このブログの特徴と目標
ちょこっと文章を書く仕事をしています。
いま書かせてもらっているのは、会社のメルマガや商品紹介みたいな、ほんの数百字の短い文章ばかりで、会社の何かしらをアピールするものに限られます。
こういう仕事をしていると、「できるだけ平易な言葉で、誰にでも理解できるように、わかりやすい文章を書きましょう」というのが文章を書くときの鉄則です。
編集の大先輩が書く文章を読むと、良い意味で淡々としていて、詰め込みすぎでもスカスカでもなく、「自分アピール」がない。
自己主張がなくてわかりやすい。
そんな文章を書けるのが本当に羨ましいです。
わかりやすい文章とは?
自分アピールのない文章は、誰にでもわかりやすいものになります。
きっちりSEOやってマネタイズしているようなブログはどれもそうです。
表現の仕方は人それぞれ個性があるのだけど、自分の感情はなるべく殺して書いている人が多い印象を受けます。
感情というのはどこに行っても出しすぎるとうざくなります。
仕事でもそうだけど「社長がこう言ってるからこうしなきゃいけないよね。」とか「○○部がこうしているからうちは干渉しちゃいけない。」といったように、感情を軸にして業務に取り掛かると、その業務はすぐに混乱します。
感情に振り回されず、やるべきことを淡々と機械的にこなしていくのがいちばんシンプルでわかりやすく、結果を出しやすい。
十分な情報さえ提供できれば、感情なんてないほうが、受ける側からしてもわかりやすいのです。
だから仕事では「自分アピール」を極力控えて、淡々と読める文章を書かなきゃいけません。(できてないけど。)
私のブログの特徴
じゃあこのブログはどうでしょう?
昨日の深夜に号泣しながら書いた記事を朝になって読み返してみると、自分でも何を書いているのか訳が分かりません。
訳が分からないのに、「私はこう思ってる!!」のアピールが強すぎて、一回読み返すだけでものすごく疲れます。
だけど、思うがままにだーっと一気に書いた文章のほうが、自分のその瞬間の正直な気持ちであることも事実。
私は自分を表現するツールとしてこのブログを書いてきました。
このブログからは全く収益も得ておらず、ただ単純に、言葉にして話せない気持ちを書き出すために続けています。
どうしても人を相手にすると言葉に詰まってしまう私にとって、ここに気持ちをぶつけられるのは救いなのです。
そういう意味で、私はこのブログを読ませるためではなく、自分のために、自分を表現する唯一の場所として使っているように思います。
だけど、反省点が二つあって、
一つは感情の出しすぎでうざいこと。
もう一つは、整理して書いてるつもりがまったく整理できていないことです。
わかりやすさを意識せず「自分を見て!!」アピールがすごいから、
「人に伝わらない」という点で、文章としてダメです。
直します・・・
このブログの目標
自分を表現するツールとしてこのブログを書いているよ、と言いましたが、
このブログで達成できたらいいなと思っている目標が実はあります。
いつだったか、人生の目標として「誰かの何かを変えるきっかけを提供したい」と書いたことがありました。
それを思い出すと恥ずかしくてしょうがないんだけど、そんな人になりたい。
これは、仕事をする上でも自分の理念になっています。
私がカウンセリングの記録を詳細につけているのは、自分の気持ちの整理と治療のためです。
だけど、あわよくば、カウンセリングに一歩踏み出せない人、だけど受けたらきっと良くなる可能性がある人に行動してもらえる何かのきっかけになったらいいな、という気持ちがあります。
もともと自分がカウンセリングに対していろいろな疑念を持っていたのは、カウンセリングがどんなことをするのか想像がつかないからでした。
カウンセリングはこういうものだとわかってもらうためには、会話の進む通りに書き留めていくのがいちばんだと思ったから、毎回カウンセリングルームを出た瞬間にダーッと話の構成をメモして、時間があるときは近くのカフェで一気に書き起こします。
これ実は結構大変。
でも、これが誰かのなにかのきっかけになれたらすごく嬉しいな、という気持ちがモチベーションになっています。
とはいえ自分がまだまだこんな状況なのだから、人様に何かご教示しますというのはおこがましい話で、これからも感情をぶつけすぎるうざい記事が多いと思うけどごめんなさい。
わかりにくくて何書いてるかわかんねーよ、と思われるかもしれないけど、自分を表現するツールとしてこのブログがあることが、とても幸せだなとも思うのです。
いつか精神状態が安定して、人に伝わる文章が書けるくらいのスキルを身につけたとき、このブログが「誰かの何かを変えるきっかけ」になれたら嬉しい。
つたない文章ですが今後も読んでいただけたら嬉しいです。
今の気持ち
思っていることを話せと言われて話せるのであればなんの問題もないよね。
理由もわからず悲しくなる時は、自分でも原因がわからないのだし、それを話せと言われても話せない。
でも話さなきゃわからないと言われる。
自分もわからないことをどう話せばいいの。
グループラインについていくのを諦めたら、私たち3人で別のグループ作るね、と宣言されて人が離れていったこと。
仲間はずれなんてしないと思っていた保育園のグループの新年会にうちだけ呼ばれていなかったこと。
一時期は親友だと思っていた人と距離ができてしまったことを勇気出して送ったラインによって再認識したこと。
千葉で虐待を受けて亡くなった子のニュースに憤りを覚えても私には加害者の父親を真っ向から批判する権利がないこと。
職場の人がそのニュースに対して、でも児童相談所だって頑張ってるよね、あのすぐ謝らせて袋叩きにする風潮良くないよねという意見を言っていたこと。
Macを買いたいという話をしたらWindowsを勧められて、私がMac買ったらいけませんかと勝手に邪推して喧嘩を売るような返事をしてしまったこと。
在宅勤務でも私にはやる仕事がないのに、当初自分が担当だと言われた制作を全部別の人が順当に進めているのを自宅でぼーっとメールを見ているだけだったこと。
お風呂に入らなきゃいけないのに入れないこと。
洗濯をしないといけないのに動けないこと。
ぼーっとしていて気付いたら治ったばかりの指の傷をいじってまた血が出るまで傷を広げてしまったこと。
それほど接点の多くない人に、指変になってたよね?と自傷行為に気付かれて勘繰られていたこと。
話したいのに怖くて話せないこと。
自分の話が愚痴と不安しかなくてとてもつまらないこと。
子宮頸がんの経過観察に半年行けていないこと。
幼馴染が弁護士さんと結婚して悠々自適に海外とか行って楽しく過ごしていること。
私が泣いている原因はこれらのどれかまたは複数が引き金となっているのかもしれないけど、もうわからない。
どちらにせよこれらの原因が原因となっている原因は、私の考え方だったり性格のせいだったりすることは明らかで、そうなると悪者は結局自分で、それで自分を責めたら「いつまでも被害者ぶるな」と言われてもう逃げ場がない。
このまま生きていて、たとえば一念発起して人間関係をうまくやろうとなんらかの努力をしたとしても、この私の性格がこのままだったら結局同じことの繰り返しになる。
お酒を飲んだら楽しいときに楽しいと言えるし嫌なものは嫌だと言えるのだからお酒を飲む場を増やしたらいいんじゃないかと思ったけど、お酒がないとうまくできないことなんて本当は全部偽物で、よくよく考えたらお酒の場での態度や言動をどうにかしたほうがいいと前に人から言われたことを思い出したりして、虚構の空間でもうまくやれない自分は結局何をやってもうまくいかないんだと思いなおす。
私は別に被害者ではない。被害者だなんてこれっぽっちも思ってない。
加害者だとは思う。
だけど苦しいのは事実で、家にひとりでいたら何にも手につかなくなるような状態なのは事実で、それでも子供にご飯を作ったことやお風呂に入れたことなんて当たり前のことでそれでも私頑張ってるよね、頑張ったよね、なんて口が裂けても言えない。
