こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

孤独でいたいけど孤独になってはいけないという現実

孤独。

 

急に襲われる孤独感に負けたくない。けど負けてる。

 

みんな、頑張らなくても友達が飲みに誘ってくれて、

頑張らなくても自然にコミュニティをつくれて、

頑張らなくても誰かと繋がってる感覚が得られているんだろう。

 

発達障害はいなくなってほしい

ひょんなことから学童の役員をすることになってしまって、役員5人のグループラインがあるのだけど、そのなかで明らかに人を省こうとするタイプのお母さんが一人いる。

 

私が明らかに省かれてるわけではないと思うんだけど、

私と同じ1年生のお母さんに対してその人がすごく冷たい扱いをしていて、見てて本当にムカつく。

その人だけに敬語とか、その人が会話に入って発言すると「そういうことじゃないです」と急に否定したり。

 

こういうことはどこに行っても日常的にあるのかもしれない。

だけど、この嫌な感情が一気に私の気持ちのすべてを占めてくる。

 

しかも話題が話題で、2年生のあるクラスで発達障害と診断されている子が同級生を骨折させるという事件があったらしく、それについて、発達障害だからって許せない。施設に入ったほうがいい。発達障害の子は健常の子と一緒にいるべきではない。そういう話題が展開されていたのだ。

私は自分が発達障害側の人間だったから(いまもその性質がなくなったわけではないし)、自分のことをそう言われているような気持ちになってその話題には何も口出しできなかった。

 

健常者だけの世界を作りたいという気持ちもわかる。

だけど、発達障害の人間だって別に発達障害になりたくてなったわけじゃない。

生まれてきたらたまたま発達障害だったというだけ。

私だって大人になってはじめて自閉症と診断されて知ったくらいだ。

自分はなんか違う、という感覚も幼い当時は持てるわけないのだから。

 

上に書いたのは今日あった話だけど、やっぱり親は子供のことになると無駄に熱が入るし、実際小学校に入ると先生との関係性が希薄になるから親同士のコミュニティは情報交換の意味で結構大事になってくる。

だけど私は小学校の父母会、PTAという組織から逃げ出したい。

ちゃんと親の関わる範囲が限定されていて、それ以上は関わらなくていいという決めがあれば楽なんだけど、とにかく臨機応変さと柔軟な考え・行動が求められる。

あとは共感能力。

 

それらがことごとく欠如している私がこういう組織に属しているのに無理がある。

でも逃げ出したらさらに孤独になる。

逃げたいのに逃げるのが怖い。

これからずっとこの嫌な感情を抱えながら何年もを過ごしていかなきゃいけないと思うと一気に心が重くなる。

 

在宅勤務の孤独

子どものクラスがインフルエンザで学級閉鎖になった。

仕事は今週いっぱい在宅勤務させてもらうことになった。

だけど、孤独だ。

仲間はずれにされているような感覚。

 

私は20代だけど周りの20代~30代前半の人たちは結婚してない人、子供がいない人も多い。

ちょっと残業してたら残ってる人で飲みに行ったりできる。

でも私は時短勤務だからその枠には入れなくて、かといってママさん(ママさんがとても多い会社)の枠にも年齢的に入れない。

コンサルをやっている会社だから、お金があってキャリアもあって、その上で結婚出産している人がほとんどだからだ。

みんな40代近いので10歳くらい違う。

事務上がりの私とは生活レベルも全く違う。

持っているものがピッタリ合う人がいないからどこにも所属できないし、そういう所有物を乗り越えて仲良くなる方法が全く分からない。

 

だから私は職場ではいつも孤独感を感じていて、でもそれを外に出すのも恥ずかしいから強がってしまって、そうやって強がってる自分がさらにみじめになって、どんどん居心地が悪くなってくる。

 

さらに在宅勤務だ。

知らないうちに誰かと誰かがすごい仲良くなってたらどうしよう。

私がいないことで誰かが居心地の良さを感じていたらどうしよう。

自分のいないことで変わっていく環境が見れないことも不安だし、人の感情を勝手に妄想して勝手に怖くなっている。

 

私の人間関係の半分は常に満たされない

カウンセラーさんも周りの人も、「あなたは結婚してて子供がいる。あなたは家族に必要とされている。」と言ってくれる。

でも私の中で家族というコミュニティとそれ以外の人間関係はまったく別物で、家族のコミュニティが潤滑に動いていたとしても、それ以外のコミュニティを持っていなければ半分はからっぽで孤独なのだ。

 

しかも、法律や家族という形で比較的固く結ばれた切れにくい関係じゃないから、さらに不安だ。

流動的なものが苦手だ。

変わっていくもの、動きの速いものに自分ひとり取り残されていく感覚が強い。

 

キャリアでも子育てでも精神的な部分でも、すべてにおいて、いつも周囲に置いて行かれないようにすることに精神力のほとんどを費やしているような気もする。

自分の個を大切にしたい、個人として自立して自律的に生きていけるようになりたいと思いながらも、周囲の変化や動きが気になって仕方ない。

 

小学校2年生までは自分の世界に閉じこもって生きることが普通にできていた。

たまに私の世界に浸食してくる同級生がいることは脅威だったし思い出すだけでも恐ろしい出来事だったけど、それによって私は何かを焦ることもなかったし、人間関係について悩んだこともなかった。

それがだんだん成長とともに世の中の常識みたいなものに目を向けるようになってきて、「友達をつくっていつも一緒にいなきゃいけない」「どこかのグループに属さないといけない」「なるべくヒエラルキーの上位にいないといけない」という強迫観念にとらわれるようになった。

 

だけどみんなが自然にやっているそのような人間関係の構築がどうしても苦手で、見よう見まねでいじめられない程度にポジションを維持するように必死にやっていたけど、いつだってこんなくだらない常識がない世界で生きていきたいと思ってた。

常識に合わせて生きることが本当に大変だった。

 

だけど、いま普通の企業に入って、一会社員として働いている。

2児の母親として母親同士のコミュニケーションも取らないといけない。

 

常識に従って、普通のコミュニケーションを取れることなど基礎の基礎、というような環境にいると、どうしてもその流れについていくことを余儀なくされる。

本当は引きこもって誰とも話さず、ずっと好きなことだけに集中して生きていきたい。

 

私はたとえ家族によって人との繋がり欲求の半分を満たしてもらったとしても、残りの半分を満たすことはできない。

なめらかに人間関係を構築するなんて無理だ。

私は嫌われないようにしないといけないし、見下されてはいけないし、だからといって高飛車に見えてもいけない。

みんなの話題についていかないといけないし、流れを追い続けないといけないし、周りの人たちと同じような道を進んでいないといけない。

 

ひとり抜け出して誰ともかかわらずに生きることが難しい世界で、個性を活かして自立するなんて、私には到底無理な話のように思える。