彼女にしたら破滅する…?「ボーダー」であることを夫に話して認めること
境界性人格障害。
境界性パーソナリティ障害。
一般的にボーダーと呼ばれている精神疾患があります。
巷に流れる情報を見ると、
「彼女にしたら破滅の道をたどる」
「絶対に結婚してはいけない」
「ボーダーだと気付いたらすぐ逃げましょう」とまでいわれているこの病気。
ここからは、私自身がボーダーだと仮定してお話します。
本当に逃げるのが正解。
一緒にいる人は壊れてしまうと思う。
だけど、本人もその性質に苦しんでいることは事実です。
私は今日はじめて、旦那に自分の漠然とした不安を打ち明けました。
境界性人格障害の特徴
- 感情のコントロールができない
- 白か黒かの極端な考え方をする
- 態度が豹変することがあり、人間関係が不安定
- 自己否定的
- 自分の一部に対する評価で、全人格を否定されたと思い込む
- 同じ人物に対しても、好き嫌いがコロコロ変わる
- 試し行動を繰り返す
- ギャンブル、セックス依存、過食、OD、自傷行為、自殺未遂
- 見捨てられ不安
ボーダーの特徴として挙げられるこれらの項目。
見事に全部当てはまっています。
同じ人でも、気分によって大好きな日と大嫌いな日があり、急に冷たくしたり、敵認定したりします。
自分の居場所はどこにもありません。
結婚していても、友人と一緒にいても、いつでもひとりぼっちで、所在なくふらふらと足が地についていないような感覚で、誰も味方がいないと思うことが多いです。
カッとなると後先考えずに暴れ、暴れたかと思ったら布団にこもって一日中動けなくなったりします。
いつも漠然とした不安を感じていて、その不安が大きくなると、自分を愛してくれているか、見てくれているか、旦那でも彼氏でもない人に試し行動を取ったりします。
不安な気持ちを初めて旦那に打ち明ける
最近、友人関係と仕事のことですごくストレスを感じていました。
そして今日、ストレスの原因について、勇気を出して夫に話してみました。
下の記事に書いたようなことです。
私は、会社の中や誰かの心の中で「いらない人」と認定されるのがすごく怖いのです。
不安でいっぱいになると、相手の気持ちを確かめるまで気持ちがおさまらず、わざと冷たくしてみたり、自分の闇の部分を見せてみたり、余計な行動をとってしまいます。
気持ちが落ち着いた後、その行動を死ぬほど後悔します。
自分の行動のせいでもっと嫌われたと思って、自分から距離を置いてしまいます。
自分に自信がないから、周りの人がすごく幸せに見えます。
豪華絢爛なヨーロッパの宮殿で、ひとりだけぼろ布を巻いて立っている感覚に陥ります。
私はいつだって惨めです。
ひとりで子どもを連れて休日出かけるとその感覚になることが多くあります。
たぶん、他の親子がすごく羨ましく見えるからです。
旦那さんのサポートも手厚く、お金にも余裕があるんだろうな。
そう思うと、電車の中にもかかわらず、涙があふれて止まらなくなることがあります。
今までは、人前で怒りの感情を出すことをある程度は我慢できていたのに、最近は、子供を乗せて自転車を漕ぎながら死ね死ね死ねー!!!と叫んでしまったりします。
このままトラックに轢かれて死んでしまおうかと考えることもあります。
頭にくる発言や行動をとられると、赤の他人でもあからさまに睨んだり、反論したり、殺してやりたいと思う瞬間すらあります。
夜寝る前になると、すべての人に嫌われて見捨てられるような感覚に陥ります。
不安が大きくなると、彼氏でもない人に試し行動のような連絡をしてしまったりして、朝になると後悔と恥ずかしさで消えたくなります。
その人との関係は自分から終わらせます。
自分の知らない他人のプライベートな情報を、自分じゃない人が持っているのを知ると、強烈な劣等感と嫉妬を感じ、双方に対して敵対心を抱くようになります。
そんなことをまくしたてるように話しました。
唯一の相談相手
落ち込んだ時、不安な時、怒りが爆発して止まらない時、
自分が破裂しそうになったり消えかかったり、ずっと気持ちが不安定で、いまにもガランガラン崩れるんじゃないかという精神状態に陥る時。
こんな時、心を開いて相談できる人が夫以外にいません。
唯一の相談相手である夫にでさえ、自分の気持ちを話す時はなかなか言葉が出ず、手わるさがおさまらないほど緊張します。
嫌われたり、批判されるのが怖いからです。
夫は、基本的には穏やかで冷静。
そして、自分に自信がある人です。
夫は私のことを変な奴だというけど、一部では尊敬してくれている部分があります。
私のことを好きでいてくれているのもわかります。
私の攻撃的で不安症な性格についても、ある程度は理解してくれています。
些細なことで私を見捨てたり、敵対心を持ったりしない人です。
私は、何度も何度も、夫のこのような性格に助けられてきました。