けど、自分の本心を出すのが怖くてつい夫相手にそんなことを口走ってしまう自分にさらに自己嫌悪。
自分なんか職場でも保育園、小学校のママコミュニティの中でも、それ以外の人間関係の中でもいつでも除外される対象になる人間なんだ。どうしても。
それは私の性格と見た目が原因なんだ。
それを誰かのせいにしようとしたってできないし、自分を責めたところで気持ちがどんどん落ち込んでできないことが増えていくだけだし、じゃあこの気持ちはどこでどうやって消化すればいいの。
カウンセリングに行ったところで私の嫌な性格のひとつたりとも改善できないのになんで私は毎月高いお金を出して通っているの。
バイトでも副業でもしなきゃいけない、とにかくお金を稼がなきゃいけないのに、本業でもなんにも結果を出せてない私なんかに何ができるの。
私がいることで、誰に、何の価値を提供できるの。
泣いていても仕方ないし、よくわからないごちゃごちゃした何かを相手にひとりで戦っていて負けていてもどうしようもないなと思って、こうやって思っていることを言語化していくけど、最終的にたどり着くのは自分の性格の嫌なところなんだよな。
自分のこの性格を好きになろうなんてまったく思わない。
ありのままの自分を好きになろうなんてどうしても思えない。
今の、このままの自分がひどすぎるから。
私が生きていることで周りの人は嫌な気持ちになって、自分でも自己嫌悪と罪悪感で嫌な気持ちになって、そんなことをするために生きているくらいなら今すぐに死んだほうがましだと本当に思います。
ここまでひどい人間はどう努力したってまともにはなれないのかもしれない。
人に好かれたいなんて夢のまた夢だ。
生きる価値がない人間は本当にいるんだな、と自分を見ていて実感する。
私がこうやってとりとめのない気持ちを吐き出したところで誰も味方になってはくれない。
誰も助けてくれない。
助けてほしいと思うけど、他人に助けられるような問題じゃないこともわかってる。
自分で解決して変えていかなきゃいけない。
それしか方法がないんだけど、そこまで努力する価値のある人間じゃないから頑張れない。
私がいないことで幸せになる人はきっとたくさんいるんだから。
1か月の体調と気持ちの記録
2019年に入ってからの体調と気持ちについての記録です。
11月にエビリファイとリボトリールが切れて、それから薬を飲んでいません。
カウンセリングに病院、ピルを全部を続けるとなると毎月2万円を超えます。
<内訳>
カウンセリング 12,000円/月
心療内科 4,000/月
薬2種類 2,500/月
婦人科 1,000/月
ピル 2,350/月
経済的にこの生活を続けるのは無理で、カウンセリング以外をやめました。
体が重くて動けない感覚は前よりマシになっている気がしますが、出勤の時すごく精神力を使って頑張ってるのも感じます。
私は週1で在宅勤務をしているのですが、在宅勤務の前日と金曜土曜は、お風呂もメイク落としも、歯磨きさえもできずに寝てしまうことが多いです。
ただ怠けてるだけなのかもしれないけど、すぐに眠くなってしまうのと体が思うように動かずサボってしまいます。
在宅勤務の日に自宅で疲れて横になっているとそのまま寝てしまうこともあり、仕事が手につかない状態になることも多いです。
あとは子供の小学校と保育園の行事なんかは完全に後回しになっています。
いまのところ必須のものはなんとかすっぽかさないで行けているけど、任意のものは全部欠席しているし、提出物なども期限内に出すのを忘れてしまうし、存在すら把握していないこともよくあります。
思い出しても手帳に書くのを後回しにして結局忘れてしまったり、書いたとしても見るのを忘れていたり、子供には迷惑をかけているかもしれません。
子供たちの生活ことですが、子供たち二人でお風呂に入れるときは入ってもらい、歯磨きも自分たちでやってもらっています。
だいぶ自分のことを自分でできるようになったので、生活面はとても助かってます。
会社にいるときは、自分の意見や主張を求められることも多いし、レスは早くしなきゃいけないし、完全に結果主義の会社でとにかく何においても成果・結果を出さなきゃいけないという環境なので、どうしても気を抜けない状況ではあります。
ただ、その環境がとても過酷で辛いということではありません。
成果主義を求めて転職したのである意味で満足はしています。
だけど、会社で気を張っている反動か、家にいるときに最低限のことができなくなっています。
それは、自分のキャパシティの割り振りがうまくできないからだと思います。
容姿にも自信がないし、何かとびぬけて自信を持てるものもない私は、とりあえずいまは仕事で結果を出したいという気持ちが強い。
なので、自分のキャパの大部分を仕事に使いすぎてるのかもしれません。
この前のカウンセリングでも話した通り、家庭と育児と仕事とのバランスを取る毎日で、どれも頑張れていない生活にとても不満があります。
ただ実際のところ、仕事にキャパを費やしているといっても、今現在大きな結果を残せているわけでもなく、「こんなに精神を費やしても何にもならない」という感情に押しつぶされそうになっているような感じです。
気持ちの面ですが、「わかっているのに変われない」ことにやきもきする気持ちで苦しいです。
例えば、「他者評価で生きるのをやめる」という目標があったとしても、実際の行動がその気持ちについていきません。
どうしても自分で自分に自信を持つことができなくて、他人と比べて劣っている部分を見つける癖がやめられずにいます。
何もされていないし何も言われていないのに他人に嫌われているような感じがすることも頻繁にあって、考え出すと急に不安に襲われます。
カウンセラーさんにも「考え方の癖を治していく必要がある」「(人の気持ちを勝手に先読みしようとする)自動読み取り装置が勝手に動いてしまうのをやめましょう」と言われているしわかっているけど、どうやってそうできるようになるのかわかりません。
勝手に頭が余計なことを考え出すのをどうやって止めたらよいかわかりません。
考えてしまったものを意識から消すこともできません。
苦しさ生きづらさの原因が何かわからず苦しいのもつらいけど、わかっているのにできないのはもっと苦しい。
そんな感じで毎日を過ごしています。
1月に誕生日を迎え、29歳になりました。
29歳といったら、もう仕事である程度のポジションについて成果を出して私の何倍もの給料をもらえてる人もいます。
そんななかで、自分の成長度の低さが悪い意味で目につきます。
そのことに対してとにかく焦りしかありません。
上に書いたような体調とか気持ちとかに左右されて余計な時間とお金と体力を使いたくないのに、そうしないと普通に生きていくこともままならない自分に対してやり場のない怒りを感じます。
誰か人のせいにできたらどんなに楽だろうと思います。
両親や親戚に対して、どうして私を普通に育ててくれなかったの?とひとりで言葉にしてみたこともありました。
だけど、あとに残るのはとてつもない罪悪感だけでした。
私のいまの状況や生きづらさを誰かのせいにしたところで、スッキリすることも解放されることもなく、私は自分の力で生き方を変えていかないといけないのです。
昨日上司との面談で、コアラさんはなんでそんなに焦りが強いんだろうね。いつも焦ってるって言ってるね。そんなに急ぐことないんじゃない?と言われました。
私を正社員に推薦してくれた上司も、向上心があるのはすごく良いことだけど、自分で思ってるよりちゃんと成長しているし、焦ることないですよ。と言っていました。
直属の上司にも、いまは基礎を固めようね、と何度も言われています。
周りにそう言われると、私の焦りはおかしいのかとも思いますが、何もかもが足りないというのは事実です。
もう少し効率よく実績を積み上げていけたらとも思うのですが、もともと効率の悪い人間なので、何もかもうまくいきません。
体調や考え方を改善しつつ、仕事で結果も出しつつ、個人としての仕事もできるようになりたいというのは無理があるのでしょうか?
欲張りすぎなのでしょうか?
