こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

母親として子供を育てることが嫌なんじゃない

子供が7歳と5歳になり、前より手がかからなくなりました。

なのに、なんでわたしはいまだに母親という立場から逃げ出したくなるんだろうと考えたとき、その理由の一つは、ほかの母親とのコミュニケーションを強制的に取らされているからだと思います。

 

小学校にはPTAという組織があります。

学童にも父母会というものがあります。

保育園にも、同じクラスのママたちとのグループラインがあります。

 

子供がいなくて、独り身だったら、自分の意思で参加不参加を決められました。

私がコミュニティへの参加を拒否したことで、困ることや回ってこない情報があったとしても、その被害を被るのは自分だけでした。

 

だけど、子供が関係してくると、参加しないことで被害を被るのが自分だけじゃなくなります。

子供たちがみんな集まる会にうちの子だけ参加できないのはかわいそう。

私が情報を得られなかったばっかりに、子供が忘れ物をしたりして先生に怒られたらかわいそう。

そう思うと、私の意思だけでコミュニティへの参加を拒否することができなくなります。

 

だけどそれが、強制的に参加させられているように感じるのです。

逃げ場を断たれたように思い、怒りを感じます。

 

実際のところ、参加を拒否できないことはありません。

情報が得られないことや、子供のコミュニティの幅を狭めること、ほかの母親からなにか思われること。

それらを受け入れるのであれば、拒否することはできます。

 

そうやってコミュニケーションを取らないことを徹底してる人もいると思うから、決して強制的に参加させられているわけじゃないんです。

でも、私はそれらのデメリットを受け入れることができなかったので、しぶしぶ参加しています。

だけど、いままでやりたくないことから徹底的に逃げてきた人生だったので、「仕方なくやる」という経験がはじめてでした。

子供を守るために、「仕方なくやる」

29歳にしてはじめて経験したがゆえに耐性がなく、強い拒否反応が出ているんだと思います。

 

 

「仕方なくやる」と、関わりたくない人との切れない繋がりも出てきます。

いままでだったら、関わりたくない人とは速攻で関係を断つことができたけど、それもできなくなりました。

 

PTA関連で繋がりのあるママさんが、「下の子がいるから役員できません」は、役員を辞退する理由にならない、と怒っていました。

小学校の係には「幼いお子さんは連れてこないでください」と明記されているものまであります。

 

だけど、みんながみんな小学校のため、子供たちのために積極的になにかしようという気持ちをもっているなんてことは絶対にないと思います。

みんながみんな、好きなときに子供を預けられる人が近くにいるとも限りません。

顔には出さずとも生活がいっぱいいっぱいな人だっているでしょう。

 

そういう人がいる可能性を考えたり、他人の状況を理解する気もさらさらなく、「役員やりたくない」っていうひとことで、その人のことをボロクソに言うことには納得がいきませんでした。

 

だけど、そういう考え方の合わない人とも、どうにか関係を維持していかないといけなのです。

 

 

いろんな技術も世の中も進んでいて、家族のあり方も多様化しているいま、小学校はいつまでステレオタイプな慣習にこだわっているんだろう。

クラウドやグループウェアを使って、そういう非効率的なシステムを変えられたらな、と思うけど、そこまでする推進力も根気もなく、ヤダヤダ言いながらダラダラ流されている自分がときどき本当に嫌になります。

 

 

単純に「母親として子供を育てること」が嫌な時期を過ぎて、「母親としてコミュニティを維持しないといけないこと」にストレスを感じているのがいまです。