こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

治療を本気でやってない?

心療内科でうつと診断されました。

 

高校2年の時、学校にも行けず、動くことやご飯を食べることすらままならず、何日も布団から出られない時期がありました。

何もしていないのに涙が止まらなくて、死にたいのに死ねなくて、なんでそうなるのかもわからなくて、不安と焦りで、人生ではじめて自分の意思で行った心療内科でも、同じ診断が下されました。

 

当時、その結果を聞いた母は、見て見ぬ振りをしました。

その後、うつについて母が触れることはなかったし、私から話すこともありませんでした。

継続して病院に通うこともできませんでした。

本当に思い出すだけで苦しい時期でした。

 

うつを隠して生きる

私はその時から、うつって恥ずかしいものなんだ、と考えるようになりました。

 

年齢を重ね、自分をカモフラージュする手法をたくさん学んできました。

うつだと診断されても仕事に行けるようになりました。

家庭のことが手につかなくなるけど、家での私なんて子供達しか見ていません。

家庭がボロボロでも、他人に見られる外での私は最低限の仕事をこなす。

そんな器用なことができるようになりました。

自分の意思で、通院するかしないかも決められるようになりました。

 

だけど、やっぱりうつに対しての恥ずかしさが消えません。

誰にも理解されないと思っています。

だから、うつであることはなるべく隠そうと思いながら生きてきました。

 

私がTwitterやブログを書く理由

外向けの自分を維持するために、内向きの自分を孤独にしないために、また、うつであったり発達障害であったりを自分で認め、人に認めてほしくて、ちゃんと治療に繋げたくて、Twitterやブログを書いてきました。

カウンセリングに行くことも決めたし、自己分析も続けていました。

 

高校の時の死ぬほどの苦しみをもう味わいたくないから、自分で落ちすぎないようにコントロールしてきたつもりでした。

 

もちろんうまくいかない時もあって、Twitterやブログに吐き出させてもらったこともありました。

その度に、アドバイスをくれる人だったり、共感してくれる人が現れました。

誰にも言ってはいけないと思っていた「うつ」っていうものを、その時の感情を、許して認めてくれる環境がありました。

 

依存症について思うこと

出会い系をはじめとした、ネット上で承認欲求を満たす行動。

やめたいけどやめられない。

それがないと生活が成り立たない。

それが依存症っていうものなんじゃないでしょうか。

私だってやりたくてやってるわけじゃない。

 

高校生の時に一度経験したあの苦しみを回避するための最終手段だった。

それすらも言い訳になりますか?

 

あの時みたいな状態にもう絶対になりたくない。

あんな辛い思いはしたくない。

そう思って自分を守ることは間違いですか?

 

仕事を続けるため、仕事で成果を出すため、子供を虐待しないため、家庭を円満に保つため、自尊心を取り戻すため、自分の存在を認めるため、そのために苦肉の策で選んできた道です。

 

これは言い訳ですか?

私が辛い、苦しいと言ったら嘘だって言いますか?

 

私が本心を話すことは許されない。

私が本心を話したら甘えるなと罵倒される。

 

私の自己防衛の手段をすべて否定するなら助けてください。

自尊心を保つ方法を教えてください。

私の価値を証明してください。

 

治療を本気でやってないなんてことは絶対にありません。

生活を維持するための手段としての性依存、Twitter、ブログ。

他に方法があったんですか?

ただ、動けなくなるのを防ぐため、ただそれだけだった。

 

私がどんなにもっと楽に生きられるようになりたいと思ってるか、わかりますか?

私がどれだけ本気で自分と向き合っているか、当事者じゃない人にわかりますか?

わかるわけがありません。

 

私は自分がこれだけ経験してきても、Twitterで苦しんでいる方の本心や真実はわかりませんし、甘えなんじゃないかと思うことすら正直あります。

 

うつを経験してない人間から見たら私の行動は逸脱していて甘えに見えるでしょう。

だけど、私の中では全部筋が通っているし、カウンセリングでも、それらの行動は自分が本当にダメになるのを(極論、自死)を防ぐためのものだけど、やめたい。他のものでどう満たせばいいのかを相談してきました。

自分の容姿、能力を、どう認めていけばいいのかを相談してきました。

 

それでも私の行動の全て、逃げだ甘えだと馬鹿にされるのかもしれません。

だけど、生活を維持しながらうつを改善していく方法はこれしかなかったと今は思っています。