優先順位なんてつけていたら何も達成できないじゃないか、と思うので、目の前にあるすべてに全力投球したいのだけど、思い通りに体が動かないことに困っています。
睡眠時間を減らしたい。
家でも集中力を切らさないような精神力と体力がほしい。
以上、1月の体調記録でした。
孤独でいたいけど孤独になってはいけないという現実
孤独。
急に襲われる孤独感に負けたくない。けど負けてる。
みんな、頑張らなくても友達が飲みに誘ってくれて、
頑張らなくても自然にコミュニティをつくれて、
頑張らなくても誰かと繋がってる感覚が得られているんだろう。
発達障害はいなくなってほしい
ひょんなことから学童の役員をすることになってしまって、役員5人のグループラインがあるのだけど、そのなかで明らかに人を省こうとするタイプのお母さんが一人いる。
私が明らかに省かれてるわけではないと思うんだけど、
私と同じ1年生のお母さんに対してその人がすごく冷たい扱いをしていて、見てて本当にムカつく。
その人だけに敬語とか、その人が会話に入って発言すると「そういうことじゃないです」と急に否定したり。
こういうことはどこに行っても日常的にあるのかもしれない。
だけど、この嫌な感情が一気に私の気持ちのすべてを占めてくる。
しかも話題が話題で、2年生のあるクラスで発達障害と診断されている子が同級生を骨折させるという事件があったらしく、それについて、発達障害だからって許せない。施設に入ったほうがいい。発達障害の子は健常の子と一緒にいるべきではない。そういう話題が展開されていたのだ。
私は自分が発達障害側の人間だったから(いまもその性質がなくなったわけではないし)、自分のことをそう言われているような気持ちになってその話題には何も口出しできなかった。
健常者だけの世界を作りたいという気持ちもわかる。
だけど、発達障害の人間だって別に発達障害になりたくてなったわけじゃない。
生まれてきたらたまたま発達障害だったというだけ。
私だって大人になってはじめて自閉症と診断されて知ったくらいだ。
自分はなんか違う、という感覚も幼い当時は持てるわけないのだから。
上に書いたのは今日あった話だけど、やっぱり親は子供のことになると無駄に熱が入るし、実際小学校に入ると先生との関係性が希薄になるから親同士のコミュニティは情報交換の意味で結構大事になってくる。
だけど私は小学校の父母会、PTAという組織から逃げ出したい。
ちゃんと親の関わる範囲が限定されていて、それ以上は関わらなくていいという決めがあれば楽なんだけど、とにかく臨機応変さと柔軟な考え・行動が求められる。
あとは共感能力。
それらがことごとく欠如している私がこういう組織に属しているのに無理がある。
でも逃げ出したらさらに孤独になる。
逃げたいのに逃げるのが怖い。
これからずっとこの嫌な感情を抱えながら何年もを過ごしていかなきゃいけないと思うと一気に心が重くなる。
在宅勤務の孤独
子どものクラスがインフルエンザで学級閉鎖になった。
仕事は今週いっぱい在宅勤務させてもらうことになった。
だけど、孤独だ。
仲間はずれにされているような感覚。
私は20代だけど周りの20代~30代前半の人たちは結婚してない人、子供がいない人も多い。
ちょっと残業してたら残ってる人で飲みに行ったりできる。
でも私は時短勤務だからその枠には入れなくて、かといってママさん(ママさんがとても多い会社)の枠にも年齢的に入れない。
コンサルをやっている会社だから、お金があってキャリアもあって、その上で結婚出産している人がほとんどだからだ。
みんな40代近いので10歳くらい違う。
事務上がりの私とは生活レベルも全く違う。
持っているものがピッタリ合う人がいないからどこにも所属できないし、そういう所有物を乗り越えて仲良くなる方法が全く分からない。
だから私は職場ではいつも孤独感を感じていて、でもそれを外に出すのも恥ずかしいから強がってしまって、そうやって強がってる自分がさらにみじめになって、どんどん居心地が悪くなってくる。
さらに在宅勤務だ。
知らないうちに誰かと誰かがすごい仲良くなってたらどうしよう。
私がいないことで誰かが居心地の良さを感じていたらどうしよう。
自分のいないことで変わっていく環境が見れないことも不安だし、人の感情を勝手に妄想して勝手に怖くなっている。
私の人間関係の半分は常に満たされない
カウンセラーさんも周りの人も、「あなたは結婚してて子供がいる。あなたは家族に必要とされている。」と言ってくれる。
でも私の中で家族というコミュニティとそれ以外の人間関係はまったく別物で、家族のコミュニティが潤滑に動いていたとしても、それ以外のコミュニティを持っていなければ半分はからっぽで孤独なのだ。
しかも、法律や家族という形で比較的固く結ばれた切れにくい関係じゃないから、さらに不安だ。
流動的なものが苦手だ。
変わっていくもの、動きの速いものに自分ひとり取り残されていく感覚が強い。
キャリアでも子育てでも精神的な部分でも、すべてにおいて、いつも周囲に置いて行かれないようにすることに精神力のほとんどを費やしているような気もする。
自分の個を大切にしたい、個人として自立して自律的に生きていけるようになりたいと思いながらも、周囲の変化や動きが気になって仕方ない。
小学校2年生までは自分の世界に閉じこもって生きることが普通にできていた。
たまに私の世界に浸食してくる同級生がいることは脅威だったし思い出すだけでも恐ろしい出来事だったけど、それによって私は何かを焦ることもなかったし、人間関係について悩んだこともなかった。
それがだんだん成長とともに世の中の常識みたいなものに目を向けるようになってきて、「友達をつくっていつも一緒にいなきゃいけない」「どこかのグループに属さないといけない」「なるべくヒエラルキーの上位にいないといけない」という強迫観念にとらわれるようになった。
だけどみんなが自然にやっているそのような人間関係の構築がどうしても苦手で、見よう見まねでいじめられない程度にポジションを維持するように必死にやっていたけど、いつだってこんなくだらない常識がない世界で生きていきたいと思ってた。
常識に合わせて生きることが本当に大変だった。
だけど、いま普通の企業に入って、一会社員として働いている。
2児の母親として母親同士のコミュニケーションも取らないといけない。
常識に従って、普通のコミュニケーションを取れることなど基礎の基礎、というような環境にいると、どうしてもその流れについていくことを余儀なくされる。
本当は引きこもって誰とも話さず、ずっと好きなことだけに集中して生きていきたい。
私はたとえ家族によって人との繋がり欲求の半分を満たしてもらったとしても、残りの半分を満たすことはできない。
なめらかに人間関係を構築するなんて無理だ。
私は嫌われないようにしないといけないし、見下されてはいけないし、だからといって高飛車に見えてもいけない。
みんなの話題についていかないといけないし、流れを追い続けないといけないし、周りの人たちと同じような道を進んでいないといけない。
ひとり抜け出して誰ともかかわらずに生きることが難しい世界で、個性を活かして自立するなんて、私には到底無理な話のように思える。
価値観を変えるのではなくアップデートする
価値観(sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。
価値観の形成は様々に行われる。親から教えられることもある。書物を読むことで吸収することもある。組織や共同体に属することによって継承されることもある。また、個人的な体験をきっかけにしたり、思索の積み重ねによって、独自に新たな価値観が構築されることもある。
ある人が抱く価値観は、その人の具体的な行動となり、「ライフスタイル」や「生き様」などになって現れることは多い。
私が大切にしている5つの価値観
いまの仕事を続けていこうか悩んでいることもあり、自分の大切にしている価値観は何だろうと考えてみました。
ウィキペディアからの引用にあるように、価値観とは自分の過去の経験と感情の集積です。
そして、他人から見える自分像はその価値観の塊なのではないかと思います。
私が生きる上で大切にしている価値観を5つ挙げてみました。
①多様な考えを受け入れ、認めること
②成長できること
③自己分析と自己理解
④良好な人間関係(家族・友人・同僚)
⑤ものごとの質が良いこと(完璧・正確・丁寧・綺麗)
私が「受容する力」を大切な価値観としていちばんに挙げた理由は、オープンネスがあれば、多様な価値観を自分のものにできるからです。
自分ひとりが持っている価値観なんて、狭くて小さいもの。
それだけを信じて頼って生きていくのは、狭い世界に閉じこもってしまうことと同義です。
価値観の違う人の意見や考えを自分のものにすることができれば、見える世界は格段に広がります。
私の理想として、考え方の違う人とも分かり合いたいという希望があります。
そのためには、相手がどんなに自分と違う考え方や価値観を持っていようと、理解しようと努めなければいけません。
また、他人の価値観を受け入れて理解していくことは、私の欲している「個人の成長」や「良好な人間関係」にもつながります。
マイノリティを排除する世界
小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、どこへいってもいじめられる人や疎外される人を目にしてきたし、自分がその対象となる時期もありました。
そのたびに、たとえ対象が自分でなくても、やり場のない悔しさや悲しさを感じていました。
きれいごとのようだけど、なんでこの人たちは(またはこの人たちと私は)分かり合えないのだろうと思いました。
私は波風立つ周囲の雰囲気や自分の心の中のざわつきを抑えるかのように、「私は優しくおだやかな人間でいたい」と強く思っていました。
学校という狭い世界で感じることの多かった「悔しさ・悲しさ」のほとんどは、人と人との「違い」からくるものだったと思います。
それは、考え方だけでなく、見た目であったりもしました。
普通より太っているからいじめる。
みんながだらしなく制服を着る中で長いスカートの子がばかにされる。
授業中に先生の話に対してうなずく子が真面目ちゃんと笑われる。
私たちはなんで違うものを排除しようとするのだろう。
自分がマイノリティ側に属していることが多かったからかもしれませんが、その疑問はずっと頭の中にとどまり、「価値観の違う他人を受け入れること」に関して神経が過敏になっていたところもありました。
価値観のアップデートとは?
