AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)の仕組みと改善方法
自分を何かの枠にあてはめてるのは嫌い。
だけど、過去を整理して改善していこうとするとき、ひとつの概念に沿って内省を深めることは、治療過程において必要なことなので、便宜的に使います。
AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)とは
AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)という概念があります。
AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)とは、機能不全家族で育ち、子どもとして子供時代を生きることができずに大人になってしまった人のことをいいます。
子供時代に、親や周囲の人から愛され、関心を注がれ、
自分の感情をありのままに表現し、自分の要求をありのままに周囲に伝える。
その経験は子どもの自尊心を育み、情緒を安定させるために必要不可欠なものです。
わたしたちの心の中には「インナーチャイルド」と呼ばれる、直感力・生命力・自発性・好奇心・感受性にあふれた「内なる子ども」がいます。
だけど、素直さや正直さが許されず、信頼感を築けず、自己価値の確立ができない成育環境で育てられたり、近しい人から見捨てられる体験をしたりすると、インナーチャイルドは外に出てくることができません。
無条件に愛され守られる、本来の子どもの権利を奪われた「傷ついた子ども」は、自分の身を守るために「コントロールする子ども」を身にまとうようになります。
コントロールする子どもは、感じないふりをしたり、本当の気持ちを抑えることで、これ以上傷付くのを防ごうとします。
これが、AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)になる仕組みです。
頭が良くて良い子でいれば、わたしはここにいていいですか?
わたしの場合も、このACにあてはまります。
顔を合わせたら喧嘩をしている母と祖母。
学歴至上主義でとにかく教育熱心な親戚一同。
田舎ではめずらしい近所との繋がりが希薄な核家族。
そんな環境に育ちました。
経済的に困窮していたわけでもなく、両親も健康で、虐待を受けたことなんて一度もありません。
だけどわたしは、小さい頃からなにもかも手探りで、大人のような振る舞いを求められました。
お母さんを困らせるようなことは絶対言ってはいけない。
頭の悪いわたしはここにいてはいけない。
言葉遣いも姿勢も食べ方も美しくないといけない。
夜の9時を過ぎたらお父さんとお母さんがいる一階に降りちゃいけない。
わたしはどうしていつもおばあちゃんに怒られるんだろう。
おばあちゃんはどうしてわたしを褒めてくれないんだろう。
おばあちゃんはどうしていとこのお兄ちゃんとわたしを比べるんだろう。
大人が理解できない。
お母さんとお父さんが本当にお母さんとお父さんなのかもわからない。
どうしてお母さんとおばあちゃんはいつも悪口を言い合ってるんだろう。
どうして大人はいつも怒ってるんだろう。
どうしてお母さんは隠れて泣いてるんだろう。
どうしてお父さんは泣いてるお母さんを助けてあげないんだろう。
怒っている人を見るのも泣いている人を見るのも怖い。
みんなが思っていることを隠して笑っているのが怖い。
感情は怖い。
感情なんていらない。
頭が良くて良い子でいれば、わたしはここにいていい?
虐待を受けていたわけではないけど、わたしは周囲の環境にいつも困惑していました。
理解できないことが多すぎて、自分の両親のことすら信頼できませんでした。
だから、自分の感情や要求は心の奥にしまいこんできました。
喉が渇いてどうしようもないのに、おばあちゃんに「お水をください」と言うことすらできなかった。
【改善方法】過去を振り返る意味
だからわたしは、大人になったいまでも手探りのまま生きています。
自分の感情が正しいのか、自分の好きなことはなんなのか、自分の居場所はあるのか、自分に価値はあるのか。
それがわかりません。
わたしのインナーチャイルドは本来、子どもの頃に、伸び伸びと自由に走り回ることが許されるはずでした。
だけど、ありのままの子どもの姿で外に出てくることができず、大人の皮を被って生きてきました。
傷ついた子どもはいまでも傷ついたままで、コントロールする子どもはそのまま大人になりました。
だからいまでも感情表現がうまくできず、自分の感じていることがわからなかったり、喜怒哀楽のコントロールが難しい。
だからわたしは、治療の過程で、インナーチャイルドが負ってきた傷を癒してあげる必要があります。
インナーチャイルドの傷を癒す方法は一つしかありません。
過去を丁寧に振り返って整理して、過去を過去のものにしていく。
「過去のことを振り返ってなんの意味があるの?」
このブログの最初の頃にそう書いていてた記憶があります。
だけど、ACの概念と仕組みを知って、過去のことを振り返る意味が理解できました。