わたしがプライドを捨てられない理由
会社に、田中みな実みたいな人がいる。
超美人。
だけどこの前仕事中に、
「こあらさーん、あのね、あとでおしゃべりしたい。(ニコッ)」
って言われて、は?となってしまった。
「あ、じゃあどっかのタイミングで!」
と返事して、そのあとの打ち合わせが終わって仕事がひと段落した時、それを思い出してその人のところに行こうかな、と一瞬思った。
わたしとわたしの葛藤
だけど、考えれば考えるほど、それが嫌になってきた。
その人、本当に美人だから、「おしゃべりしたい」って言えば相手が自分のところに来るものだと思ってる。
それが人生のデフォルト。
加えて、美人だからなんでも許されると思ってる。
いや、きっと許されてきた。
そもそも仕事中に「おしゃべり」って何?
話したいことあるなら自分から来れば?
だけど一方で、わたしが彼女に好かれる、または彼女の信頼を得る、さらにはもっと広い視野で見た時に自分の価値を高めるためには、そんなプライドなんか全部捨てて「なんの話ですかー?聞きたいです!」って行くのが正解なこともわかってる。
ここまで思考が回っているのだから、わたしはこっちの選択肢を取ることだってできる。
だけど、その時のわたしは、自分のひねくれた部分が暴れるのを抑えきれなかった。
彼女の持っている「当たり前」を壊してやりたくなった。
結局その日、わたしはその人のところに行かずに帰った。
負けるが勝ち
旦那にこの話をすると、負けられる人の方が強いよって話をされた。
いろはかるたのことわざに「負けるが勝ち」というものがある。
時と場合によっては、負けておいたほうが、結果として自分にとって有利になり、勝ちにつながることもあるという意味で、
目先の利益を失うことがわかっていても、将来的には自分が勝者となる・利益を得ることが確信できているときに使う。
この時、わたしは、将来的に彼女と良い関係性を築くために、自分のプライドを捨てて、彼女の思うつぼにはまるべきだったと思う。
人の心の内を読む力の弊害
わたしはたぶん人の心の内を読むのが得意な方だ。
この人こう言ってるけど本心こうだろうな、とか、本当の目的はこれなんだろうな、っていうのを反射的に察知する能力が人より高い。
それはある種の能力なのかもしれないけれど、それによって辛い思いをすることも多々あるし、考えなければいけないことは倍増する。
今回も例にもれず、ありとあらゆる考えをめぐらして、たっぷりと時間を使って2つのパターンを吟味したというのに、わたしは選んではいけない方を選んでしまった。
わたしがプライドを捨てられない理由
原因は、わたしのプライドの高さにあるのだけれど、もっと深掘りしていくと、わたしのプライドの高さは、自信のなさなのだ。
負けられる人は、たとえ負けたとしても自分に価値があると思っていられるから負けられる。
だけど、負けられないわたしは、ひとつでも負けたら自分の価値がなくなってしまうとおびえているから負けられない。
自信、愛情のベースがない。
自分の価値を貯められていない。
減る分さえ持っていない。
だから負けるのがとても怖い。
旦那にそこまで分析できてるのにもったいないな、と言われた。
自分でもそう思う。
今のわたしは可愛げがない。
たまに負けられる人は可愛い。
それでいて強い。