じゃあ、かくいう自分は考え方の違う人間をすべて受け入れられていたかというと、全くそうではありません。
「価値観の違い」に敏感に反応してしまうのはむしろ私のほうで、こんなことを言いつつ他人に対して受容の気持ちを持つ力がとても弱いのです。
自己開示をしない同僚に対してはイライラしてしまうし、気分屋の上司を見ていると逃げ出したくなるし、話がまったくかみ合わない人とは距離を置こうと思ってしまいます。
「価値観の違う人」を理解しようとする前に、「自分の価値観との適合性」をチェックしてふるいにかけるのが癖になっています。
孤独感を感じることが多い学生生活だったこともあり、自分と種類の違う人間を受け入れようと泰然と構えることもできず、必死に「共感」のポイントを探してしまうのです。
そして共感を感じられない人は自分の世界から排除しようとしてきました。
私には、自分と正反対の考え、または明らかに賛成しがたい考えを持つ人の価値観を自分のものにしようと前向きにとらえる精神力が備わっていませんでした。
だけど人は、「異なる価値観」と出会い、受け入れ、取り入れ、自分の価値観を見直すことで一番多くを学ぶと思います。
価値観のアップデートとは、価値観を変えることではありません。
自分が嫌いだ、合わない、賛成できないと感じる人の意見にも耳を傾け、その意見や価値観を排除せずに学び、参考にすること。
これが価値観のアップデートです。
自分の周りに高い壁を作って、合わないと判断した他人を排除していくコミュニケーションの取り方をしてきて、私は自分の世界がどんどん狭まっていくのを感じました。
自分と全く異なる他人の考えや意見を聞いても、心を乱すことなく、または心を乱したとしても、それをしっかり聞いて、理解して、受け入れられるようになることで、人の器は大きくなるのだと思います。
私言いたいことなんでも言います。の裏側
このまえTwitterを見ていて、
「私言いたいことなんでも言います。」ってタイプの人間は、周りがその辛辣すぎる発言にドン引きしてるのにも気付かず、本質ついてやったと勘違いしてる社会性のない人間だ。
みたいなツイートを見て、自分のことを言われているような気持ちになった。
私はどっちかというと、思ったことをオブラートに包まず伝えてしまうほうだ。
人によるけど、関係の深くない相手になればなるほどそう。
それは、自分の特徴を早々に差別化して興味を引きたい。願わくば、そんな私を面白がって仲良くしてほしい。そんな下心から来ている。
たしかに、一言も発しない子供の頃と比べたら劇的な変化だと思う。
だけど、これでもコミュニケーションの取り方にはずっと悩んできたし、今でも悩んでいる。
その結果いまの身を削るスタイルになっている。
そう。
別に、思ったことを何でも発言しているからといって、相手が感じる気持ちのことや自分の立場が揺らぐことをまったく考えずに言ってるわけじゃない。
むしろ、相手がどうとらえたかなんて数日間、いやもしかすると永遠の懸案事項になりえるし、その発言によって自分が嫌われてしまった可能性があるとしたら、それこそ永遠に後悔する事案だ。
私を学校という環境に迎え入れてくれた恩師の話
小学校2年生まで人と喋るということを一切してこなかった(これは誇張ではなく、事実。家族以外とは会話したことがなかった。)人間にとって、自分の感情を人に伝えるということは理解できないくらい難易度の高いことだった。
小学1年、2年の担任の先生たちは、ある意味問題児だった私のことを静かに見守ってくれたけど、私がクラスの一員として存在するための手伝いまではしてくれなかった。
両親も、私のことをただ黙って見守っていた。
私は喋れなかったけど、特別学級に入ることもなく、一般的なクラスで過ごした。
そんな中で、小学校3年生の時の担任の先生は、私がはじめて心を開いた他人だった。
いま思うと、先生は私がクラスになじめるようにものすごく考えてくれていたと思う。
いままで周囲の大人たちが割れ物に触れるかのように私のことを扱ってきたのに対して、先生は他の児童とまったく同じように扱った。
学校という空間の中で私が最初に言葉を発したのは授業中の発言だったと思う。
もちろん私が自ら手を挙げて発言することはなかったが、ごく自然に、私に意見を聞いてくれた。それから、私は授業中に自分で手を挙げることができるようになった。
クラスの友達とのコミュニケーションは相変わらず苦手で、喋っても強がりだったり、意味不明な返事をしてしまうことが多く、仲間はずれにされていたのは辛かった。
体育の授業の前、体育館までの渡り廊下をひとりで歩いてることにも寂しさを感じるようになっていた。
それでも先生は、自宅までサトウキビを持ってきて見せてくれたり、私が大好きで毎日書いていた日記や自由研究についていろいろと興味をもって話しかけてくれたり(それに言葉で答えるという形で、私は喋ることに慣れていった)、私の感性の部分を刺激して感情と言葉を引き出すことを常に考えてくれていた。
北海道に旅行に行ったとき、はじめて他人にお土産を買う経験をした。
先生は、私が小樽で買ったガラスの器を喜んで受け取ってくれた。
そんな恩師は、私が高校生のとき、40代で亡くなった。
4年生まで、人とコミュニケーションを取ることができなかったけど、その頃の私には勉強が味方になってくれていた。
3年生のとき、授業中に手を挙げて発言するという経験を先生がさせてくれたから、授業中だけは積極的でいられた。成績も良いほうだったから、推薦で学級委員に選ばれたり、人前に出る経験もするようになっていた。
5,6年生になると、周りのみんなが子供だけで遊びに行くという経験をし始めた。
でも私は親の許可がもらえなくて、友達とゲームをすることも、カラオケに行くことも、当時流行っていたプリクラを撮ることもできなかった。
でも親に反抗することができなくて、ダメと言われたらダメだと思っていた。
でも友達の誘いを断るのは本当に辛かった。
いま、飲み会や友達からの誘いにこたえられないときに強い罪悪感を感じるのは、この時の経験が確かに根底にあると思う。
私は結局大学生になるまでカラオケに行ったことがなかった。
コミュニケーションを学ぶ場がなかった人間の葛藤
小学校の6年間というのは、人とのかかわり方やコミュニケーションを学んでいく大事な時期だと思う。
でも、私はこのように、コミュニケーションを学ぶ機会が人より格段に少なかった。
だけどそれをみんなに追いつけるように教えてくれる人もいなかったから、そのままの状態で大学まできてしまった。
そして29歳になったいまも悩んでいる。
私はいつも自分の発言の正否を気にしているし、小学校の頃何度もしてしまったように、人を嫌な気持ちにするような発言を、いまだ無意識にしているかもしれない。
だんだんと「自己開示する」というコミュニケーション方法を習得したのだけど、「自己開示」と「自己犠牲」の違いが理解できないでいた。
自己開示しているつもりが、自分の印象を悪くするような発言をしていて、自己犠牲を払うことになっていたり、人との距離を縮めたいあまり踏み込み過ぎて失礼な発言をしてしまい、これもまた自分から人を遠ざける意味で自己を犠牲にしてしまっていたり、なかなか人との距離感がつかめずにいる。
だけどそれでも、人と距離を縮めて仲良くなるための一手段として、「私言いたいことなんでも言います。」というキャラをつくってきたわけだ。
もちろんいまの状態が完成形だとは決して思っていないし、それが唯一の正解だとも思ってない。
だけど、冒頭に挙げたつぶやきのように、ある側面だけを見て真っ向否定することかな?
