こあらの念仏日記

境界性パーソナリティー障害のことと明日の生き方を考えるブログ

あなたは必要じゃない

私は誰かから、必要じゃない、あなたじゃない、あなたじゃなくてもいいという意味合いのことを言われたときにいちばん落ちます。

自分でも信じられないくらい落ちます。

 

仕事でも私生活でも、私が求めてるのはあなたじゃなきゃだめだという他人からの宣言です。

私が仕事に自信を見出せない理由は、今自分が受け持っている業務が他の人でも成り立つ仕事だからだし、私生活で私がいつも不安や虚無感に覆われてる理由は、私なんかいなくても誰の世界になんの影響も及ぼさないからです。

 

それなら仕事で必要とされるために新しいスキルを学べばいい、とか、この人がいると楽しくなるという立ち位置を確立するために自分の持ちものに厚みを増す作業に力を入れたらいいのだけど、どうしてもそれができない。

 

毎日の最低限の家事育児すらこなせません。

これをうつっていうのかなーとぼんやり思ったりはするけど、ただの甘えや惰性と区別がつかなくて、ずるい人間になったような恥ずかしさを感じます。

 

ご飯は食べているものの、美味しいとかまずいとかの感覚も鈍く、空腹感と満腹感を感じる時間がつらいからその中間を保とうとする単純作業で、食事に伴う楽しみは皆無です。

 

子供の頃、私は両親に愛されていたし、勉強もできて運動もできて、それなのに何が足りなかったんだろう。

 

昔から、運動会の応援合戦を客観的に見てしまう子供でした。あの熱気の中に入ることができたら、どれだけ人生が賑やかで華やかだっただろうと思います。

私の世界はいつもモノクロ(たまに+三原色。ハチマキの赤とか。)でできていて、どこか分析的な世界の捉え方をしていました。

それが自閉症の発達特性だったとして、今の私は過去の私を変えることができないし、その白黒の世界は今後色付くこともありません。

 

その性格は今も大きく変わることはありません。

私は「楽しい」を純粋に「楽しい」と受け取ることが苦手だし、人間っていうものがやっぱり怖くて、意味不明で理解不能な喋ったり動いたりする原子の塊であるとしか捉えられないことがよくあります。

そんなものと意思疎通を図るとか、コミュニケーションを取るとか、不可能だと思います。

 

と思えば、高度に脳が発達した生き物たちの探り合いや忖度に心を揺さぶられて疲弊することも多々あります。

 

私は頭の回転が遅いというよりもぼーっとしていることが多くて、話の流れについていけなかったり、単純に会話を聞き逃していることが多いので、いつだって席を余分に使っている罪悪感に苦しみます。

 

罪悪感と不安と自信のなさに満ちている毎日をどう過ごせばいいのかわかりません。