書いても書いても変わらない。だけど書きたい。林芙美子のように。
同じような気持ちをまとまりもなく書き出すことを延々と繰り返している。
そのことに時々やり切れない虚しさを感じるけど(少しも成長していない気がして)、それでも、書きたい、出したい、見てほしい、知ってほしい、わかってほしい。欲求はとめどない。
仕事中でも何か書きたい衝動に駆られる。
何かに駆り立てられるように、自分が自分を求めるように、無心で書き出す作業がしたい。
書いてる内容がどれだけ惨めでも、林芙美子のような生の強さがあれば、きっとそれは大きな価値をもつんだろう。
私という人間は、いつもふわふわと心許なくて、セックスや壊れそうな友情で誰かを繋ぎ止めることで自分の存在を確認し続ける。
弱い。ただただ弱い。
一方、林芙美子は爆発しそうな命。
もはや爆発してもなお生き続ける命。
そんな力強い命を、生の炎を、バチバチと燃やし続ける林芙美子の文章は私にとって光だ。
書きたいことはある程度書きたいように書いてる。だけど、それでもやっぱり、どう思われるかな、と気にして気持ちが弱くなってしまうのが私の致命的な弱点であって、変にかしこまって脳味噌を吟味しながら絞り出しているような自分の文章が、無性に癪に触る時がある。
こんなブログも、こんなブログを書いてる自分も、全部ぶっ壊してしまいたいな。
そんなことを破壊的に思いながらも、もったいないの気持ちが自分を止める。
煮え切らない私。弱い。嫌だ。
だけど私は私。
かけがえのないひとりの人間で、価値がないなんてことなくて、もっと自信を持ってよくて、もっと堂々と生きていいんだよ。
って、自分に言いたい。
強くなれ。生きる意味を作るんだ。
苦しい唄
林芙美子
隣人とか
肉親とか
恋人とか
それが何であらう――
生活の中の食ふと言ふ事が満足でなかつたら
描いた愛らしい花はしぼんでしまふ
快活に働きたいものだと思つても
悪口雑言の中に
私はいじらしい程小さくしやがんでゐる。
両手を高くさし上げてもみるが
こんなにも可愛い女を裏切つて行く人間ばかりなのか!
いつまでも人形を抱いて沈黙つてゐる私ではない。
お腹がすいても
職がなくつても
ウヲオ! と叫んではならないんですよ
幸福な方が眉をおひそめになる。
血をふいて悶死したつて
ビクともする大地ではないんです
後から後から
彼等は健康な砲丸を用意してゐる。
陳列箱に
ふかしたてのパンがあるが、
私の知らない世間はなんとまあ
ピヤノのやうに軽やかに美しいのでせう。
そこで始めて
神様コンチクシャウと怒鳴りたくなります。
さっき貧乏について記事を書きましたが、こんな快活に、あっけらかんと、力強く、貧乏なことを悩める人っているだろうか。
本当に素晴らしい。
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