自分の自慢をするつもりは毛頭ないけど、「思ったことをなんでも言う」というスタイルは、私が苦悩して手に入れたひとつのコミュニケーション手段だ。だから、そう簡単にくくられて非難されることはどうしても悲しい。
発達障害についてもそうだけど、人間のタイプやコミュニケーションの取り方について一方的に非難するのは偏見だ。
私だけが苦労しているわけではないけど、みんなが普通にできるコミュニケーションをできずに、大人になった人間は、本人も大変なんだ。
もちろんそれに気付かず、改善する気もなく、周囲に迷惑をかけまくってるとしたら非難されてもしかたないかもしれない。
でも、持っているものが少なかったり、必要なものが欠落していたりして、うまくできない中努力している人は、責めるべき対象ではないと思う。
あなたが見ている「私言いたいことなんでも言います。」という人間の中には、こんなバックグラウンドを持った人間もいるよっていうことを書きたかったのと、私はこれから自分のコミュニケーション方法をアップデートしていくんだという意思を込めて書きました。
カウンセリング9回目(2019/1/15)
カウンセリングを再開しました。
前回が8月23日だったので、約5か月ぶりです。
C:お久しぶりですけどどうですか?
今日はどう進めていきましょうかね。
私:家庭のことで大きいことがあったのでそれをお話したいのと、慢性的に不安に感じてることが2つあるので、それについてお話したいです。
C:わかりました。
私:私の浮気のことが旦那にばれて、喧嘩になりました。
C:いつのことですか?
私:12月の初めだったと思います。
C:ばれてしまったのはどうして?
私:Twitterとかブログを通知から特定されてしまって、過去の出来事を全部知られてしまってそれでです。
話をしていくうちに旦那も浮気があったということで、数日間喧嘩が続きました。
C:数日間ってことは、お子さんのいる前で喧嘩したの?
私:全部を子供のいる前で話したわけではないんですけど、喧嘩してるところは見てます。
C:その喧嘩は話し合いっていう形で?言い合い?
私:いえ、、、殴り合いみたいな喧嘩になりました。
C:どっちから?
私:携帯を取られて、慰謝料とか裁判とかの話をされたので、返してって言って、それで。
それで、浮気はお互いあったことだからそれについては相殺することになって、いまは落ち着いてます。
C:喧嘩の中でいろんな言葉が飛び交ったと思うけど、どうですか?
私:そうですね・・・
C:それがあったときにあなたはどう思ったの?
私:最初は、いまは思ってないんですけど、これをきっかけに自由になれるならそれでもいいと思っていました。
その時は、家族とか子どもとかと離れてひとりになりたいな、と。
C:家族と離れたいと思ったのはどうして?
私:時間の自由がなかったのもあるけど、私はある家族の中の一人としてだけ存在していて、私個人として生きることも単体として見てもらうこともないな、と思って。
結婚が早かったので、一人で生きてきたことがなくて、好きなだけ働いたり、好きなだけお金使ったりしたいな、と思いました。
子供がいるとどこかが崩れるとだめだから、ずっとバランスを取りながら生きることに注力していた気がします。
何かに全力投球できる環境になくて、全部中途半端に感じて、そう思うと個人としての価値がないような気がして。
C:結婚すると、子供がいると、自分の価値が下がるという考えはいつから持っているんですか?
私:結婚する前は、逆のことを思っていました。結婚して子供ができたら自分の価値が上がるって。
でも最近、私単体では価値ないなと思うようになって。
C:結婚してないときは結婚して子供を持つことで価値が上がる、結婚したらひとりになった方が価値がある。そう思ってしまうのね。
それは、諸条件ですよね。
どちらにしても、自分がひとりでちゃんと存在していると思えれば、自分にOK出せると思うんだけど。
何かの条件があるから価値が上がる下がるという考え方が、あなたが苦しくなってしまう理由かな。
全力投球で、自分のためだけに時間やお金を使えていないっていう不満がある?
私:はい。
C:今の考えはどうですか?
私:なんで浮気とか異性関係をやめられなかったのかなと考えたときに、価値確認がしたかったっていうのがあって、それも旦那に話したんですけど、とりあえず、お金を出すからカウンセリングに行って良くなってほしい、自分はあなたの味方でいる、というようなことを言ってくれて、異性関係がなんとなくいらないかな、と思うようになりました。
C:味方でいるって言ってくれたのね。それであなたはどう答えました?
私:どう答えたかは思い出せないんですけど、気持ちだけでいうと安心しました。あと、早く普通に生活できるようになりたいなーと。
C:それで安心してカウンセリングを再開しようと思われた?
私:そうですね。あと、心療内科の一つの診断だけでいうとうつっていうのが出ていて、それも旦那はブログの記事を見て知ったみたいなんですけど、旦那のお母さんがうつで苦しんでた時期があったそうで、それもあって、病気のことにも理解を示してくれたような気がしました。
C:うつの話は旦那さんにしてなかったの?
私:はい。
C:それはどうして?
私:そういうふりをしてると思われる、見下される、信じてもらえない、お金の無駄遣いだと思われる、全面的に非難される、そう思ったからです。
C:全面的に否定されると思ったのね。
旦那さんはカウンセリングにも否定的だったのよね。
こういう形で、うつのこと、カウンセリングのことが知られることになってしまったけど、それについてはどう思いますか?
私:良かったと思います。
このことがあった後、自然と異性関係も断つことができて、興味もなくなって良かったな、と思います。
C:異性関係に興味がなくなった。それはあなたの中でどういうことが起こったからだと思いますか?
私:あんまり実感はないけど、旦那との関係がしっかりしたからかなと思います。
C:しっかりしたっていうのはどういうことですか?
私:いままで旦那と繋がりが強い部分は一部しかなかったと思うんです。
私は自分に軸がなくて確固たる考えみたいなものもないから、それを持ってる旦那を尊敬してたし好きだったし、その部分だけに強い信頼があった感じです。でも、その他の部分には興味がなくて。目を背けて見て見ぬ振りをしてきました。たぶんお互いにです。
でも、そこをちゃんと見るようになりました。
それで、関われる部分が増えたという意味で、「関係がしっかりした」と言いました。
C:しっかり答えられますね。あなた。すごいね。そうだと思いますよ。いままで夫婦関係の話を聞いてきて、仲良さそうとは思ってました。だけど、なんだか実体がないというか、つかみどころのない関係だとも感じていたのだけど、何かそこに希薄なものがあったのね。
でもちゃんと言葉にできてますね。
お互い見て見ぬ振りをしてきたところに向き合おうとしている、スタートラインに立った感じかな。
あとは、前回まで、あなたには「共感」が必要だ、あなたが求めているものは「共感」だというお話をしてきたと思いますが、今回の喧嘩を経て、まあお互いコミュニケーションに慣れてないから話し合いじゃなく激しい喧嘩になってしまったけど、結果としては、じゃあどうしたらいい?というところまで詰めて考えられているじゃないですか。
うつっていうことも知られてしまったけど、それについても旦那さんは理解する力があったから、そういう意味で旦那さんからの共感が得られたと感じられたんじゃないかしら?
それが、いまあなたが他の異性に興味を持たなくても大丈夫な理由じゃないかな。
あなたはどうしても自動読み取り装置があって、こう言ったらこう思われると先取りして言いたいことを引っ込めてしまう。
ご主人はあなたのこと好きなんだと思うけど、あなたのほうがまだ色々な意味で準備ができてないかな。
相手の気持ちを先取りして言わずにいると、今回みたいに「バレた」ってなってしまうと思うんだけど、自分の意思で言えたほうがいいよね?