他の人には嫌われてしまう恐怖で言えない事も、夫だけには言えました。
「境界性人格障害」という診断
夫は私の話を笑いながら聞いていて、俺はそんなことないなーと言っていましたが、
「これピッタリだね。絶対これだよ。」と言って見せられた携帯画面にあったのが、「境界性人格障害」の文字でした。
私も過去、苦しくて、何か解決の糸口を見つけたかった時に、同じ検索結果にたどり着いたことがあり、その特徴や症状すべてに当てはまることに驚いた記憶がありました。
でも、とにかく「精神的な病気」を受け入れられない私は、その時は見て見ぬふりをしました。
だって、自分を「境界性人格障害」に当てはめたところで、私の悩みは解決しないから。
精神の病気は性格の問題であって、知らない他人に判断されるべきものでもないと思います。
私は、自分の性格に人生の大半を翻弄されてきましたが、それでもこの考えは変わりません。
カウンセリング、精神科、心療内科。
その類のものに尋常じゃない嫌悪感を抱いています。
ぼったくり。嘘つき。他人。
そして、病名を免罪符にして、仕事にも行かず、子供を手放し、それらの機関に頼り切って生きていく選択をする人とも決して相容れないと思っています。
極端な言い方のように見えるかもしれませんが、これが本当の気持ちです。
医療機関にかかるメリット
これほどまでに精神医療を嫌っているのに、すがりつくかのように医療機関を頼りたくなる瞬間がたびたび訪れます。
自分を構成しているものがバラバラに崩壊する寸前であると感じる今の状況。
自分でそれを止めることができそうにない状況。
誰かに「壊れるのを止めて!」と頼むこともできません。
家族には負担をかけたくない。
一から私の感情の状況を説明して、私の精神が安定する方法を模索する。
そんな、深海での宝探し並みに無謀な「自分を変える作業」のために、家族に協力を求めることはできません。
そのことが原因で家族関係が不安定になることが恐ろしいのです。
家族は私にとって、唯一の人との繋がりだから。
その時、「他人である」ということは、医療機関にかかる唯一のメリットです。
他人だから無理が言えて、将来の関係維持を考慮する必要がないというメリットです。
でも同時に、メンタル系の医療機関にかかることの難しさもそこだと思います。
信頼できない、本心を話せない、めんどくさがられるかもしれないと発言に気を遣ってしまうデメリットは確実にあります。
医療機関の受診を勧められる
医療機関に自分の人生を預けている人って、すごく素直で、疑いがないと思う。
そう考えると、ボーダーではないんじゃないの?とも思ってしまうのです。
自分でいうのもおかしな話ですが、本当に救うべきは、私のように根っこからひねくれていて、すべてを疑っていて、誰にも助けを求められずにひとりで苦しんでいる人なんじゃないかと思うのです。
仮に私が境界性人格障害だったとしても、病院に行って治るわけがないから自分で治す。
そう思っていました。
このブログもその一環ですが、
気持ちを書き出してみるとか、過去の記憶を書き起こして整理してみるとか、
自分でいろんな改善方法を試してきました。
心理学や心の仕組み、脳科学など、
「どうしたら性格を変えられるのか」をテーマに、たくさん本を読み、調べ、勉強しました。
心療内科の受診を試みた時期もありました。
それでも、何も改善されず、感情の波はコントロール不可能なほど激しさを帯び、生きることを諦めたり復活したりを幾度も繰り返してきました。
夫にそのこと話すと、
「本読んで治るわけないじゃん。脳の機能の問題なら、薬で何かを制御したりできるんだろうから病院行ってきなよ。」
と言われました。
不思議なもので、夫がいうなら、とすんなり病院を探し始める自分がいました。
淡い期待を持って、また医療機関に頼ることになりそうです。
「ボーダー」と呼ばれ、世間的に危険認定されている存在であることを認めるのは嫌です。
絶対に人には言えません。
親にも言えません。
理解してくれる人にしか話しません。
私の場合は夫だけです。
「認めないから治らないんだよ。専門家の言うこと聞いて、ちゃんと治療したら良くなると思うよ。」
そんな夫の言葉に背中を押されました。
不安で恥ずかしいです。
子供の情緒を育ててあげなければいけない時期に、親である自分が、自分の性格を改善しないといけなくなっている状況が、本当に腹立たしく情けないです。
だけど、私はただ幸せになりたくて、
楽しいことを心から楽しめて、好きなことを好きなようにできて、
小さなことは気にせず、人のことも気にせず、おおらかな心でいたいだけなのです。
こうなってほしいと思う子供の将来像は、
自分がこうなりたいという人間像と同じです。
ただ、普通になりたいだけ。
がんばれば、もっと普通に生きられるようになるのかな。