こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

仕事を辞める騒動・その後

先週末は、本当にうつ状態でした。

ぎゃあーっと泣き出し、みんな死ねばいいとあたり散らしたあとは、布団にこもって死にたい死にたいとつぶやいていました。

 

先日の会社辞める騒動↓

koara20150323.hatenadiary.jp

 

夫はその日仕事。

ハードな仕事だと、休憩一時間の過ごし方って、モチベーション維持のためにすごく重要だと思います。

でも、そんな貴重な休憩中に電話で、ダラダラ喋る私の話を、うんうん、と聞いてくれました。些細なことだけど嬉しかったのは、電話の切り際に「また聞かせてー」と言ってくれたこと。

 

こんなつまんない愚痴なのに。

めんどくさがらないとか、理解しようとすることって本当に大切ですよね。

 

夜、寝る前に話した時も、責める感じなく「それで明日仕事どうするの?」と聞いてくれて、私が「もう風俗しかない」「放火したい」とか飛躍した話をしても、批判せずに受け入れてくれました。

 

こあらは創造と破壊を繰り返す人生を送ってきた。今、また創ってきたものを壊そうとしてるけど、今の辛さを我慢して乗り越えた時、それはこあらにとってはじめての成功体験になると思う。

ひとつの成功体験があったら、次同じようなことが出てきた時に乗り越える自信になるよ。たぶん、今みたいに落ちこんだり、全部が嫌になったりすることもなく、乗り切れるようになると思うよ。

 

夫のこの言葉で、はっと気付きました。いままで仕事や人間関係が耐えられないくらい嫌になった時、「こんな嫌な人間ばかりいる会社でキャリアなんてつくれるわけない」「この会社の制度や風土に私は馴染めない」と周囲に絶望して、ストライキに近い行動をしたり、わざと人間関係を壊すための発言・態度を取ったりしてきました。

 

でもそれは「職場や仲良くできない相手に絶望している」と思考をすり替えているだけで、本当は「どんな環境に置かれてもうまく対応できない自分に絶望していた」のです。

完全な責任転嫁です。

 

対症療法ではなく原因療法

人から相談を受けた時って、目の前の現状への対症療法ばかりに目がいきがちです。

 

でも夫は、わたしの「困難乗り越え力」の無さを見抜いて、私の今後に繋がるように、対症療法ではない原因解決のための案を出してくれました。

 

嫌なことがあると逃げ出してしまう癖を治すしかないと思います。

状況に応じて環境を変えることはひとつの方法です。

転職や休職も、必要な場合があります。

だけど、私の場合、転職しても、何度環境を変えても、たぶん同じことを繰り返すと思います。

 

人の目が気になる。

人に嫌われてると思い込む。

そのせいで、人間関係を自ら複雑にしてしまったり、上司が嫌いだから仕事をやりたくないと拒否したり、相談なく自己流で進めてしまったりする。

 

それは周囲とのコミュニケーションがうまく取れないことのカモフラージュなのですが、そう思いたくなくて、周りのせいにしてきました。

それは、私の最大の弱さです。

 

頑張らないで、自然体で、うまくコミュニケーションを取ろうとすることは自分のコミュニケーション能力では難しいということを認めて、コミュニケーションを取ることを努力していこうと決めました。

 

目の前の辛さから逃げることばかりに目がいっていて、人生という長いスパンでの成功体験とか、成長みたいなことって、意外と意識したことがありませんでした。

 

失敗しても良いから、創造し続ける人生にしたいなあ。