ご主人はもうちょっと心を開いてもいい相手な気がしますよ。
私:まだ積極的に言えることと言えないことがあるんですけど、いままで言えてなかった仕事の話、いままでも状況説明みたいなことはできてたんですけど、特にその時の感情みたいな部分、誰が嫌だこれが嫌だムカつくみたいな部分とか、仕事の話じゃなくても、生活してて起こるほんとに些細な小さい気持ちの揺れとか、言えるようになりました。
内容っていうより、時間もあります。
こんな話で相手の時間を奪うのかと思うと話せないなってことがよくありました。でも、毎日何かしら思ったこととかを話すようになりました。
C:そういうのを話せるようになってどうですか?気持ち的に。
私:いままではモヤモヤしたものが絡まっていて漠然とした不安を抱えてるような感じだったんですけど、毎日少しずつ不満とか口とかを言葉にして話してるうちに、自分の悩みのタネはこれだけだったんだな、とか、この2つが引っかかってるんだな、とか、問題がクリアーになった感じがします。
C:大きな変化じゃない!だいぶ楽でしょ?
ご主人も自分の考え方が明確にある人だから、何か反応が返ってくるでしょ?
私:そうですね。
C:相手があなたが心を許せる相手で、毎日そうやって話をして気持ちを言葉にしていくと、悩みの範囲が狭まっていって頭に余裕ができるんです。そういうことが日常的にできるようになったのは大きいことですよ。
感情を言うっていうことの大切さね。
自分の思ったことをそのまま率直に言ってもご主人に嫌われないっていう成功体験にもなってるんじゃない?
私:そうですね。聞いてくれるんだ、と思いました。
C:遠慮があって言えなかったのね。でも、そういうことを話さなきゃ家族の意味がない。
わざわざ時間を作ってもらわなくても、日常的に、毎日のことを会話する時間が実家では体験なかった?
私:ないです。
C:共感の場が、ご飯の時やお風呂の時に日常的にあって、話したことに対してちゃんと返事をもらえることで、また明日頑張ろうって思える。その積み重ねが生きるってことです。
あなたがなかなかその聞いてもらって共感してもらうっていう積み重ねを経験できない環境で育ってきたとしたら、家族を作るっていうことがどういうことかわからなかったんだと思いますよ。
あと10分ですね。この話について他に何かありますか?
私:旦那から、再構築の条件として、GPSと飲み会の写真を撮ってくるというルールを出されてます。
それについてご意見聞きたいです。
C:旦那さんが出した条件なのね。あなたはそのルールについてどう思ってる?
ルールがあることでお互いの安心につながればOK。でも、束縛につながるものでもあるから、その感覚が強くなってきた場合、また浮気とか、逃げ道を考えるようになってしまう。
そう思ったらまた相談する。そしてお互い納得できてかつ守れるルールに変えていく。
なかなか難しいでしょ。
だけどカウンセリングでもそうなの。
カウンセラーのいうことに対して違うと思ったらそれを伝えないと信頼関係が築けない。カウンセラーが言うことに対して、違うと思うから「違う」とはっきり言っても、それでもこの人だったらちゃんと前向きな話し合いにつながるんだと思えないと、話せなくなってしまいますね。
自分がどう感じたかを思ったまま言い合える関係であればいいのよ。
私:一回このルールで失敗してて、飲みに行くって言ったら怒られそうだと思ったから言えなくて、写真を撮るっていうことについても、撮れない状況ってどうしてもあって。
C:いまうかがって思った事を言っていい?
そう思ってる時点であなたは嫌なんだと思うよ。
私:はい、嫌です。でもその理由は明らかで、相手に嫌がられるのが嫌なんです。特に今回の件があったと理由を話せない人とか、写真が嫌いな人とか、撮りたくない、やめてって言われたら嫌だから。
C:そうですね。あなた側の抵抗を感じるから、もう少し話し合ったほうがいいと思うかな。
こんな風に思っているっていうことをもっとよく話して、守れるルールにしないとまた問題が起こると思います。
このルールの正解を今お伝えできなくて申し訳ないけど、話し合うってことが大事です。
行政のカウンセリングは行けてる?子供の話がメインでしたよね。
私:行けてないです。どうしても子供の話になると、旦那さんは手伝ってくれるの?とか、旦那さんはなんとかみたいな話になることが多くて、そうなるとどうしても話す気がなくなってしまって。
C:それはどうしてだろう。その気持ちについても今後話していきたいですね。あたなも少し考えてみてくれる?
ひとりで生きることと人と一緒に生きることは共存する
わたしはいままで、ひとりで強く生きられるようになりたいと願ってきました。
自分の持ち物を増やして足場を強固にして拡大させていけば、その願いは達成されるものと思っていましたし、そうすることで幸せになれると信じて疑いませんでした。
他人を利用して幸せになる
わたしにとって、家族や友達といった他人を自分の人生に組み込む目的は、慢性的な寂しさを埋めるため、自分の価値を確かめるためでした。
でも、何をしたって寂しさが紛れることも揺るがない価値を感じることもなく、人間関係が組み立てては壊れる建造物のように思えて、先の見えない途方もない道を歩いているような気持ちになることも多くありました。
また、ひとりで生きていくという固い意思を持つ一方で、居場所が欲しい、真の友達が欲しいと望みあがくことは、自分の意思と相反するもののように思われてそれらの願望の置き場が見つからず、その狭間でいつも葛藤していました。
わたしは、家庭を作ること、夫婦関係を維持すること、子供を育てること、友情を築くことを、失ったパズルのピースをひとつひとつ埋めていく作業の一環のように捉えていて、人生を計画書に則って粛々と進めていくことこそ正だと思っていました。
つまり、ひとりで生きていくために他人を利用する。
それがわたしにとってのデフォルトになりつつあったのかもしれません。
コミュニティから外れて生きることはできない
自分の治癒の過程で、参加者ではなく患者となると、コミュニティから切り離され、内部の自己感覚から疎外されてしまう。
私たちの文化は、個性に注目するように教えるが、より深い次元では、私たちは個別の生物として存在することはほとんどない。私たちの脳は、私たちが集団の成員として機能するのを助けるようにできている。
ー私たちのエネルギーのほとんどは、他者と結びつくことに捧げられている。
はっと気づかされました。
人間としての自律を取り戻し苦しみから解放されるためには自分ひとりを内省して自分の内部だけを変えようとしていては意味がないこと。
わたしが感じている「生きづらさ」は、人間という集団の一員として、わたしが正常に機能することを妨げている自分の考え方や態度を変えていくことで解消されうること。
つまり、「他人と一緒に生きる」ために自分の思考をどう修正すればよいのかという視点で治療を進めることが、とても重要なんだということ。
人間は本来社会的な生き物です。
でも、精神疾患の治療過程は、自分の内に向かって内省を繰り返すものが多く、薬は症状を抑え込む補助的なもの。
「社会の中の一員としての治療」に、本人が目を向ける機会は少ないように思います。
オランダの精神科医でトラウマ研究の第一人者ヴァン・デア・コーク氏の著書を読んで、治療過程にはコミュニティが重要なのだと学びました。
それは人間の生物学的本質からくるものです。
【人間性の典型的な4つの特徴】
- 私たちは互いをはなはだしく害する可能性があるが、それを埋め合わせるに足るほどの、互いを癒す能力も持っている。健康を回復するためには、人間関係やコミュニティを回復することが重要だ。
- 言語は、自分の体験を伝えたり、知っていることを定義するのを助けたり、共通の意義を見つけたりすることで、私たちが自分自身を変える力を与えてくれる。
- 私たちには、呼吸したり、動いたり、触れたりといった基本的活動を通して、体と脳の、いわゆる不随意機能(自分の意思ではコントロールできない機能)の一部を含む、自分自身の生理的作用を調節する能力がある。
- 私たちは社会的状況を変え、大人も子供も安全に感じられ、成功できる環境を生み出すことができる。
