってもらえた。父の給料を母が自分の趣味に使うことに、父は何の不満も言わなかった。
お金で繋いでた関係。このままだと崩れる。
私たち家族の関係はそうだった。
両親に近付きたい
家族が壊れるのが嫌だった。両親ともっと仲良くなりたかった。でもうまく伝えられなかった。お父さんとお母さんは、どんどん私に隠し事を増やしていった。
もっと両親に近付きたくて、私は家の窓を割ったり、壁に穴を開けたりした。家に帰らなくなったり、好きでもない男の人たちといつも一緒にいるようになった。
だけど、お父さんもお母さんも、全然相手にしてくれなかった。いとこや、伯父伯母は、私の名前を出すことすらなくなった。私は、家族・親族の中でいちばんの出来損ないになった。もはやその頃には、あの人たちの世界から存在を消されていたのかもしれない。
逃亡、そして崩壊
家族からの逃亡
それで、私は逃げた。実家や親族、私が囚われていたものから逃げたかった。もっと自由に、強く生きたいと思った。
だけど、必死にお金を稼いで勉強をしていたのに、どんどん自分は分裂していった。自分を構成するものの両端がどんどん離れていって、文字通り、躁と鬱を繰り返した。
自分のことがわからなくなった。自分がとるはずのない行動をとったり、気持ちと行動が真逆になったり、私に近付く人を利用したりした。
自分からの逃亡
両親からも親戚からも逃げて、とうとう自分からも逃げたくなった。
今までの私は、自分を守るために完璧を目指し、両親に近付こうと努力した。私の心地良いものを手に入れるために動いていた。
だけど、全部に失敗して、次第に怒りの矛先が自分に向くようになった。
なにもできない、出来損ないの自分。学費を浪費して、幼い頃からの夢を捨て、有名企業に就職することもなく、学力は下がり、逃げ道として結婚を選んだのに子育てにも失敗。
自分のことがどんどん嫌いになった。恥ずかしい。可哀想。誰かに助けてほしい。感情的で依存的な自分。価値のない自分なんか消えてしまえ。攻撃的で破滅的な自分。
躁と鬱の繰り返しは、だんだんと私の中の対照的な両者の戦いになってきた。
まとめ
ブログを書いて、カウンセリングに行って、そういった状況にあることを把握できるようになってきた。
私は両親に愛されて大切にされてきたと思っていたけれど、家庭の中には暗黙のルールがたくさんあって、子供の私は大人の感情を察する必要があった。
純粋に子供のままでいることができなかった。
だけど両親のせいにはしたくない。
両親だってたくさん我慢してたくさん苦労してきた。
だけど子供の私がその部分に触れることは許されず、私が気を遣って両親の苦悩の部分に一歩足を踏み入れようものなら、いつも穏やかな両親は「それは私たちの問題だ。入ってくるな。」と豹変した。
優しさや気遣いを拒否される世界がそこにはあった。
両親が私に心配をかけたくなかったのはよくわかる。
だけど、子供の頃の私はそれを「拒否」としか受け取れなかった。
両親がなぜ両親なのか、本当に私の親なのか、そんなことを一人でよく考えていた。
小さい頃から「普通の家庭」に憧れていた。
ここでいう「普通の家庭」とは、親と子の距離が近いことだ。
私はもっと両親と仲良くしたかった。
今の私は自分をコントロールできない。自分が何から何を感じ、何を外に出すのか、全くわからない。自分のことなのに、なんにもわからない。