こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

学歴コンプレックス(高校~大学)

懸案事項がたくさんあってなんだかずっと焦っています。
 
そのひとつが、次の心療内科受診の時に先生に渡すメモを書かなければいけないこと。
 
毎回、質問されても見当違いな回答をしてしまったり、泣き出して話せなくなったりするので、支援センターの方にメモを持っていくことをすすめられました。
 
でも、前回、前々回とすっかり忘れていて、今回こそはちゃんとしないと、と。
 
そんなわけで、不安なことやふと思ったことなどは、ブログにも書き留めておこうと思います。
 
 

学歴コンプレックス

高校受験で挫折

私は、中学までは成績が良い方だったので、県下一の進学校への憧れがありました。
 
でも実際は、詰め込みでなんとかなる定期テストの成績が良いだけで、学期末や学年末のテストのように範囲が広くなると、ガクッと成績が落ちていました。
 
自分でもそれを認識していたものの、挽回しようと頑張るわけでもなく、高校受験は「前期試験」と言われる内申書と面接と小論文のみで受けられる高校を受けました。
 
憧れていた高校は、内申書の点が届かず、前期試験が受けられませんでした。
 
それでも、国数英理社の五科目で受ける後期試験でリベンジすればよかったのですが、当時の私は自信が持てず諦めてしまいました。
 
なぜかというと、県下一の高校を受けるのは、中学のトップにいる一人二人だけだったので、合否は学年全体や先生達の耳にもすぐ届くだろうと思うと、落ちた時の情けなさに耐えられないだろうな、と思ったからです。
 
そして確実に受かるであろう高校を選びました。
 
そこから、私の諦めとコンプレックスだらけの人生が始まります。
 

登校拒否

入学した高校も一応進学校ではあったので、せめて大学は希望の所に受かりたい!と思っていましたが
 
クラスにたまたまトラブルメーカー的な子が居て、すぐに先生に口答えしたり揚げ足をとったりするので授業が全然進まず。
 
学校全体のレベルの低さに愕然としました。
 
そして、その中でもトップが取れない自分の頭の悪さに、さらに大きなショックを受け、次第に学校から足が遠のいていきました。
 
その後は、自宅で勉強しようと思っても呆然としてしまって何も手につかず、ずっと好きな音楽を聴いて過ごしていました。
 
そして好きな音楽を通して知り合った人とお付き合いが始まり、その彼や通っていたライブハウスで知り合った友達と遊ぶようになります。
 
たまに学校に行くと、ほとんどのクラスメイトに無視されました。
机に座られていたので「そこいい?」と聞くと「あれ、名前なんだっけ?」と言われたこともあります。
 
学校には居場所が一切無くて、親とも不仲で家にも帰れず、次第に彼に依存していくようになりました。
 
彼は懸命に相手をしてくれましたが、私は「彼がいなかったらひとりぼっちだ」と不安で不安で、異常なほど束縛していました。
 
そんな生活をしているうちに、だんだんと鬱状態になることが多くなってきて、布団から一歩も出られず携帯だけ握りしめて泣いている日が続きました。
 

長年の夢を諦める

それが一年近く続いたので、当然勉強もしておらず、理系志望だったのですが担任の判断で文系に転向することになりました。
 
長年の夢だった獣医への道が絶たれたことで更に落ち込み、生活も心も荒んでいきました。
 
親兄弟への八つ当たりもひどいもので、暴力や破壊行為など、手に負えない状態でした。
 

うちにはお金がない

そんな中でも、親は私のために家でできる教材を用意してくれたり、短期の受験勉強の講座に参加させてくれたりしていました。
 
両親が大学進学を期待していることは昔からわかっていたし、私が不登校になったせいで教育費が余計にかかっていることもわかっていました。
 
不登校になり家にずっといたので昼夜逆転し、ある晩両親の話す声が聞こえました。
 
そして、自分の家が、私が思っていたよりはるかに裕福でないことがわかりました。
 
小学生くらいまでは、子供の私に一着一万くらいする服を買っていたし、車もいいもので、子供ながらにうちはお金持ちだと思っていたので、お金に苦労している親を見てしまったことがものすごくショックでした。
 
当時依存していた彼は年上だったので東京の学校に進学することが決まっており、彼を追いかける意味でも、少しでも親の期待に応えたいという意味でも、東京の大学へ行こうと決め、なんとか動ける時に勉強をしていました。
 

大学進学での挫折

しかし結果はやはり第一志望には届かず。
 
浪人する気力も意欲もなかったので、受かった大学に入ることにしました。
 
大学は予想通り、授業も学生も低レベルで大嫌いでした。
なので、大学の授業も最低限しか出席しませんでした。
 
大学でも何かを学んだ記憶は無く、仕事は学歴関係ないもんね!と挑んだ就職活動も惨敗。
 
途中で就職を諦め、学生時代に働いていた飲食店でずっとアルバイトをしていました。
 

学歴コンプレックスから脱却したい―結婚と出産―

そして、当時の彼と同棲するのを機に結婚。
 
一人目の子を出産後、またあのプライドがフツフツと湧き上がってきました。
 
子供がいてもすごい仕事をしてやる!見返してやる!と意気込んでの二度目の就活。
 
しかしここでも事務のフルタイムパート止まり。
絶対的に実力がない。
 
そこは二人目の子の出産で退職しましたが、未だに「結果を出せてない!」と思っています。
出た結果がこれであり、これこそがすべての実力なのだ、と思おうと思っても、「そんなことない!」と頭の片隅で考えてしまうのです。
 

まとめ

かなり赤裸々に書いています。
 
ここまでの私の文章からも推測出来るかと思いますが、本当に学歴コンプレックスの塊です。
 
 
中学まではほとんど学年一位だった私が、こんな頭の悪い人も入れるようなレベルの大学にしか受からないわけがない。
 
もっと良い大学に入れるはず!
 
もっと良い仕事に就けるはず!
 
本当に醜く恥ずかしいコンプレックスです。
 
 
そして、さらに恥ずかしいことに、自分の目指していた大学や更に上の大学の出身者を見ると、それだけで避けてしまうのです。
 
「馬鹿だと思われる」
「下に見られたくない」
 
プライドが邪魔して、人間関係をうまく築けません。
 
外では、「学歴なんか関係ないよね!人間性だよね!」
なんていってるけど、誰よりも学歴を気にしているのは私なのです。
 
 
 
どうしたらこの学歴や職歴の呪縛から逃れられるのでしょうか?