(身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法)
人間関係は、生きることは、もっと血の通ったものでした。
自分というものの存在感覚が薄いわたしは、自分の人生の舵取りは自分でしなければいけないという使命を全うすることに意識を集中させようとしていることが多く、他人を自分の人生の深い部分に迎え入れることは、わたしが選択権を持って取捨選択しているというどこか上から目線の感覚でいました。
でも、本来いまある人間関係、またこれまでまるでもののように拾ったり捨てたりしてきた数々の人間関係はわたしが社会やコミュニティの一員だと感じ安心を得るためにどれも大切に向き合うべきもので、うまく扱えなくなったら捨てるという私のやり方は完全に間違いであったと気付きました。
わたしは、プログラムを組んで機械的に日常の課題をこなすことが生きることだと思い込んでいて、自分の感情とか人の感情をないがしろにしてきました。
人を利用してきました。
プログラム遂行という意味合いで人生を進んでいると、予定調和が崩れたり、他人が思い通りの言動を取ってくれないことに対する怒り・悲しみは、それがどんなに小さな出来事であっても、計画どおりに組み立ててきた大事なものを一瞬で破壊されたような衝撃的な出来事になり得ます。
さらに、人生をプログラムとして生きているくせに感覚的な人間なので、人がつながったり離れたりすることにはとても敏感で、人間関係における浮き沈みに対しては感情の面でも大きく揺さぶられ、小さな出来事をトラウマとして記録して毎日それらを積み重ねながら生きてきたような気がします。
社会の一員としての感覚が希薄。
それが自分の本当の課題であったように思います。
探し物は自分の中にある
中身のない自分が、まだ持っていないものを探し回って獲得していくことこそがカウンセリングの目的であって、その第一段階となる、過去を掘り起こし自分の感情に気付くことは、探すべきものが何かを見つけていく作業。
そう思っていました。
いまの自分は無価値で、空っぽ。
自分を構成するものは、世界一周しても見つけきれないんじゃないかと途方に暮れていました。
だけど、私という人間がここに存在して28年間生きてきた中で、自分の得意なことや好きなもの、興味があること、良いところ、大事にしてるものや考え、やりたいこと、魅力、価値、いまはまだ見つけられていないけど、それらはもうすでに持っているのかもしれません。
そう思うと、治療に先が見える気がしました。
社会の中で生きていく
ひとりで生きることと、周りの人たちと一緒に生きることは、どちらかを選ぶというものではなく、共存するものです。
境界性人格障害についての書籍を読むと、「自他の境界線」というような言い回しがよく出てきます。
アドラー心理学でも「課題の分離」という考え方があります。
私はそれらのことから、自己と他者をきっぱり区別すること、つまり他人のことには介入せず、介入させず、自分の人生だけに集中して生きるという考え方が治癒につながるのだと考えていました。
でもその理解は間違えで、他人と関わらずに生きていくことや何のコミュニティにも所属しないこと、孤立することは治療の妨げになるのでした。
自分の求めていた「人との繋がり」の本当の意味は、互いに愛情を贈与し合うことだということを理解しました。
ただ根拠もなく前向きになろうとするだけでは変えられないことがあります。
人間には脳があり、身体があり、心があります。
その仕組みを学ぶことで気付くことがあります。
研究者でもない専門家でもない自分がそれらを学ぼうとすることは時間と精神力を要しますが、必要不可欠なことです。
知識を得ることと同時に自分を内省すること、それに加えて周囲に目を向けて自分から愛情を持つこと。
それが必要なのだと気付きました。
わたしが自閉症という特性を持って生まれたことも、結婚して子供二人を育てる人生を選択したことも、それらを乗り越える力があるからなのかもしれません。
本を読む、好奇心を持つ、自由に生きる。
いままでわたしの本当の姿と向き合って直視してくれなかった両親に対する恨みにとらわれてきたのですが、両親がわたしに対して深い愛情を持っていてくれたことは事実で、彼らも愛情の伝え方に苦悩してきたのかもしれません。
ただ、他の家族や親とは違う方法で、両親は私のそれらの能力を伸ばしてくれました。
そんな両親へ感謝することもできるようになりました。
それと同時に、自分の感じてきたことを教訓に、自分の子供達と真摯に向き合って彼女たちに愛情を注ぎ続けること、主体性や意思を尊重すること、何よりも、伸び伸びと感情を抑え込む必要のない家庭環境をつくってあげること。
それが私のやるべきことでそのためにもまず自分の感情の表出方法を学んでいくことが必要なんだと決意をした2019年の始まりでした。
2018年は、いまのカウンセラーさんと出会って、夫婦関係を壊して構築し直すきっかけがありました。
カウンセラーさんは私を褒めてくれます。存在価値と能力を認めてくれます。そして、間違いを間違いだと指摘してくれます。叱ってくれます。
カウンセリングに通い始めた当初は、それらを単なる好き嫌いだ、相手にとっても仕事なんだと切り捨ててしまいたくなることもありました。
指摘され叱られることに慣れていなかったわたしは受け入れることができなくて、カウンセラーを敵だと認定して逃げようとしてきました。
夫婦関係もそうで、結婚生活と家庭はメンタルの安定基盤だとしか思っておらず、その上で刹那的だけども温かい偽物の愛情を受けながらひとりで生きることがわたしの人生のベストだと思ってきました。
でも、カウンセラーさんも夫も、わたしに真の愛情を持って接してくれています。
誰もわたしに愛情を注いでくれないと孤独を感じていたけど、もしかしたら親や家族や友人はすでに愛情を差し伸べてくれていて、ただわたしがその愛情の受け取り方を知らなかった、間違えていたということがあります。
こうやって文章にすると、ただ愛情の重要性と人間関係の真意・価値を伝えたいだけなのに、どうしても固く分析的になってしまって、そういう部分がわたしのコミュニケーションの苦手さにつながっているのだなと反省するんですけど、この緊張感も緩和していけたらいいなと思っています。
感情的で攻撃的な記事ばかり書いてしまったブログで、見にきてくださる方を嫌な気持ちにさせてしまうことも多々あったと思います。
それでも懲りずに読み続けてくださった皆様には感謝でいっぱいです。
2019年もどうぞよろしくお願いいたします。
なぜ私には、女の友達がいないのか
これは私にとって永遠の悩み。
中学は、共学かつ多分にもれず異性を意識しすぎる年代であったので、人並みに女の子と一緒にいた。
男の子と一緒にいるだけで周りから「そういう目」で見られるのだったし、そんなことでいじめられたりするのも面倒だった。
だから普通に女友達と一緒にいたわけだけど、その中でも長く続く友達とか、互いの家に泊まりに行ってまで一緒にいたい友達はいなかったし、よく考えたらプリクラを撮りにいくような友達すらいなかった。
高校は女子校だったのだけど、女子校は女子校で異性に向けるのとは違う「自我」が充満している感じがあった。しかも面倒なことに高校生の女子の自我はなんとなく湿っぽい絡まった髪の毛みたいな感じがした。
私はどちらかというとそういう人間の内面から滲み出るものの類に弱くて、その湿った自我の集まりに耐えられなくなって、学校に行けなくなった。
自我は自我でも、男性のそれはもっと簡潔で清潔だった。
だから、男友達と遊ぶのはとても楽だった。
その頃からだんだん人の目線が気にならなくなり(っていうのもよく考えると、女子校の生徒なのに男友達と遊んでる自分、みたいなそれこそ自我がなせる技だったのかもしれないけど、ここでは考えるのをやめておく。)、とりあえず、私が本音で話せるのは女性じゃなくて男性なのだな、と気付いたのが高校2年の時だった。
「甘え」が許されるか許されないか
その頃から今まで、私が仲良くなるのは大抵男の人だったのだけど、その理由を考えてみるとそれはたぶん、恋愛感情とは違う「甘え」が許されたからなのかな、と思う。
