自分軸と他人軸と自己肯定感
カウンセラーさんに、自分軸が大切だとよく言われる。
私の夢や私の選択に他人軸は関係なく、自分軸で決めればいいんだと。
だけど、私にとって、自分軸ですべてを決めるのはとても難しい。
かといって、他人軸にすべてをゆだねると不安でしょうがないし、もっとほしい、となってしまう。
どっちにも頼れない。
どっちに頼ったらいいの?
これも、ボーダー特有の白黒思考だ。
自分軸 or 他人軸の白黒思考。
本来、自分軸と他人軸は共存しているべきなのだ。
自分軸だけで判断すべきところと、他人軸だけで判断すべきところ。
そして、自分軸と他人軸をかけあわせて判断するべきシチュエーションがそれぞれあるはず。
だけど私の自分軸は、自分のことを正しく認識できていないからゆがんでいる。
それは、自己肯定感が低すぎるせいだ。
カウンセラーさんの言っている「自分軸」を支えるものは「自己肯定感」なのかな、と今日思った。
自分軸で見た私
私のコンプレックスは容姿と学歴だけど、その両方を自分軸だけで考えていたら、悪いことしかない。
たとえば容姿。
私は自分のことを可愛いと思わないし、美人だと思わない。
謙遜ではなく本気でそう思っている。
歯並びは長年のコンプレックスだし、
顔は左右対称じゃなく歪んでいる。
二重の幅も狭いし、写真写りは絶望的。
そして頭の良さ。
私は頭が良くない。
学歴は低学歴。
高学歴じゃなくても地頭が良ければと思ったのもつかの間、本当に地頭が良い人は難しい話でも一度で理解できる一方、私は何度も聞き返す。
それが、高学歴ばかりが集まる今の会社に入って顕著になった。
そんな状態で、自分は頭が良いなんて思えない。
他人軸で見た私
だけど、こんな私でも、他人軸で見ると「可愛い」「頭良い」と言ってもらえることがある。
そういう奇跡があるからこそ他者評価が嬉しい。
私が男性関係に依存しがちなのも、
整形したいと願っているのも、
無性に勉強したがるのも、
全部、他者評価がほしいから。
私は他者評価をのどから手が出るほど欲している。
他者評価がなければ生きていけない
自分軸だけで自分のことを見ていたら、今すぐに自分のブスな顔面をぐちゃぐちゃにしたくなるし、この馬鹿な脳味噌を取り除いてしまいたくなる。
自分軸だけで自分のことを見ていたら、私は自分を壊したくなるのだ。
だから他人軸による評価で、自己肯定感を満たそうとしている。
だけど、残念なことに、私はどれだけ他者評価をもらっても、私はそのすべてを素直に受け取れない。
人に褒められたら、そのままありがとうと受け取ればいいのに、変に相手を疑ったり、褒め言葉を否定したりするから、いつまでも他人軸による評価を自分のものにできない。
繰り返しになるけど、自分軸と他人軸は、共存していて良いはずなんだ。
「自分のここは嫌いだけど、意外とよく褒められるから良い部分かもしれないね。」
それでいいはず。
だけど、私はいつも自分のことを否定しすぎる。
褒められた時、ほんとはとっても嬉しいのに、それを打ち消そうと必死になっている。
これも長年の白黒思考グセのせいかもしれない。
真逆の意見が私のなかに存在していることが許せない。
自分軸による、私はこうでなきゃいけないという呪縛。
私はブスでいなきゃいけない。
私は馬鹿でいなきゃいけない。
という呪縛。
そしてその根底にあるのは、低すぎる自己肯定感だ。
ブスなほうに、頭が悪いほうに引きずり込もうとしているのは、ほかでもない自分自身なのだ。
結局、自己肯定感
私は、自分に欠けている自尊心や自己肯定感を埋め合わせるために、他者評価を欲してきた。
だけど、どれだけ褒められても認められても、満たされることはなかった。
他人軸による評価を素直に受け取ることも重要だけれど、何よりも、自分軸で正当に自分を評価できるようになることが重要なのだ。
カウンセラーさんが私に伝えようとしてくれているのは、自己肯定感を高めることがゆがみのない自分軸の確立に繋がること。
他人からの良い評価をそのままの意味で受け取れるようになるためにも、ありのままの自分を認めて、自己肯定感を高めることが大切だということなんじゃないかな。