価値観を変えるのではなくアップデートする
価値観(sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。
価値観の形成は様々に行われる。親から教えられることもある。書物を読むことで吸収することもある。組織や共同体に属することによって継承されることもある。また、個人的な体験をきっかけにしたり、思索の積み重ねによって、独自に新たな価値観が構築されることもある。
ある人が抱く価値観は、その人の具体的な行動となり、「ライフスタイル」や「生き様」などになって現れることは多い。
私が大切にしている5つの価値観
いまの仕事を続けていこうか悩んでいることもあり、自分の大切にしている価値観は何だろうと考えてみました。
ウィキペディアからの引用にあるように、価値観とは自分の過去の経験と感情の集積です。
そして、他人から見える自分像はその価値観の塊なのではないかと思います。
私が生きる上で大切にしている価値観を5つ挙げてみました。
①多様な考えを受け入れ、認めること
②成長できること
③自己分析と自己理解
④良好な人間関係(家族・友人・同僚)
⑤ものごとの質が良いこと(完璧・正確・丁寧・綺麗)
私が「受容する力」を大切な価値観としていちばんに挙げた理由は、オープンネスがあれば、多様な価値観を自分のものにできるからです。
自分ひとりが持っている価値観なんて、狭くて小さいもの。
それだけを信じて頼って生きていくのは、狭い世界に閉じこもってしまうことと同義です。
価値観の違う人の意見や考えを自分のものにすることができれば、見える世界は格段に広がります。
私の理想として、考え方の違う人とも分かり合いたいという希望があります。
そのためには、相手がどんなに自分と違う考え方や価値観を持っていようと、理解しようと努めなければいけません。
また、他人の価値観を受け入れて理解していくことは、私の欲している「個人の成長」や「良好な人間関係」にもつながります。
マイノリティを排除する世界
小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、どこへいってもいじめられる人や疎外される人を目にしてきたし、自分がその対象となる時期もありました。
そのたびに、たとえ対象が自分でなくても、やり場のない悔しさや悲しさを感じていました。
きれいごとのようだけど、なんでこの人たちは(またはこの人たちと私は)分かり合えないのだろうと思いました。
私は波風立つ周囲の雰囲気や自分の心の中のざわつきを抑えるかのように、「私は優しくおだやかな人間でいたい」と強く思っていました。
学校という狭い世界で感じることの多かった「悔しさ・悲しさ」のほとんどは、人と人との「違い」からくるものだったと思います。
それは、考え方だけでなく、見た目であったりもしました。
普通より太っているからいじめる。
みんながだらしなく制服を着る中で長いスカートの子がばかにされる。
授業中に先生の話に対してうなずく子が真面目ちゃんと笑われる。
私たちはなんで違うものを排除しようとするのだろう。
自分がマイノリティ側に属していることが多かったからかもしれませんが、その疑問はずっと頭の中にとどまり、「価値観の違う他人を受け入れること」に関して神経が過敏になっていたところもありました。
価値観のアップデートとは?
じゃあ、かくいう自分は考え方の違う人間をすべて受け入れられていたかというと、全くそうではありません。
「価値観の違い」に敏感に反応してしまうのはむしろ私のほうで、こんなことを言いつつ他人に対して受容の気持ちを持つ力がとても弱いのです。
自己開示をしない同僚に対してはイライラしてしまうし、気分屋の上司を見ていると逃げ出したくなるし、話がまったくかみ合わない人とは距離を置こうと思ってしまいます。
「価値観の違う人」を理解しようとする前に、「自分の価値観との適合性」をチェックしてふるいにかけるのが癖になっています。
孤独感を感じることが多い学生生活だったこともあり、自分と種類の違う人間を受け入れようと泰然と構えることもできず、必死に「共感」のポイントを探してしまうのです。
そして共感を感じられない人は自分の世界から排除しようとしてきました。
私には、自分と正反対の考え、または明らかに賛成しがたい考えを持つ人の価値観を自分のものにしようと前向きにとらえる精神力が備わっていませんでした。
だけど人は、「異なる価値観」と出会い、受け入れ、取り入れ、自分の価値観を見直すことで一番多くを学ぶと思います。
価値観のアップデートとは、価値観を変えることではありません。
自分が嫌いだ、合わない、賛成できないと感じる人の意見にも耳を傾け、その意見や価値観を排除せずに学び、参考にすること。
これが価値観のアップデートです。
自分の周りに高い壁を作って、合わないと判断した他人を排除していくコミュニケーションの取り方をしてきて、私は自分の世界がどんどん狭まっていくのを感じました。
自分と全く異なる他人の考えや意見を聞いても、心を乱すことなく、または心を乱したとしても、それをしっかり聞いて、理解して、受け入れられるようになることで、人の器は大きくなるのだと思います。