両極にいる私がそれぞれ転職活動をした結果
昨日は、「暴走車が私を轢いてくれないかな」なんて思いながら呆然と自転車を漕いでいたのが、今日になったら「10年後には理想の働き方ができるんじゃないか」などとのんきに思っています。
自分の感情の起伏にあらためて驚きますが、
ここまで感情の振れ幅が大きいのは、自分の感情すべてを外部の反応にゆだねているからです。
そう思うと、自我がなく危機的だな、と感じます。
今日、あるベンチャー企業の方お二人とお話する機会をいただきました。
洗練されているわけではないけれど、こざっぱりしていて無駄な飾り気のない街。
毎日来たら飽きるなー。
そんなことを思いながらオフィスのあるビルまでの短い坂を登っていきました。
選考前のカジュアル面談の予定だったのだけど、いざ面談が終わってみたら「この場でオファー出せます」「第一志望結果出たら教えてください。そっちに気持ちが傾いていてもこちらに来てもらえるように頑張ります。」と言われて、冗談なのが本当なのか一瞬分からず固まりました。
というのも、前日の第一志望の一次面接で、見事に玉砕しての今日だったからです。
昨日死ぬほどダメだった私が、翌日には不思議なくらい評価される。
寝て起きたら喋るのがうまくなっていたわけでもなく、
一日経ったら自分の思考が整理されたわけでもありません。
企業規模や知名度によって、面接の難しさ・厳しさの違いはもちろんありますが、
同じ2対1の面接なのに、どうして昨日はうまく喋れなくて、今日はうまくしゃべれるんでしょうか。
昨日は面接直前ギリギリまで準備して臨んだのに、ダラダラと結論の曖昧な返答ばかりしてしまい、
今日は面接練習も何もせず、さっと企業情報を見ただけだったのに、突然聞かれた先方のホームページの改善案まで提案できたのはなぜなのでしょうか。
「編集の仕事でも広報でも人事でもいいんですが、私の発信することでモヤモヤしたものを抱えている人が少し楽になったり、ちょっと考え方を変えてみようと思ってくれたり、頑張ってみようかなと思えたり、そういうきっかけをつくりたいんです。
いまの会社では大企業の経営層に向けて発信を行なっていますが、私はもっと個人の力を上げていくような発信を仕事にしたい。そういう考え方が一致している企業で働きたいです。」
転職理由と希望をこのように話した私を、最初に面談をした転職エージェントの女性は「理念ありきの転職なんて聞いたことないです」とバッサリ切り捨てました。
新卒で就職していないこと、正社員歴が2年しかないこと。一般論でいう相対的な弱点をことさら強調し、「あなたの経歴で、いまの企業規模、いまの環境、いまの年収で働けているのはすごいことです。今後こんな条件のいい会社はないですよ。」と言いました。
「それなのになぜ転職するのか?」を徹底的に聞かれ、仕方なく正直に答えると、気の抜けた感じで「ご家庭の問題は、仕方のないこともありますからね。」と言いました。
そのあと面談をした別の転職エージェントの女性は、とても親身になって話を聞いてくれました。
最初に提示された企業の求人票は、その場で全部応募することを決めたくらい的確に私の希望に合っていました。
リモート勤務・在宅勤務希望という条件を挙げると、まだまだ「そんな会社ないから」と言われることも多い中「リモートの導入具合はどのくらいだったら許容範囲ですか?例えば社内でのテスト導入期間中とかでも大丈夫ですか?」と聞いてくれたり、
「ほぼ未経験ですが、広報や人事も希望できるんでしょうか?」と聞くと「ご紹介できます」と言ってすぐに探してきてくれたり、まだ求人票もない段階の未公開求人も、「たぶん条件に合うと思います」と紹介してくれたり。
「時短でこれだけの業務量をこなして成果が出せているのはすごいですね。」と言ってくれました。
このように、私ないしは私の経歴に対するエージェントの対応も人それぞれです。
私の第一志望の会社を「こあらさんと価値観が合ってるんじゃない?」と勧めてくれる人もいれば、「ここはあんまり良くないと思うよ」という人もいます。
「絶対ベンチャーが向いてる」という人もいれば、「せっかく大企業にいるんだから、次も大企業で探した方がいい」という人もいます。
面接がうまくいく会社では、コミュニケーション能力が評価され、
面接で固まってしまう会社ではコミュニケーションに課題ありと評価されます。
そのたびに、気持ちが上下に揺れ、自分がどっちなのかわからなくなります。
今日得意だったことが明日は苦手になることに悩み、
さっきまで大好きだった会社を、一時間後には憎たらしく思う自分に悩み、
いま評価されているものが本当に自分の強みなのか不安になります。
対峙する人によって大きく左右される自分の性格に、
確固たるものなんてないような気がして、
私を評価してくれている会社を騙しているんじゃないかと申し訳ない気持ちにもなります。
ベンチャー企業の方のほうが話していてウマが合うように感じるのは、
自分の志向や適性がベンチャーに向いているわけではなくて、
大企業や知名度の高い企業と比べて、小さく無名な企業を見下しているからなんじゃないか?
だから緊張もせず普通に話せるんじゃないだろうか?
そう思うと、自分の卑しさを感じて申し訳なさが増します。
人には、できることとできないことがあります。
得意なこと、苦手なことがあります。
うまくいく日といかない日があります。
だけど、私はただひとりなのに、
饒舌に喋ることが得意な私と、どもってしまい喋ることを諦めたくなる私が両方います。
コミュニケーション能力が高い私と、絶望的にコミュニケーション能力が欠如している私がいます。
理論的な私と感情的な私がいます。
自分の中に、両極にいる二人の私がいて、
面接する相手によってどちらかが出てきます。
自己分析をどこまでしたか、企業研究をどこまで深掘りしたか、
そんなことお構いなしに、どちらかの自分が博打のごとく現れるのです。
相手にすべてをゆだねているというのはこういうことです。
私に好意的に向き合ってくれる人にはコミュニケーション能力の高い私が出てきて、
敵意を持っている(わけではないだろうけど、距離や壁を感じる)人には、どもっておどおどして固まる自分が出てくる。
そこに私のコントロールが入り込めないのです。
人によって、真逆の反応をする自分が理解できません。
人によって、真逆の反応を受けることに心がついていきません。
世の中も、他人も、自分も、昨日と今日は違って、
一秒後には正反対の考えを持っていることなんでざらにあるのです。
世の中はどうしてこうも一貫性がないのでしょうか。
ダメなものはダメ、良いものはどこにいっても良い。
○か×か、白か黒か。
そんな単純な、わかりやすい世界はないのでしょうか。