私以外の女性がどうであるかは知らないけれど、女の人ってどこか相手のことを値踏みし続けているようなところがあって、常に緊張して対峙していないといけない。
なぜ緊張が解けないかというと、私の中の「弱い部分」「人とは違う部分」を女性に見せてはいけない(と思っている)からだ。
女の人にそういう部分を見せると、軽蔑されるか距離を置かれるかする。
彼女たちは、私のメンタルが強弱のバーのどこらへんで止まるのかを判断したいのだし、彼女たちの中にあるどこかのカテゴリに私を分類したいのだ。
私の中の「弱い部分」「人とは違う部分」が、本当に軽蔑されるべきものなのかそうでないかはここでは関係ない。
とにかく女性は分類がしたいのだと思う。
自分の中のカテゴリに分けて、自分と合う合わないを判断するのだ。
だから私は同性には弱みを晒せない。
※でも事実、私が見せる弱みに対して、女性から欲しい答えをもらえたことは一度もなかったし、頼んでもいない説教とか同情とか、そんなのいらなかった。
女性から新しい発見とか価値観とかも感じられることがほとんどなかったように思う。
感情のぶつかりあいが嫌
私は非常にめんどくさくて、自分は思い切り感情で動く生き物のくせして、相手には徹底的にロジックを求めるところがある。
だから、私の感情の動向に対して感情をぶつけてこられると、うわ、と思ってしまうのだ。
女の人は、私が油断して自分の悩みを話すと、すぐに自分の似たような話にこじつけて自分語りをしてくるし、大丈夫?と無駄に心配してくる。
なんか、そういうのが嫌だ。
カウンセリングもそうだけど、私は、私の話したことに対してちゃんと分析して返してくれる人が好きだ。
分析とまで言わなくても、とりあえず同情と共感はいらないから、意見と評価が聞きたい。
言いたいことを言える関係
まあ男性の中にも、感情に任せて動くような女性的な人はいて、その人に対してはもちろん、うわ、と思うんだけど、男性相手だとその、うわ、を顔に出すことができたし、あんたの話じゃなくてこっちの話だよ、と話をこっちに戻すことができた。
それはなぜかというと、そんなことで相手が怒ったり傷ついたりしないと信じているからだ。相手が男だったら。
だけど女の人にはそれが怖くてできなかった。いつだって私のことを値踏みしている女性にそんなこと言ったらどれだけ自分の価値を下げられるのだろうと思うとできなかった。
また、相手を傷つける可能性も孕んでいると思うと、それはさらに自己開示を踏みとどまるきっかけになった。
素でいられるかいられないか
なんでだろう。
男性は、例えば私がめんどくさいを態度に出したところで私のことを悪く言ったりしないし、むしろ、あ、ごめん、とか言ってもらえることすらある。
つまりは、甘えられた。
自分が本当に秘めている話が話せるのに加えて、会話の流れとか内容とかを自分の裁量で決められることが多かった。
だから自然と、本音を話せる友達になるのは男性が多かった。
そう思うと、私は自分の思い通りに動くような相手と仲良くなりたいと思っているんだろうか?
相手をコントロールする快感
他人をコントロールすることは悪だとなんとなくはわかっているのだけど、やっぱり人をコントロールできるという全能感みたいなものは快感と同義であった。
というのも、私は幼い頃から親や親戚、身近にいる大人たちを思い通りに動かすことができなかったからだ。
それは、私に子供らしい可愛さがなかったことに端を発するのだと思うけど、そんな中でもやっぱり曲がりなりにも大人からの愛情は欲していて、自分なりに注目されたくてやっていた行動もあった。
だけどそれが功を奏したことは一度もなく、「愛情をもらう」ことに関しての成功体験を経験することなく大人になってしまった。
女の子の友達に愛情を求めても返してもらえることはなくて、そこを埋めてくれるのが男友達だった。
私のそういった影の部分を感じ取って足りない部分に入り込んでくれるのはどうしても異性になってしまった。
女友達は楽しい部分だけを共有する関係であって、男友達は私の影の部分を面白がってくれた。
それが男女の性的な関係を求めてのものだったかどうかはわからないけど、幼い頃に埋められなかった喪失感を埋めてもらえた経験は、幼い頃にできなかった愛情に関する成功体験に近いものであった。
無償の愛をくれるのは誰?
どんなテーマであっても、結局たどり着くのは「愛情が欲しい」という結論だ。
幼い頃に、親や親戚、幼稚園の先生、近所の大人たちから冷たい目で見られていた事実は、私の中にある種のトラウマとして残っていて、その空白感を埋めるためだけに28年間生きてきたような気がする。
私の過去のあらゆる行動は、愛情や注目を得たいがためのものであったと思うし、それ(に似たものを)を手っ取り早くもらえる男友達との関係は私に安心をくれた。
私が友達に求めるものは愛情だった。一般的に同性の友人に求めるのは共感であったり仲間意識であったりするのだと思うけど、そんなものははなから求めていなかった。
私は友達に愛情を求めた。
だから私には女の友達ができなくて、男友達ばかりができたのだと思う。
そこが性的関係に発展してしまうとぷつんと切れてしまうので、とにかく友人関係が不安定だったのだけど、男の人は彼氏でなくても私を面白がってくれたり可愛がったりしてくれた。刹那的でも愛情をもらえる瞬間があった。
だから男友達とは繋がっていられた。
友達に求めるものを変える
こうやって考えてみると、私が友達に求めるものが間違っているのかもしれない。
そこが合わないから友達ができないのかもしれない。
本来愛情は家族や親からもらうものであって友達に求めるものじゃない。
じゃあ友達って何?
友達に求めていいものってなんなんだろう。
カウンセリングのテーマが増えていく。
あなたは必要じゃない
私は誰かから、必要じゃない、あなたじゃない、あなたじゃなくてもいいという意味合いのことを言われたときにいちばん落ちます。
自分でも信じられないくらい落ちます。
仕事でも私生活でも、私が求めてるのはあなたじゃなきゃだめだという他人からの宣言です。
私が仕事に自信を見出せない理由は、今自分が受け持っている業務が他の人でも成り立つ仕事だからだし、私生活で私がいつも不安や虚無感に覆われてる理由は、私なんかいなくても誰の世界になんの影響も及ぼさないからです。
それなら仕事で必要とされるために新しいスキルを学べばいい、とか、この人がいると楽しくなるという立ち位置を確立するために自分の持ちものに厚みを増す作業に力を入れたらいいのだけど、どうしてもそれができない。
毎日の最低限の家事育児すらこなせません。
これをうつっていうのかなーとぼんやり思ったりはするけど、ただの甘えや惰性と区別がつかなくて、ずるい人間になったような恥ずかしさを感じます。
ご飯は食べているものの、美味しいとかまずいとかの感覚も鈍く、空腹感と満腹感を感じる時間がつらいからその中間を保とうとする単純作業で、食事に伴う楽しみは皆無です。
子供の頃、私は両親に愛されていたし、勉強もできて運動もできて、それなのに何が足りなかったんだろう。
昔から、運動会の応援合戦を客観的に見てしまう子供でした。あの熱気の中に入ることができたら、どれだけ人生が賑やかで華やかだっただろうと思います。
私の世界はいつもモノクロ(たまに+三原色。ハチマキの赤とか。)でできていて、どこか分析的な世界の捉え方をしていました。
それが自閉症の発達特性だったとして、今の私は過去の私を変えることができないし、その白黒の世界は今後色付くこともありません。
その性格は今も大きく変わることはありません。
私は「楽しい」を純粋に「楽しい」と受け取ることが苦手だし、人間っていうものがやっぱり怖くて、意味不明で理解不能な喋ったり動いたりする原子の塊であるとしか捉えられないことがよくあります。
そんなものと意思疎通を図るとか、コミュニケーションを取るとか、不可能だと思います。
と思えば、高度に脳が発達した生き物たちの探り合いや忖度に心を揺さぶられて疲弊することも多々あります。
私は頭の回転が遅いというよりもぼーっとしていることが多くて、話の流れについていけなかったり、単純に会話を聞き逃していることが多いので、いつだって席を余分に使っている罪悪感に苦しみます。
罪悪感と不安と自信のなさに満ちている毎日をどう過ごせばいいのかわかりません。