自分の価値について考えた
嫌われたくない気持ちが先行して、焦って、相手の要求を呑むのが常でした。
お昼ごはんをひとりで食べたくても誘われたら断れず、おにぎりを作ってきたのに、お弁当ないです、と言ってランチについていくことが何度もありました。
この恐怖心は私がどうしても回避できなかったもので、したくもないセックスを断れなかったり、楽しくなくても3回誘われたら一回は嫌でも頑張って会うようにしたり、いつも、嫌われないように立ち回ることに必死になっていました。
だけど、それで嫌われてない?本当に好いてもらえる?
よくよく考えると、そんなことで嫌われないし、逆に好かれることもないのかもしれないと思い直しました。
そうやってびくびくおびえながら生きている私より、凛として毅然として自分の意思を尊重できる私のほうが人に好かれるんじゃないかと思います。
目的に立ち返ると、私の人間関係構築の際の目的は、嫌われないこと、好かれること、愛されることです。
いままでわたしは、他人をすぐに受け入れることで、わたしもその人に受け入れてもらえると思っていました。
相手の言うことを聞いていれば、相手の思い通りに私が動けば、きっと愛してもらえる。
そう思っていました。
相手にとってコントロールしやすい人間になることで、簡単に他人の手のひらに乗って、思うがままに転がされることで、痛みは伴えど、愛されていると思うことができていました。
だけど、自分の価値を考えたときに、私はその行動を手放さなければいけないと思いました。
今までの私の行動は、自分を簡単にやれる軽い女に仕立て上げ、自分の価値を徹底的に下げる行為でした。
人に好かれたいから、愛されたいから、ペットのように従順に言うことを聞くというのはひとつの虚構で、そこに発生する愛情は、愛情の形をしたコントロールでした。
私は愛情をもらえていると思ってたけど、相手にとっては都合よく使っているだけで、コントロールしやすい相手、ただそれだけ。
いまのわたしには選択する権利があるし、断る権利があるし、きっとそれらを実行する意思も強さもある。
いままで形の見えない恐怖におびえて負け続けてきたけど、変わっていかなきゃいけないと思いました。